「はぁ……」
洗面所にいる俺は、鏡に映っている自分の姿を見て、ため息を吐いた。
――俺は自分の見た目が心底嫌いだ。
老人のように真っ白い髪と、白いまつ毛。黒髪なんて一本もない。
この世には、アルビノと言う遺伝子疾患がある。
別名先天性白皮症、または先天性色素欠乏症などどいわれるそれはメラニンが欠乏する疾患のことで、肌や体毛などの色が薄いのが特徴だ。体毛は白から金色までメラニンの量によって変化があり、また紫外線に弱く、視覚障害などもある。
視覚障害も紫外線への耐性も体毛と同様、メラニンの量によって変化がある。
そんな生まれつき苦労が絶えない疾患を患った動物がこの世には確かに存在する。
俺はアルビノではない。
……俺は、アルビノに仕立てあげられたんだ。
俺は母親がいない。
俺の父親はパチンコやかけ事が大好きで、仕事にもいかず毎日のようにそれに明け暮れている。母親は、そんな父親に愛想をつかして、俺が五歳の時に家を出ていった。
何で俺を連れて行こうとしなかったのかは知らない。……育てるのが嫌だったのか、それとも女手一つで育てられる自信がなかったのか。それは定かではないが、とにかく俺は五歳で母親に捨てられ、ろくに働きにもいかない父親と暮らすことになった。
収入がないくせにパチンコしてばっかだっかからか多額の借金を抱えていた父親は、生きるためどうにか金を手に入れられないかと必死で考え、そこであることに目を付けた。
――そう。アルビノにだ。
アルビノの人間は、アフリカなどの地域では決まって高値で取引されている。四肢と性器、鼻や舌等を合わせておよそ七百万ほどで取引されているそうだ。
何でそんなに高いか。それは、アルビノの体内には特別な秘薬や魔術が宿っており、幸運や繁栄をもたらす効果があるとか、あるいはアルビノには悪病
を直す力があるだとか、そんなわけのわからない迷信が広まっているからだ。
アルビノのことを知った父親は、俺の髪の毛や眉毛などの体毛を白く染めて、俺をアルビノだと偽って売れば、かなり高く売れるんじゃないかと。
日本で外国人がかなり多く訪れると言われる東京タワーや大阪城のそばにアルビノに成りすました俺を連れて行けば、誰かが俺を買いたいって言うんじゃないかと考えたんだ。
それで俺は五歳の誕生日の翌日髪の毛と眉毛を白く染められ、学校をやめさせられた。それで東京タワーや大阪城のそばのホテルに泊まって暮らすよう言われた。
買われたら最後、殺されて高値で取引されることになると決まっているのに。
「はぁ……」
ため息を吐くと、俺は洗面所を出た。
俺が今いるのは、大阪城のそばのホテルだ。
俺は一週間前からこのホテルで生活している。父親にそうしろと言われたから。
五歳でアルビノになりすますよう言われてから、俺は外人に本当に売られそうになっては逃げたりしながら、息を潜めてどうにか生きてきた。
十五歳の今日まで、毎日死にものぐるいで。
父親は頭がおかしい。
実の子供を躊躇なく売ろうとするなんて、本当にどうかしている。
「……死にたい」
アルビノと間違われて名前も知らない誰かに殺されて高値で取引されるくらいなら、いっそ自殺したい。
父親は俺を金を手に入れるための道具だとしか思っていない。
最初は抵抗した。
初めて髪を染められた時はべそをかいたし、大阪城のそばのホテルで暮らせって言われた時は、嫌だって声が枯れる勢いで叫んで、全速力で逃げた。
でも、そうしたことに意味なんてなかった。
どんなに逃げても結局捕まってしまう。何故かって? 首に爆弾があるからだ。
首にかかっているネックレスの飾りの中に爆弾が入っていて、それは親父が持っているコントローラーを操作するだけで爆発する。
ネックレスを捨てればいい話ではあるのだが、もし道路に捨てて父親がそうしたのに気づいたら、大変なことになる。
捨てたことに腹を立てて俺を殺すだけならまだしも、もし道路にある爆弾を爆発させてしまったりしたら、本当にしゃれにならない。
まぁ、そもそも親が金のために子供の髪を染めたりすること事態しゃれにならないことなのだが、ネックレスが爆発したせいで無関係な人間が死ぬのだけは、絶対に避けないとダメだ。
無関係な奴は巻き込めない。
俺は自分の命はどうでもいい。
母親に捨てられて、父親に無理矢理髪を染められたあの日、俺は悟った。
――自分は従順な子供でいなければいけないのだと。
父親の手を煩わせたら、殺されるハメになるのだと。
髪を染められるのを嫌がってべそをかいたら頬を何十回と叩かれ、それで俺は悟ったんだ。――自分は意志を持たない人形でないといけないんだということを。
それ以来、俺は父親に一切抵抗しないで生きてきた。それなのに、それなのになんで、売られて殺させるハメになんなきゃいけないんだよ。
なんで父親は、従順な俺を見て心変わりの一つもしないんだよ。
「くそっ! ちっくしょう!」
声が枯れる勢いで俺は喚いた。
「……事故死でもしたいな」
外人に殺されて高値で売られるよりは、その方がよっぽどマシな気がする。
「はぁ……」
ため息をつくと俺は居間に行って、用意されていた朝食を食べた。朝食はクロワッサンなどのパンとスープとサラダだ。
「うっ、ゲホッ、ゲホっ!!」
サラダとパンをたべてすぐに吐き気が押し寄せてきて、俺はトイレで思いっきり吐いた。
アルビノ狩りと言うのがこの世にはある。
アルビノなだけで、ある日突然腕を切り落とされたり、殺されて性器と四肢と鼻と舌をもぎとられたりするのを、総じてそう呼ぶらしい。
このまま親父の言いなりとして生きていたら、いつか俺もそうなるのだろうか。
本当はアルビノではないのに。
俺は二年前の誕生日の翌日から、肉がろくに食べれなくなった。食べようとすると人肌を想像してしまうからだ。
アルビノの人間は殺されても食べられたりはしない。そもそも基本人は共喰いをしない生き物だし。それが分かっていても、俺はいやでも想像してしまう。――目の前にあるのは、アルビノの人間の肉なのでなはいかと。
それに食べられることはなくても、アルビノが殺されたら死体を分解されて売られる羽目になるのは確かだ。
「はぁ……」
ため息を吐くと俺は立ちあがって、トイレを出た。
テレビをつけると、今朝起きた交通事故のことがニュースで報道されていた。
大まかに言えば、小学生くらいの子供が誤って線路に落ち、電車に轢かれ、見るも無残な状態で死んだとNEWSキャスターはいっていた。
――これだ。
髪色がわからないくらい、もう誰かわからないくらい酷い状態で死んでしまえばいいのではないか。そうすれば、アルビノと間違われて死体を分解されることもない。
俺はホテルを出て、大阪城のそばの駅のホームに向かった。
今は九月で、外は随分ぽかぽかしていた。
いたるところに紅葉がある。
「ねぇ、あの子の髪って……」
誰かが言う。
「アルビノだ!」
気分が悪くなった俺は、走って駅に向かった。
改札を抜け、ホームにいく。何線が通ってるホームの近くの線路で死ぬかはどうでもいい。
俺は改札から一番近い山木線のホームに行った。
俺は線路の上に降りた。
二本ある線路のうち電車が早く来る方の上に立って、俺は空を見上げる。
死んだら、天国に行けるのだろうか。
後ろからゆっくりと電車が迫ってくる。
いざ轢かれると思うと、少し怖いな。
「馬鹿っ!!」
直後、線路に男が降りて来た。
男は俺の腕を掴むと、電車が来ない方の線路に俺を連れて行った。
それからすぐに俺達がいない方の線路に電車が来た。
「……は? お前何すんだよ!」
「……お前、死にたいのか?」
俺の腕から手を離して、男は言う。
男は銀色のメッシュが入った黒髪につり目といったどう見ても柄が悪そうな見た目をしていた。
ピアスも左右の耳にそれぞれ三つ以上は空いていて、本当に悪っぽい。歳は二十代前半くらいだろうか。チャラくて怒ると怖そうな大学生みたいな感じだ。
「ああ」
俺は男の問いに迷いもなく頷いた。
「なら、それに他人を巻き込むな。電車が遅延したら、一体何百人の人に迷惑がかかると思う? 会社向かってる社会人は頭下げればいいだけだけどな、受験生とかはお前のせいで試験会場行けなくなったりするかもしれないんだぞ?」
顔をしかめて男は言う。確かに今は秋だから、受験生の中には今日推薦入試を受けるなんて奴も多いのかもしれない。でもそれがなんだ? 試験に遅刻するのくらい別にいいじゃないか。だって、試験なんてどうせ落ちてもまた受けられるんだから。
売られることが決まってて学校にも通えない俺より、よっぽどいい。
「うるさい。あんたに俺の何がわかるんだよ」
「わからない。ただ、自殺に他人を巻き込む人間は平たくみんなクソだ。死にたいなら勝手に死ね。けど、他人を巻き込むんじゃねえ。事故死にみせかけた自殺とかするんじゃねぇ」
なんで名前も知らない男にこんな説教されなきゃいけないんだよ。
腹が立った俺は、説教を無視した。
「……」
「……はぁ。あんた、名前は?」
何も言わない俺を見てため息を吐いてから、男は言う。
「……佳南芽」
「じゃあ佳南芽、行くぞ」
そう言うと、男はあごで前を示した。
「あの人達の指示に従え」
前を見ると、作業服を着たヘルメットをかぶった人たちが線路に降りてきていた。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか!」
「大丈夫なので、先にこいつをホームにやってください」
俺を指さして、男は言う。
「はい!」
作業服を着た人は大きな声を出して頷いた。
自殺する気が失せた俺は、作業服を着た人たちの指示に従ってホームに上がった。
「じゃあな、佳南芽。別に死んでもいいけど、もう線路降りるのだけはやめろよ」
「……あんたに関係ない」
俺はそういうとホームを抜け、駅を出ていくあてもなく歩いた。
……これからどうしよう。
また電車に轢かれに行くわけにもいかないよな。あいつに止められるかもしれないし。
「はぁ……。死ねると思ったのに」
公園のベンチに座り込むと、俺は顔をうつ向かせて、ため息吐いた。
「何お前、そんなに死にてぇの?」
真上から声が聞こえた。
慌てて顔を上げると、さっき会った銀髪の男がいた。
「よお。さっきぶりだな」
「……何の用だよ」
「……そんなに死にたいなら、連れてってやろうか。――不老不死の世界に」
そう言い、男は牙を出して笑った。八重歯ではない。明らかに五センチ以上はある牙だ。
「ああ。魂だけじゃなく、身体ごと連れてってやるよ。不老不死の世界に」
なんだこいつは。
一体何を言っている?
「なんなんだあんたは」
「俺か? ――俺は、悪魔だ」
髪を片手で後ろに流して、男は言った。明らかにかっこつけている。
一体何なんだこいつは。本当に意味が分からない。
厨ニ病でもこじらせているのだろうか。でも牙はあるし、……本当に悪魔なのか?
でも、そんな漫画みたいなことあるわけないし。
「……あっ、お前信じてないだろ? じゃあ、これで信じるか?」
直後、男の真横に宝石のクリスタルのような透き通った色をしたドアが出現した。
「えっ」
戸惑った声を出した俺を見て満足そうに笑って、男は言う。
「……これはこの世界に絶望した人だけに見える扉だ。開けた先には、血潮にまみれた不老不死の世界がある」
「血潮にまみれた……?」
「ああ。ここは何も最初から不老不死の世界だったわけじゃない。俺がいじってそうした。だから、人々が不老不死になる前殺しとかをしてた殺人鬼とかは殺せないなら殺せないなりに楽しんでるんだ」
「……殺せないなりに?」
「察しが悪いな。殺せなくても、植物状態にすることは可能なんだよ」
「なっ……」
思わず俺は言葉を失った。
つまり命を落とすことはないが、死んだのと植物状態になるってことか?
そんなのこちらの世界と死ぬかどうかが違うだけではないか。
「あちらの世界の殺人鬼達は、見境なく人を怪我させてる。そうやって人を傷つけること自体が、奴らにとってものすごい快感だからな。人が死亡することは無いが、人が怪我をする確率はこの世界の何倍も多い」
俺は思わず男を、――いや、悪魔を思いっきり睨みつけた。
「狂っていると思うか?」
「ああ。馬鹿げてる」
「でも、死にたがりのお前にはぴったりじゃないか?」
牙を出して笑いながら、悪魔は言った。
「それは……」
「なんだよ行くのが怖いのか? あんなに死にたがってたくせに」
俺を小馬鹿にするみたいに笑いながら悪魔は言う。分かりやすい挑発だ。
俺は挑発に乗ることにした。
「馬鹿にするな。行ってやるよ」
俺は男の真横にあるドアの取っ手を掴んだ。
「……不老不死の世界にいったら、この世界の俺はどうなる?」
「存在が無くなる。お前は元から不老不死の世界にいたことになる。学校に転校生とか来るだろ時々。お前はそいつと同じ。この扉の先にある町に初めて来た人間として扱われる。誰も異世界人だとは思わない。ま、お前が異世界から来たっていえばそれを信じる人間はいるだろうがな」
「……そうか。わかった」
俺はドアを開けた。
「未練はないのか? 入ったら最後、永遠に戻れないぞ」
「……ああ」
――この世界に未練なんてない。
未練があったら、自殺しようとなんてしていない。