会議室に心陽を待たせて帰りの支度をする。

簡単な引き継ぎを課長にして鞄を持つだけだから簡単だ。

耳の早い同僚からは「子供ができたんだって?」と冷やかされたが適当に無視した。

「心陽。待たせたな。俺の家に連れてってやる」

「ふんっ」

心陽のおかげで早退できるのはうれしい。
だから、拓斗は心陽に笑顔を見せたのだが、心陽の方は仏頂面を返してきた。

会社を出ると、拓斗は心陽の歩調に合わせて歩こうとした。

心陽はまだ〝パパ〟に打ち解けていないのか、少し後ろをついてくるだけ。

手をつなぐのはおろか、隣を歩こうともしない。

それならそれでいいけどさ。

拓斗が勤める日の出食品産業は品川駅のそばにある。

よくよく考えてみれば、幼稚園児くらいの女の子がたったひとりで品川駅に辿り着き、駅の喧噪をぬって会社までよくやって来たと思う。

道中の労をねぎらおうかと思って振り返ったが、相変わらず心陽がつんけんした顔だったのでやめた。

心陽はちゃんとICカードを持っていて、チャージも十分なようだった。

途中で電車を乗り継ぎ四十分くらい。
最寄りの駅から拓斗のアパートまではさらに十五分くらい歩く。

家に着くと、玄関に大人の靴と子供の靴がきちんと揃えて置かれていた。

大人の靴は同居している弟の海翔の革靴だ。

子供の靴は男の子が履きそうな青い運動靴だった。

「ただいまー」

と、いつもより大きい声で中に呼びかけ、心陽を玄関に招き入れた。

「……おじゃまします」

心陽は目線を落として緊張したような声を出したが、青い運動靴を見たときに少しだけほっとしたように見えた。

拓斗はいつものように玄関先に鞄を置き、ネクタイを緩めながらリビングへ入る。

「海翔、そっちも大変だった、な……?」

リビングでは、メガネ姿の海翔とやさしい顔をした男の子が並んで椅子に座りながら、マグカップで何かを飲んでいた。

「あ、兄さん。お帰りなさい」

平和というか、和んでいる。

四人がけのテーブルに並んで座っているふたりを見て、拓斗はちょっと拍子抜けした。

 男の子――遥平は、マグカップを傾けたまま固まっている。

見知らぬ大人の拓斗が入ってきたからかと思ったが、遥平の目線はどちらかというと心陽に向いていた。

「……あ、はーちゅん」

と遥平がマグカップから口を離して心陽に呼びかけた。

心陽もかわいい顔立ちだと思ったが、男の子の遥平は目も眉もやさしげでまるで女の子のようにかわいらしい。

と思ったら、心陽がつかつかと遥平に歩み寄ると頬をつねった。

「よーちゃんのばかっ」

「いたいよ、はーちゅん」

遥平の柔らかい頬が、にょーんと伸びている。

「じぶんだけおいしいもの、ずるいっ。なにのんでるの?」

「ここあ」

心陽がさらに憤慨した。

「ずるいっ」

「いたいよぉ」

突然始まったふたりの子供の戦いに、海翔はただおろおろとしている。
拓斗もびっくりして見ていた。

心陽に頬をつねられている遥平が思いのほかかわいいのだが、放っておくわけにもいかない。

「おまえ、やめろって」

と、拓斗が心陽を遥平から離した。

つねられた遥平の頬がかすかに赤い。

海翔が立ち上がって遥平の頬を指先で少し撫でた。

拓斗は心陽の脇の下に手を差し入れて持ち上げると、海翔が座っていた椅子に心陽を置く。

「おまえが〝星野心陽〟で、こっちが〝星野遥平〟な?」

「…………」

ぶすっとしている心陽。
「うん」と頷く遥平。

「並べてみると似てるな」

拓斗が言うと、海翔も顔を近づけてふたりを見比べる。

「眉の垂れ具合。まつげの長いところ、頭の形。確かに。目は〝心陽〟の方はきりっとしてるけど、〝遥平〟の方は目も垂れてるな」

そんな拓斗の言葉に「……別にいいでしょっ」と心陽がそっぽを向き、遥平が困った顔をしていた。

拓斗が反抗的な心陽に何か言うより先に、海翔が無言で拓斗と肩を組み、メガネを外した。

ふたりの子供たちが不思議そうに見つめていると、海翔は自分たち兄弟の前髪を上げて、ふたりの子供たちに自分たちの顔がよく見えるように近づく。

「何すんだよ、海翔」

「……ほら、メガネ外すと僕たち似てるでしょ? 兄弟だから」

海翔の言うとおりだった。拓斗の茶髪は髪色を抜いているだけだから、ふたりの前髪をなくしてしまえば――若干、拓斗が怪訝な顔をして、海翔の目が眠そうだったが――そっくりだった。

「うん。にてる」と遥平が頷く。

「ひっつくな、海翔。気持ち悪い」

 拓斗が海翔を振りほどき、前髪を直す。

「似てるね。で、きみたちもよく似ている。だから、ふたりはきょうだいなんじゃないかな?」

しばらくふたりの子供は互いに突き合ったりしていたが、最後は心陽が白状した。

「……そうだよ。――ふたごだけど」