「碧、それはあんたが悪いよ。明日雪乃ちゃんに謝りなさい」

 帰宅してすぐに、俺は姉に学校で起きた出来事をかいつまんで説明した。すると姉は、俺が悪いだとか的外れなことを言い出した。確かに俺も悪いところはあるが、何故雪乃に謝らなければならないのか。我が姉ながら、間抜けだなと思った。

「なんで俺が悪いんだよ。勝手に心の中を覗いて雪乃に告げ口したのは悪いかもしれないけど、それを黒板に書いて皆に知らせた雪乃のほうが圧倒的に悪いじゃん」
「馬鹿ね。あたしが言ってるのは、そこじゃないよ」
「じゃあどこだよ」
「雪乃ちゃんがどうしてわざわざ黒板に書いたのか、分からない?」

 だからなんでだよ、と舌打ちをする。どうしてこの問いの答えが、こうなるのか分からない? とうんざりする姉に勉強を教えてもらった時のことを思い出して、余計腹が立った。

「だから、いじめのターゲットを自分から藍田に移したかったからだよ。まあ賢いと言えば賢いかもな。井浦に目をつけられた奴は、クラスでは孤立するんだ。雪乃は学校という戦場の中で生き延びるために、最善の選択をしたんだ。ある意味すげーよ、あいつ」

 一息に言い終えて、ほうっと吐息をつく。俺も自分がいじめられていたら、雪乃と同じことをしていたかもしれない。いじめを見て見ぬ振りをしていた俺たちは、雪乃を責める権利なんてないのだ。

「たぶんだけど、違うと思うよ」
「違うって、何がだよ」
「もしも藍田さんが、このまま誰にも打ち明けられず、出産を迎えていたらどうなると思う?」
「どうなるって、別にそれはそれでいいんじゃねえの? 無事に子どもが産まれて、ハッピーエンドじゃん」

 馬鹿ね、と姉は呆れた顔で言った。

「望まれないまま産まれてきた赤ちゃんが、可哀想だと思わない?」
「なんだよそれ、可哀想って。結局感情論かよ。中絶したほうが可哀想だろ」
「それはそうだけど、一人で赤ちゃんを産むのは、母子の命に関わる危険な行為なの。でも妊娠してることを皆に知らせることで、藍田さんは産むのか下ろすのか、どちらかの選択を迫られる。そうすれば危険な孤立出産を防げる。雪乃ちゃんは、きっとそれが目的だったんだとあたしは思うな」

 俺は言葉に詰まった。姉の主張は正論すぎて隙がなく、反駁できなかった。

 女子高生がコンビニのトイレで出産し、便器の中に産み落として胎児が死亡した、というニュースを最近見た覚えがあった。さらに驚いたのは相手の男性が担任の先生で、だから誰にも相談できなかった、と女子生徒は答えたらしいのだ。
 藍田さやかもあのまま一人で悩みを抱え込んでいたら、その女子生徒Aのようになっていたかもしれない。そうならないように雪乃は、朝早く学校に来て黒板に書いたのだろうか。

「でも、いくらなんでもあんなにストレートに書く必要はなかったと思うけど」
「私はそうは思わないな。ストレートにはっきりと書くことで、事態の重さを藍田さんに理解してもらう意味でも、雪乃ちゃんの行動は正しかったと思う。少し酷かもしれないけれど、赤ちゃんと藍田さんの命を守るためにも、これでよかったと思うな」

 確かにそうかもしれない、と思って何も言い返せなかった。
 いじめのターゲットを自分から藍田に移したかったわけではなく、雪乃にはちゃんと考えがあって黒板にあんなことを書いたのだ。だとすれば、俺は雪乃に酷いことを言ってしまった。勘違いをして雪乃を非難し、深く傷つけてしまったかもしれない。

 数時間前の、あの雪乃の悲哀に満ちた表情を思い出す。悪いことを言ってしまったな、と反省していると、察したのか姉はにやりと笑う。

「明日、雪乃ちゃんに謝りなよ」

 姉はそう言って夕食作りに取り掛かる。
 言いたいことを中々言えない俺が、明日雪乃に謝れるだろうか。そんなことを考えながら、俺は天井を仰いだ。