石の色が黒っぽく変色した道が続く。十年前、大きな炎が町の一角を飲み込んだ名残である。強い火勢はあっという間に広がり、たくさんの人々が亡くなった。ラウルは、焼け焦げたたくさんの遺体と、涙も枯れて立ち尽くす人々の姿を思い出す。
 火元は結局、わからなかった。多くの人たちが、踊り狂う火竜を見たと言う。ことの真偽はともかく、火の勢いが普通でなかったのは、間違いない。
 火よけ地として作られた小さな広場に、ひっそりと慰霊碑が建っていた。大火事の後に死者を慰めるために立てられたものだ。
 そのすぐそばの、かつて駒屋という店のあった場所には、小さな食堂が立っている。安い酒をさらに何倍にも薄めていそうな店だ。
 思い切ってラウルが扉を開くと、かくんと、蝶番が外れた。あわてたラウルに気にした様子もなく、いらっしゃい、というのんきな年配の女の声が出迎える。
「その扉は前から壊れているのさ。そのままにしておいて」
「すみません」
 カウンターの中にいたのは、品のある老婆だった。あと三十年若かったら、この店は大繁盛しているんだろうな、とラウルは思う。
「見ない顔だねえ。この辺は始めてかい?」
 客はラウルだけだ。値踏みするような目で老婆にみつめられ、居心地が悪い。
「いえ、はじめて、というわけではないですけれど」
「若いうちは、いろいろ遊びたいだろう。けど、あまり入れ込んだりせずに、まっとうに働きなさい」
 どうやら賭場か娼婦宿に遊びに来たと思ったらしい。否定するのも変なので、ラウルはとりあえず頷く。
「それで、何にするね?」
 ラウルは、とりあえずパンと飲み物を注文した。
 店の中はガランとしていたが、食べ物のかおりが小さなキッチンからただよっている。棚の上に並べられた酒瓶は、いかにも安酒ばかりで、この店の客層を表していた。
「あの、もしご迷惑でなければ、扉、直しても良いですか?」
 不味いパンをかじりながら、ラウルは切り出した。
「道具さえ貸してくだされば、すぐやります。このままではご不便でしょう」
 迷惑そうに眉を曇らせた老婆に、あわてて修理代はとるつもりはないことを伝える。すると、はじめて老婆は顔を輝かせた。ラウルにしてみれば、この程度の手間など仕事のうちに入らない。老婆の目の前で、あっというまにぐら付いた蝶番の釘を打ち直した。
「上手いもんだねえ。助かったよ」
「いいえ。壊したのはこちらですから」
 本当は最初から壊れていたのだろうけど、そのままにしておくのは気分が悪かった。
「ところで、女将さんに聞きたいことがあるんですけど」
 気を良くした老婆の機嫌を損ねないように、ラウルはおそるおそる切り出した。
「この場所に昔あった、『駒屋』さんのひとがどうなったかご存知ありませんか?」
「またその話かい? あんた、役人なのかい」
 調査をするために、何度も憲兵たちもやって来たに違いない。老婆の笑顔が曇った。
「いえ、違います。俺、あ、僕は、妹を捜しているんです」
 とっさに、でたらめが口を突いて出た。役人に頼まれたと言って、話が聞ける感じではなかった。
「僕の父は、『駒屋』さんの常連だったそうです。それで、そこの女の人との間に女の子ができたのだけど、家族を捨てるわけにいかず、それきりになってしまったそうなんです。それで、今さらですが、その子供にひと目会いたいと言い出しまして」
 ラウルは、自分でも驚くほどスラスラと嘘を並べた。老婆は何の疑いもなく聞いている。
「母は、すでに亡くなってますし、病に伏している父の願いでもあります。それに、僕にとっても血のつながった妹です。会ってみたいと思いまして」
 言いながら、脳裏に、何よりも嘘が嫌いで、誰よりも母を愛していた父の苦虫を噛みつぶしたような表情が浮かんだ。
「火事で死んだのかもしれませんが、手がかりがなくて困っていたところなんです」
 老婆はふんふんと頷いた。
「それは、たいへんだねえ。いや、最近、何とかっていう女をかくまっていないかって、代わる代わる役人が聞きに来て、嫌になっていたのさ」
 ずいぶん露骨だなと、ラウルは呆れた。そんなことでは、知っていることすら聞き出せてないに違いないと思った。
「残念だけど、『駒屋』さんはね、十年前の大火でほとんどの人間が亡くなっているんだよ。このすぐそばに、慰霊碑があるだろう。一時期はここが火元じゃないかって言われたほど、何も残ってなかったのさ」
 ラウルにも、この一角は、柱一本、残っていなかった記憶がある。
「助かった人もいるんですよね」
 少なくともメイサは助かったのだ。他にも助かった人間がいるかもしれない。そして、彼女はその人に身を寄せているのかもしれない。期待が膨らむ。
「お使いに出ていた下男がひとりと、神殿に行っていた女の子がひとり。あとかろうじて助かったのが二、三人いたんじゃなかったかなあ」
 老婆は記憶をたどるように指を折った。
「そのうちのどなたかにお会いすることはできないでしょうか?」
 ラウルは老婆の思考を妨げないよう、慎重に尋ねた。
「助かった下男は、今は『黒猫』っていう娼婦宿で働いているよ。ゲンって名だったと思うね」
 その名前の店は、ここに来る途中で見かけた。
 老婆にお礼をのべると、老婆は、妹がみつかるといいね、と言った。
 いささか気がとがめたが、ラウルはそうですね、と頷いて、店を出た。



 激しい雨が降り続いていた。
 店はすぐに見つかった。
 かなり流行っているらしく、店構えは立派だ。一階が酒場で、二階にいくつかの個室がつくられている典型的な娼婦宿のようだ。さすがにまだ日が高い時間のせいか、店は準備中らしい。扉は半開きになっており、中からは掃除をしている音がしていた。
「あの、すみません」
 思い切って、ラウルが扉を開けると、モップをかけていた男が無愛想に、まだ営業しちゃいないよ、と答える。
「いえ、こちらのゲンさんとおっしゃる方にお目にかかりたいのですが」
 ラウルは、おそるおそる口を開いた。
「ゲンは俺だが」
 男は手を止めて、顔を上げた。怪訝な顔で、ラウルを見る。
「実は、駒屋さんの事でおききしたいのです」
 ラウルは、銀貨を一枚渡す。痛い出費だが、こういう場所の人間の親切を引き出すのに必要なものだと、大工仲間が言っていたのを思い出したのだ。
「十年以上前に行方不明になった、ある女性を捜しているんです。その人が駒屋に勤めていて、どうやら火事で死んだらしいのですが、そのときの様子を聞きたいと思いまして」
「詳しくは知らねえよ。俺は、その日、店にいなかったんだから」
 ゲンは面倒臭そうな顔をしたが、手のひらの銀貨のことを思い出したようだった。
「嘘か本当かしらねえが、火竜を見たって奴もいたくらいひどかったらしいぜ。俺はちょうどラレーヌに行かされててよ。帰ったら、炭しか残ってなかったんだ」
 住み込みだったために、家と職をいっぺんに失くしたらしい。命拾いはしたものの、どうしたらいいかわからなかった、とゲンは首を振った。
「詳しいことを知りたきゃ、ロキス神殿の裏で占いしているオルビアってばーさんに聞くといい。火傷のあとがある、ばーさまだ。すぐわかるさ。あと生き残っているのは魔導師に拾われてったメイサって女のガキがいるが……そいつも店にいなかったらしいから」
「娼婦宿に女の子がいたんですか?」
 飛びついて問いただしたい気持ちをこらえる。何気なさをよそおってラウルは聞いた。
「ああ。雇われ娼婦の娘でね。その親が死んでからは店で養ってたのさ。なに、よくある話さ。ま、店としてはそういう需要があることもあってね」
 ゲンは下卑た笑いを浮かべた。反吐が出そうな笑みだ。
 需要。もともとが娼婦宿だ。ただで、孤児を養うような善意の店ではない。予想のつく話ではあった。しかし間違っても、この男を頼ってメイサがやってくることはないと、ラウルは確信する。
「いろいろありがとう。オルビアさんに会ってみるよ」
 形だけは丁寧に礼を言って、ラウルは外に出る。気分が悪かった。
 子供らしく無邪気にすごすのは、ここでは難しいことだろう。彼女はいったいどんな少女期を送っていたのか。
ーー甘いのかな、俺は……。
 住む家もなく、ただ飢えて死んでいく子供に比べたら、それでも幸せといえるのかもしれない。
 だが、収穫があったことに違いはない。オルビアという人に話を聞けば何かわかるかもしれない。そう思うと、少し気持ちが明るくなった。
 激しい雨の中、ラウルはロキス神殿の方角へむけて足を速めた。