どこもかしこも蒸し風呂かと思うほどの、七月のはじめ。

 ひと月ちょいで叩き込まれた雑誌編集のイロハと、振りかざすほどもない作家様用の対話スキルをたずさえて、僕は東京都板橋区の二階建てオンボロアパートの前に立つ。

 肩にかけたショルダーバッグのベルトをぎゅっと握り。大きく深呼吸。
 額から、鼻の頭から、滴る汗と乱れる息は暑いからだけじゃない。

 暑い、というよりも熱いのだ。
 僕の体の内側は多分ごうこうと燃えていた。
 通りかかる人々が、みんなして僕を白い目で見ていく。
 当然だ。アパートを前にして鼻息荒くしている二十代男性なんてこのご時世怖すぎる。
 
 しかし、しょうがないのだ。こうなってしまうのは。

 なぜって、幼少の頃から憧れた。作家先生に今、はじめて御目通りが叶うのだから。
 平常心を保つなんて無理な話だ。

 こんなにも興奮する瞬間は、これまでの人生なかった。彼女がはじめてできた時とか、志望の大学に合格した時を遥かに上回る喜び。
 しかもファンとしてではない。仕事をする間柄として、僕はこれから先生と言葉を交わせるのだ。

 正直言って死ぬんじゃなかろうか。 
 僕はあの先生と言葉を交わして、果たしてその後息をしているだろうか。
 
 とまあ、こんなふうに。
 僕はこの時、他に例えようもないくらい舞い上がっていた。
 この後、どんな目に遭わされるかも知らず。
 

 これは、僕が憧憬(どうけい)を抱き、尊敬していた作家先生のおかげで危うく死にかける物語。

 そして僕が、作家になるまでの、物語である。