「…………」

 五人が無言のまま、演劇部の部室へと向かっている。

 リオだけは平然と前を向いているが、それ以外は下を向いたり咳ばらいをしたり、気まずさを払拭しようとどこか落ち着かない様子だった。

「……あの、私がこんなこと言うの、どうかと思うんですけど」

 空気に耐えられなくなって、江木が口を開く。

「……さっきのあれ、本当に何だったのかなって」

「言うな! それだけは言うな! 俺たちももう、頭がパンクしそうなんだ……っ!」

 若干テンションが戻り切れていない米崎に制されて、江木がまた口を噤む。

 それからまた、しばらく無言の時間が続いた。

「でもぉ、よく考えたらさぁ」

 ぼんやりと、独り言のように吾妻が切り出す。

「大五郎君が女性に触れられないのって、本当に叔父……叔母さんのせいなのかなあ」

「ああ、うん……」

「どう、ですかね……」

 もう誰も、その真相には興味がなくなっていた。

 実際、先程の勢いに合わせた全員抱擁の時には触れることが適ったので、勢いと気持ちの問題さえ何とかなれば克服できるものだと知ることができた。

 あとは本人が、どう思っているかだが。

「…………おお」

 大五郎自身は、じっと自分の手を見つめていた。

 何か思案するように、開いたり閉じたりと繰り返したと思えば、背中に手を回してその熱を噛み締めている。

「……江木、ちょっといいか?」

「はい? ……え?」

 反応するや否や、大五郎が江木の手を取った。一秒……五秒……十秒。

 大五郎の体には、何の変化もない。

「だ、大五郎……お前まさか」

「江木。背中も触るぞ」

「は、はひぃ」

 言葉通りに大五郎は江木の背中に手を回す。

 今度は大五郎の表情が少し曇ったが、それでも倒れることはなかった。

「……ってことは」

 米崎、江木、吾妻の三人が顔を見合わせる。

「もしかして、克服、できたのか?」

「いや、多分違う。江木、今度は俺に触ってみてくれ」

「い、いいですけど。……えいっ」

 掛け声を放ち、江木が大五郎の体に触れる。

 すると、大五郎の顔色が明らかに悪くなり、片膝をついて倒れた。

「ぐ、ぐうっ」

「お、おい! 大丈夫か、大五郎」

「ああ、心配ない。それに……やはり、思った通りだ」

 大五郎は神妙な顔のまま、自分の出した結論を伝える。

「さっきのやり取りのおかげで、俺には少し耐性が付いたらしい。皆に俺の過去を話して、少し楽になったのもあるだろう。だがやはり、まだ根本の恐怖が抜けてないから、触れられることに関しては苦手意識がある。だが、自分から触れるのは少し抵抗がなくなったようだ。……それもこれも、米崎、お前の、熱い言葉のおかげだ」

「お、おう。そうか……良かった? よ」

 正直言って自分が何を言ったのかを覚えていなかったが、大五郎が喜んでいるのでそれ以上の言及は避けた。

 それに元々、大五郎は主体で動く能動的な男だ。

 触れるのと触れられるのとで比べた時、触れる方が得意だという大五郎の姿は至極自然なもののように思えた。

 思い返せば、今までの特訓は大五郎に触れる方の練習が多かった。

 米崎の中で、無意識的に「触れるより触れられる方が負担が少ない」と思っての提案だったのだが、それがかえって、大五郎の克服のさまたげになっていたのかもしれなかった。

「何でもいいんだけどさ」

 冷たく、しかしはっきりと。

 今まで一言も発さなかったリオがついに口を開いた。

「これで豊島君は、私に触れるようになったってこと?」

「ああ、そうだ。どんと来い」

「そう。なら試してみてよ」

 そう言ってリオが、抱擁を求めるように両手を差し出した。

 大五郎もそれに応じるように、リオに近付く……が。

「……いや、やはり今は止めておこう」

「は? 何、どういうこと?」

「もう少し準備がいるようだな。……そうだ、部員たちにこのことを話してからでも遅くない。それからゆっくりと証明していこうじゃないか」

「何それ、意味分かんないんだけど」

 リオが露骨に不機嫌になっていく。

「ま、まあ。取り敢えず今はおめでたいということで、一旦保留にしましょうよ、ね?」

 止めに入った江木を一瞥し、つまらなそうに吐き捨てる。

「……泥棒猫」

 それだけ言うと、リオは先に部室へと歩いて行った。

「……何か今、とても酷いことを言われた気がします」

「ああ、気にするな。アイツはああいう奴だ」

 リオの後姿を目で追いながら、米崎はしかし大五郎のことを考えていた。

 どうして今、大五郎はリオの抱擁を拒否したのか。

 まだ完全にトラウマが治っていないからなのか、それとも……。

 ただ、リオの抱擁を断った時、大五郎が寂しそうな表情をしているように見えたので、それ以上もう何も言えなくなってしまったのだった。