もしもし、こちらは『居候屋』ですが?

向日葵(ひまわり)を購入するという目的を達成した武雄は、寄り道することもなく家路に着いた。家は、三十一坪の昭和感ただよう平屋である。

居間には赤褐色のタンスがある。そのタンス上にはタンクトップと麦わら帽子を身に付け、一輪の向日葵(ひまわり)を掲げている笑顔の少年の写真立てと枯れた花を挿した花瓶がある。

武雄は、枯れた花と先ほど購入した向日葵(ひまわり)を入れ替えた後、写真立てに手を合わせ目をつむり、額を合わせた手の指先に近づけた。

しばらくして、武雄はちゃぶ台の上に氷の入った麦茶を置いてテレビのリモコンを手に取ると、電源を入れた。

『今日午前八時頃、富嶽川で遊んでいた小学五年生の子どもが流され現在───』

点けてすぐに映ったのは、ニュースである。武雄は慌ててリモコンのボタンを押してバラエティに変えた。彼はカッターシャツの胸の辺りをくしゃりと掴んで真っ青になりながら荒くなった息を整える。

和哉(かずや)、ごめんな……」

武雄はちゃぶ台に額を擦りつけ突っ伏す。ちゃぶ台の上で握られつくられた両手の拳が震える。目からあふれ出た涙はちゃぶ台に小さな水たまりをつくった。声を出して泣き出してしまいそうになり、奥歯をぎりりと強く噛み締めどうにかたえようとするが、鼻を(すす)った拍子にうなり声のようなものが時折り漏れ出ていた。
日が沈み、夜の主役である月が出現すれば、同時に夜空に夏の大三角を描く。街灯が少ないせいか星ひとつひとつの大きさがよく見えた。

風呂あがりの武雄は、首にタオルを巻き、縁側(えんがわ)風鈴(ふうりん)の音を聞きながら、缶ビールを飲んで夜空を見上げていた。時折り吹く夜風はぬるく、武雄の身体にまとわりついてじめりと湿らせ、もう片方の手で団扇(うちわ)をあおいだ。これが武雄の普段の生活スタイルであったが、彼にとって普段はないイベントが今日あった。それは、ポケットティッシュを貰ったことである。

ここは、ポケットティッシュを配るほどの都会ではなく、むしろ田舎である。だから、この土地に住む武雄を含めた住民がポケットティッシュをもらうなんて滅多(めった)にないイベントなのだ。

武雄はまた、あの年若い青年のことを思い出して、はっとし立ち上がった。

「洗濯物⁉︎」

ズボンのポケットに入れたポケットティッシュをそのままにして、洗濯機に入れてしまったことに気がついたのである。

時既(ときすで)に遅しとは、こういうときに使うのだろう。

慌てて洗濯機まで走って行ったものの、すでに洗濯は終わっており、洗濯機の中にも洗濯物にもティッシュがへばりついていた。

「あちゃー……」



こりゃやり直しだな……。



武雄は洗濯物にへばりついたティッシュを丁寧にはがして全て取り除いた後、つぎに洗濯機の中を覗いた。洗濯機の内側にへばりついたティッシュの他にカラーで描かれた写真よりも小さなサイズの紙らしきものが一枚あり、手を伸ばしてそれを手に取る。

手に取ってわかったことだが、それの表面はつるつるしており、紙ではなくプラスチックでできていた。

「居候屋……あなたの家に居候しにいきます……って、なんだこれ?」

プラスチック状のものにはそんなおかしなことが書かれており、武雄は眉間に(しわ)を寄せて首を傾げた。
武雄は、居間に腰を下ろし、あぐらをかいて、じっとプラスチックに書かれた文字を見つめた。

────────────────────
居候屋(いそうろうや)

あなたの家に居候(いそうろう)しにいきます!

独り身で寂しいヒト、いろいろ相談にのってほしいヒト、いかがですか?

一泊 二千九百五十一円から!

電話番号: 29451-29451

二十四時間営業!

※決していかがわしいお店ではありません
※いかがわしいサービス提供の強要はお断りします
────────────────────

といった内容が書かれていた。読んだ後に、武雄はあの年若い青年のことをまた思い出し、



あのときの……これの宣伝だったのか。



と、ようやく理解に至る。

「居候、なあ。知らんやつが住むってことだろ?」

武雄は思わず怪訝(けげん)な顔をする。この広告を読んだものは、本当はいかがわしい店なんじゃないか、これは信用できるところなのか、詐欺ではないか、という心配や見知らぬ人が家に住む抵抗感、というものを武雄だけではなく誰しもが抱くに違いない。

「だが……」

武雄は、背後にあるタンス上の写真立てを見やり考える。この平屋には武雄という男ひとりしかいない。広い平屋にたったひとりきりで住み続けるのは寂しいと武雄は感じていた。さらにいえば、家には盗まれても困るものもない。

「もしもし、ポケットティッシュの広告を見たんですが……」

気づけば武雄は、携帯電話を手に取っていた。武雄の中で怪しさや抵抗感といったものよりも寂しさが圧倒的に上回っていたのである。

『もしもし、こちらは"居候屋"ですが? ご利用でしょうか?』

その声は、あの年若い青年を彷彿(ほうふつ)とさせた。
「は、はい」

武雄は緊張した声で肯定(こうてい)し、深く(うなず)いた。こういったサービスを受けるのは初めてのことで、思わず身体が石のように硬くなる。

『ではまず、ご説明させて頂きますね』

利用の説明は、おおむね広告に書かれてある通りだった。

『居候の相手ですが、男性と女性どちらをご希望ですか? あぁ、年齢まではご指定できませんので、ご了承下さい』

「男性で、お願いします」

武雄は迷わず答えた。

『期間はどれくらいに致しますか? 最長で十日間までになります』

どうしようかと武雄は首を(ひね)る。期間まで考えずに電話をかけてしまったのだからすぐに答えられないのも無理もない。

それを電話の向こうがわで察したのか、『とりあえず一日に設定しておいて、その後に延長してもいいですよ!』と提案してきた。

「じゃあ、そうします」

『わかりました。何時頃そちらに(うかが)いましょうか?』

「朝の六時は大丈夫ですかね?」

『大丈夫ですよ! では、ご希望の通り明日の午前六時にそちらに(うかが)いますね』
───現在時刻午前五時五十五分

城島の自宅のインターホンが鳴る。

居候屋(いそうろうや)でーす! 城島さんいらっしゃいますか?」

戸の向こうから昨日と変わらぬ青年の透き通るような爽やかな声が聞こえた。(おそ)(おそ)るといった様子で武雄は引き戸に手をかけ、ゆっくりと外を(のぞ)いた。

「昨日ぶりですね、城島さん! 約束の五分前ですが、大丈夫でしたか?」

「はい、大丈夫ですよ。起床時間はもっと早いですから」

そこには、笑顔を浮かべたポケットティッシュの彼がいた。

だが、昨日とはずいぶんと印象が違うような気がして、なぜだかその雰囲気が自分の息子と重なり、懐かしいなと武雄は思った。それは、彼の格好が黒いコートではなく、Tシャツでラフな格好をしていたせいかもしれない。

「どうぞ、上がってください」

「お邪魔しまーす」

とりあえず、居間で麦茶を飲むことにした。あちらは居候として過ごせばよいだけだが、サービスを受ける側としては、どのように接してゆけばよいのかわからない。であるから、武雄は客人をもてなす時のように煎餅(せんべい)を茶と一緒に出した。おしぼりも、もちろん忘れない。

随分(ずいぶん)と変わった食べ方をするね」

煎餅(せんべい)を頬張る青年に思わず武雄は吹き出して笑い、敬語を忘れる。彼の食べ方といえば、誰も取りはしないのに、両手に煎餅(せんべい)を一枚ずつ持ち、交互に食べているのだ。とても美味しそうに。まるでタイムスリップでもしたようだと武雄は思った。

「僕、煎餅(せんべい)大好きなんですよ」

「わたしの息子も煎餅(せんべい)が好きでね、よく君みたいに両手に持って食べていたよ。懐かしい……」

「へぇ~、そうなんですね」

彼は武雄の話よりも、煎餅(せんべい)に夢中で、目を細めながら幸せそうに食べ続けていた。

武雄としては有り(がた)かった。居候屋といえども、接客業と同様だというのが武雄の考えであった。その考えでいえば、息子の話を掘り下げて聞こうとしない彼は、接客業に力を入れていない不真面目(ふまじめ)な青年だと思うのが普通であるが、今回の場合、聞かれなかったことに武雄は内心ほっと胸を撫で下ろす心情であった。

「あ、そうそう」

彼は何かを思い出したようで、煎餅(せんべい)で汚れた手をおしぼりで拭った後、武雄と視線を合わせた。煎餅皿(せんべいざら)は空になっている。

「僕の名前なんですが、好きにつけて呼んで下さい」

「はい?」

武雄はその言葉の意味を呑み込めず、口を半開きにした。
「あなたの名前を呼ぶのは、駄目なんですか?」

居候屋という職は、本名を名乗ることが禁止されているのだろうかと武雄は考える。



ストーカーとか犯罪防止のためだろうか?



「あぁ、説明が足りなくてすみません。居候屋を家族の一員として名前をつけて呼ぶ方が結構多いんですよ。例えば、死別した妻や亡くなったペットの名前とか。あとは、片想い中の異性の名前だとか。それで、希望に応じてその設定で過ごすこともあります。もちろん、僕を本名で呼んで知り合いや友人のように過ごす方もいらっしゃいますよ」

武雄は、しばらくちゃぶ台の一点を見つめて考えた後におずおずと一直線に結んだ口を開いた。「では……」と意を決して目の前の彼を見つめる。

城島(じょうしま)和哉(かずや)………わたしの息子になって和哉として過ごしてくれませんか?」
「和哉さん、ですね? わかりました。では、僕はなんとお呼びすれば宜しいでしょうか?」

「できれば、でいいので"父さん"って呼んでくれませんか? やっぱり、変、ですよね……」

言ってすぐに武雄は後悔し、目を伏せる。



居候屋といえど、年若い青年なこんなことを頼むなんて……申し訳ない。一体、何をやっているんだ、わたしは……。



「父さんって、呼ばせて下さい」

その言葉に一驚(いっきょう)し、武雄は顔を上げる。息子の姿が昨日みたばかりのように鮮明に思い出された。

「あぁ、敬語はなしで頼む。あと、和哉は十歳で、自分のことを"俺"って言っていた!」

かつての息子の存在を渇望(かつぼう)した武雄は、ちゃぶ台に両手をついてやや前のめりになり、思わず早口で要望(ようぼう)を伝えた。

武雄の瞳に希望が差したように輝いていたことは、武雄自身しるところではないが、武雄の真剣な表情(かお)()の当たりにしていた青年には、おそらく気がついていることだろう。

「わかった、父さん!」

「和哉……‼︎」

武雄の目の前にいるのは見た目の年若い二十代くらいの青年で、どうみても十歳には見えない。

だが、"父さん"と呼ぶ声、笑い方が武雄の記憶の奥にしまわれた本物の和哉の面影(おもかげ)と重なった。それは、武雄の強い想いがそう錯覚(さっかく)させたのだろう。武雄の胸のあたりにじんわりと温かいものがこみ上げてくる。それは、胸にぽっかりと空いてしまった穴がふさがるときと似ている。

「和、哉……」

武雄は右肘をちゃぶ台に立て、掌で顔を(おお)い、唇をきつく結ぶ。目がしらが熱くなり、掌で収まりきらなかった涙がちゃぶ台を()らす。

武雄の唇は声を出して泣きたい衝動(しょうどう)をぐっと(こら)えるように肩を震わせていた。
「父さん」

その声とともに服の袖を引っ張られて武雄は顔を上げて和哉(青年)をみる。

「泣きたいときは、泣いていいんだよ」

その柔らかな声とかけられた言葉に武雄は和哉(青年)の両肩を(つか)んでうつむき、(こら)えていた涙腺がとうとう崩壊して大粒のしずくが頬を流れ「ゔぁあぁぁあーーーー」と声をあげて泣いた。

その泣き声の中には和哉に対する謝罪の言葉が含まれていた。

「父さん……」

和哉(青年)は武雄の背に腕をまわした。武雄は両肩に置いた手を今度は前身頃(まえみごろ)に移して(つか)み直し、すがりつくようにして和哉(青年)の肩に顔を()めて泣いた。
「大丈夫? 父さん……」

和哉(青年)は武雄の背に腕を回したまま幼子をあやすように軽く背をたたいた。

「あぁ、すまない……」

一時間ほど泣き続けていた武雄は、いまは鼻を(すす)るのみでありようやく落ち着きをとり戻し、前身頃(まえみごろ)を、(つか)んでいた手をゆるめて、和哉(青年)から離れた。

和哉(青年)は特に武雄の泣いた理由を聞くこともなく、あくまでも和哉として武雄の息子を演じ、話を切り替えた。


「父さん父さん! 俺、父さんと遊ぶために色々持ってきたんだ!」

和哉(青年)はそう言うと、自前のリュックサックを武雄の前に置いた。そのリュックサックは、登山用のリュックサックくらい大きなサイズであるにもかかわらず、空気が入る余裕もないくらいにぱんぱんになっている。一体、なにが入っているんだ? と武雄は首を傾げた。

和哉(青年)はチャックを開け、リュックサックを逆さにして上下に振り、雑に中身を出しはじめた。

がしゃがしゃと音を立てながら中身が居間の畳をたたきつけて落ちる。

囲碁、将棋、お手玉、けん玉といった渋い遊び道具からトランプ、オセロ、人生ゲームといった今の子供でも遊ばれているものまである。他にも細々(こまごま)としたものなどが沢山(たくさん)あった。

「これは……」

武雄は目を見開いた。その瞳がとらえたのは、傷だらけの硬式野球ボールで、それを手に取って見る。

『父さん、俺、将来プロの野球選手になるんだ!』

息子がかつて武雄に夢を語ったことが思い出された。

「父さん、野球やろ!」

期待を込めた和哉(青年)表情(かお)に「あぁ!」と武雄は顔をほころばせて頷いた。