華やかな夜会の終わった翌日。
今日からはもう、士官学校が始まる。
朝は決まった時間に、校庭で点呼がある。それまでに着替えを済ませ、整列をする。
キュッと髪を結べば、丁度点呼を知らせる鐘が鳴る。
この鐘が打ち鳴らされてから、自室から駆け出して整列する決まりだ。これも訓練の一種で、教官たちは集合時間を計っている。
朝の朝礼と体操を済ませてから、食堂で一斉に朝食。
士官学校とは言っても軍属扱いだから、そこに身分における差別はない。事実、討伐などが起これば、士官学校の生徒も派遣されることになっているからだ。
戦場に赴いて、「ティーをもういっぱい所望する」、なんてことは王子様とて言えないのだ。
テーブルの上には、決まった朝食が並べられる。戦場でも食べられている、黒くて硬いパン。スープにゆで卵。これに季節の野菜とか、フルーツなんかが日替わりでつく。おかわりは自由だ。
それを各自で取りに行き、好きな席に座って食べる。
午前の授業は座学が中心だ。歴史や政治、経済から用兵など様々なことを学ぶ。
午後の授業は実技が多い。基本は選択授業だ。授業の後はサークルや自習時間。武術や社交ダンス(男だけだ!)や、ボードゲームから、サバイバルなど様々なことをやっている。
夕食は同じように食堂で食べ、就寝時間までは自由時間だが、門限までに帰れないような先輩などは、仲間と連携してうまくやっているらしい。
一学年はだいたい二十人前後。
年度初めのテストの成績順で宿舎の部屋は割り当てられる。
主席は一人部屋だ。五位までは二人部屋を割り当てられ、それ以降は四人部屋を使う。
宿舎には、トイレと簡易シャワーと簡易キッチンがついている。風呂が使いたい者は、浴場へ行く仕組みだ。ベッドは二段ベッドで、勉強用の小さなデスク。小さなソファーセットが中央にある。
ちなみにシュテルは一人部屋を使っているが、これは王族だからではなく、学年主席の特権である。
私がフェルゼンと同室なのは、彼が二位で私が三位だったから。なんとしても、フェルゼンと同じ部屋にならないといけないので、これが結構辛いのだ。
幼年学校の頃は、それほど性差のなかった体格も、さすがに士官学校まで来ると徐々に差が広がってくる。同じ年の男のようには筋肉もつかないし、力もだんだん及ばなくなる。きっとそれが理由で、この国には女騎士がいないのだろう。
私はその差を埋めるように、勉学と魔法に力を入れて、必死に食らいついているところだ。
夕食の席で、いつもの二人と合流する。夕食は朝と違って豪華だ。肉だ。肉がある!
夕方だというのに、キラキラしいシュテルが、疲れを知らない満面の笑みで隣に座る。向かいにはフェルゼンが座っている。これはなんとなく決まったいつもの席順である。
シュテルは、この国の第二王子だ。この国では、王太子以外の王子は二十歳の成人と共に、臣下に下ることになっている。他家へ婿入りすることもあるし、新たな姓を賜わることもある。
いずれにせよ、自分自身で身を立てなければいけないことが決まっているし、ある意味自由なので、まぁ、自由人だ。
気さくでいいとは思うけど、基本眩しい。
「昨日はフェルゼン、どうだった? 首尾よかった?」
シュテルが、さわやかな笑顔で尋ねる。これは夜会など、社交行事があった時には毎回恒例だ。遊び人と噂されるフェルゼンの釣果を、遊び半分、冷やかし半分で尋ねるのだ。
「マレーネ姫と踊ったよ」
フェルゼンがニヤニヤして答える。マレーネ様はシュテルの妹だ。言うなれば王女である。妹にちょっかい出したぞと、からかっているのだ。
「傷物にはしないでくれよ、あれでも王女だから」
シュテルは気にもしないように、笑って答えた。
心配なんかしていない。遊び人と言われていても、フェルゼンが一線を越えないことを男友達は知っているからだ。その時その時に甘い言葉を囁いてはいるようだけれど、実際にトラブルになるなんて話は聞いたことがなかった。
ただ、彼らの会話はちょっと怖い。女としては聞いていたくないものだ。
「ああ、噂のご令嬢とも踊ったけどな、美しいけれどアレはダメだ」
「ダメ?」
「誰彼構わず媚び売るぞ」
ほら来た。
フェルゼンは、良い顔をしてダンスに誘ったりするくせに、冷静な目でご令嬢を観察している。
「あのねー、君に声かけられて浮かれないご令嬢なんて、いるの?」
噂のご令嬢が誰かは知らないが、かわいそうでフォローする。アイドル的な太陽の騎士様だ。声をかけられたら、別に好きな人がいたって嬉しくなってしまうのは無理ないと思う。
「いるさ」
ムッとして、フェルゼンが答えた。
「え? ほんと?」
本気で驚いてしまう。逆にどんな子なのか見てみたい。
「ちなみに、噂のご令嬢は青の扇だ」
「しかも、僕の婚約者候補に入ってる」
シュテルがなんとなく怖い顔で微笑んだ。
それにしても。
「シュテル、婚約するの!?」
初耳だった。
「驚くことでもないでしょ。そろそろそんな話が出てくる年だからね。まだ、誰がどう、なんて話までにはなってないけど、遠回しな売り込みはあるよ」
「それで、フェルゼンが様子見たの?」
「僕は別に頼んでないよ」
シュテルは迷惑そうな顔をする。
「余計なお節介ってやつだけどな、友達の相手がヤな奴だと困らねえ?」
フェルゼンの、こういうところが憎いほどカッコいい。
きっと王子の相手として、相応しいかどうか見極めるためにダンスを踊ったのだ。
その言葉を聞いて、シュテルは相好を崩した。
「フェルゼンは?」
「無くはないが俺は嫡子だからな、慎重になるよな」
「ベルンは?」
シュテルが興味津々に尋ねる。
「……ない……」
あるわけないけれど。まあ、自分のことはどうでもいい。恋愛も結婚もよく分からないし。
でも、友達にそんな話が出ていることにビックリした。
恋すらもまだなのに、婚約だなんて。結構ショックだ。確かに、お姉様のお相手を探す話も出ているのだから、当たり前なのだ。
「なんか、私だけ置いていかれそうだな」
正直、寂しいと思ってしまった。今まで考えたことはなかったけれど、士官学校を卒業すればバラバラだ。
自分の家庭を持つようになれば、今と同じようには遊んでいられないだろう。
「僕は結婚しないって、選択もあるけどね」
シュテルが笑った。
「そっか、私たちは家を継ぐ訳じゃないから、焦らなくても別に良いのか」
なんだかホッとした。
「で、噂のご令嬢を庇ったのは何で? 知り合い? 青い扇の令嬢なんでしょ? 白百合のお茶会で会った?」
シュテルが早口で質問しつつ、にっこり笑った。怖い、怖い、その目は怖い。
自分の婚約者候補だからだろうか。
ちなみに白百合のお茶会とは、お姉様の開催するお茶会だ。
私もたまに呼ばれて顔を出すが、なんとも恐ろしいお茶会だ。私は蟻の群れに投げられた角砂糖のようなありさまになる。一人一人とじっくり話すなんてないけれど、名前と顔くらいはだいたい解る。
「っていうか、そもそも名前は?」
さっきから、噂のご令嬢としか聞いていないから、誰が誰やらだ。名前もわからないのに知ってるかと聞かれても、分かりっこない。
「さすが、引きこもり侯爵様のお家柄だね」
シュテルは呆れたように笑った。
「知らないならいいよ」
「教えてよ!」
「教えない」
「なんで? 今度、白百合のお茶会で会ったら話してみるよ?」
「だから、教えないの!」
シュテルはムッツリとして言った。
「君、分かってる? そのご令嬢は青い扇なんだよ? 憧れの人に話しかけられたら、憧れじゃすまなくなるかも知れないだろ」
確かにそれは一理ある。私も面倒ごとはごめんだ。
「そっか、なら聞かない。シュテルの邪魔するつもりないし」
それ以上に、人の恋路の邪魔をして、馬に蹴られるのは嫌だ。
「邪魔っていうか」
シュテルはため息をついた。
「……気にならない?」
「何が?」
「そのご令嬢だよ」
教えてくれるつもりがないのに、なんなんだろう。友達を不愉快にさせてまで知りたいことでもないし、ただの好奇心だ。
「んー、君たちが話題にするくらいの子だから見てみたいってのはあるけどね。でも、嫌なんでしょ? だったら、もういいよ。シュテルの気持ちの方が大事」
そう答えれば、シュテルは顔を赤らめて、なんとも微妙な顔をした。
なんか、最近よく見るんだよね。その微妙な顔。なんだろ。
「ベルンのそういうとこ、本当によくないと思う」
「何か?」
「天然たらし!」
「た、たらしって! それはフェルゼンでしょ!」
「いや、ベルンの方が悪質だ」
フェルゼンがシュテルを擁護する。
「男前過ぎて惚れちゃうよ、ベルンさま!」
シュテルがふざけて抱きついてくる。苦しい。
「意味わかんないし! シャワーまだだからやめてよ!」
「臭くないよ? 僕が臭い?」
「シュテルが臭いわけないでしょ! っていうか匂いかぐな! ホント、やだ! この人とヤダ!!」
シュテルは汗でさえ高貴な香りがするのだ。やめて欲しい。
向かいからフェルゼンが乱暴に私たちを引き離す。
「食事中にじゃれんなよ」
呆れたようにため息をついた。
まるで、保護者みたいだ。
「じゃ、後でね」
シュテルが笑って離れる。
何が後でだ。食事中じゃなくても匂いなんか嗅がれたくない。
「ヤダよ、もう」
ほとほと疲れてそう答えれば、まったくこりていないようにシュテルは笑った。
夕食の後の自由時間は、カードゲームやチェスを楽しんだり、読書や猥談だってありだ。
私はいつも通りに部屋に戻って、シャワーを浴びてから二段ベッドの上に寝転んだ。
ぼんやりとさっきのことを考える。
婚約の話が案外ショックだったようだ。
なんだか、スカスカする。モヤモヤ、なんだろうか。
上手く整理が付かない想いが、胸の中に霧のように広がっている。
それが何なのか、目を凝らしてみても分からなくて、掴もうとしてもつかめない。変な思いだ。
焦る、のとは少し違う。
羨ましい、のとも違う。
なんだろう。
一番近いのは、仲間外れ感だろうか。
自分だけが一人だけ子供みたいに思えた。
でも、それだけじゃ割り切れない何かは何だろう。
「ねぇ、ベルン入れてよ」
ドアの向こうでシュテルの声がする。
「げ、マジで来やがった」
フェルゼンが悪態をつく。
「しょうがないなー」
私は髪を結わえ直して、ベッドから降りていく。
考えるのはやめた。
というか、こんなに騒がしくては考えられない。
私たちの毎日はこんなふうに過ぎていく。