「あ、旅行って言っても泊まりじゃないですよ。日帰りです」
 俺がよほどけわしい顔をしていたのか、季帆があわてたように付け加えてくる。
「そりゃ当たり前だ」
 高校生の分際で泊まりなんて、冗談じゃない。
 いや、日帰りでも冗談じゃない。旅行というからには、遠出するのだろう。朝から夕方まで、一日がかりで出かける気なのだろう。
 冗談じゃない。

「どこに行くって?」
「柚島だそうです。海沿いのカフェでランチして、景色の良い丘に登ったり、雑貨屋めぐったりしてから、夕陽を見て帰るって」
「……柚島」
 ほら、めっちゃ遠い。
 ここからだと、電車でも片道二時間はかかる。しかも丘に登ったり、雑貨屋をめぐったり?
 七海がそんな負担に耐えられるはずがない。途中で倒れたらどうするつもりなのだろう。

「七海、行く気なのか?」
「え? そりゃもちろん。ふたりで計画立てたそうですから」
 ああもう。イライラと頭を掻く。
 どうしてわからないのだろう。自分の身体が弱いこと。十五年生きてきて、なんで学習しないのだろう。そんなことをしたらまた体調を崩すことぐらい、もういい加減わかるだろうに。

 苛立ちながら俺が乱暴に温泉卵をスプーンで崩していると
「そんなに嫌なんですか?」
 俺の顔を覗き込んだ季帆が、ちょっと不思議そうに訊いてきた。
「べつに泊まりじゃないんですよ? 日帰りですよ?」
「嫌だよ。日帰りでもいっしょだ」
「うーん、じゃあ私、旅行は止めるよう樋渡くんを説得してみましょうか」
「いや、いい。俺から言うから」
 短く返せば、え、と季帆は少し戸惑ったように
「言うって、誰にですか?」
「七海に」
「旅行はやめろって言うんですか?」
「そうだよ」

 顔を上げると、季帆はなんだかちょっと困ったような顔でこちらを見ていた。
「でも」
「なに」
「七海さん、すごく楽しみにしてるそうですよ」
「だからなんだよ」
 いつの間にか卵は跡形もなく崩れて、ホワイトソースに混ざっていた。
 そりゃ、楽しみにしているのだろう。大好きな彼氏との遠出だから。自分の身体のことも考えられないぐらいに、浮かれているに違いない。
 だけど、七海に柚島は無理だ。どうせ。
 小学校の頃から、遠出するようなイベントはぜんぶ欠席してきたくせに。どうせ途中で体調を崩して、ろくに楽しめずに終わることなんて目に見えている。
 七海は、本当にわかっていないのだろうか。
 わかっていて、見て見ぬ振りをしているのだろうか。いつものように。

 季帆はなにか言いたげな顔をしていたけれど、けっきょく、「まあいいや」とひとりでなにやら完結して
「土屋くんの思うようにやってください」
「言われなくてもそうします」
「ですよね」


 食べ終わり席を立つとき、季帆が当然のようにテーブルの上にある伝票を取って
「私が払いますね」
 なんて言われて、ぽかんとした。
「は? なんで」
 奢られるような理由はない。同じ学生だし、同い年だし。
「自分の分は自分で払うよ」
「いえ、私が払います。今日は無理に付き合ってもらったんですから」
「べつに無理にってことも」
「最初に誘ったとき、土屋くん、嫌だって言ったじゃないですか。それを私が強引に連れてきちゃったから」
 そう言った季帆の声がどこか硬くて、俺は眉を寄せた。

 伝票を渡すよう差し出した俺の手は無視して、椅子に置いていた鞄をさっと拾った季帆は
「今日は私なんかに付き合ってもらったお礼です。ね、奢らせてください」
「いや、いいって」
 さっさとレジのほうへ歩きだそうとした季帆の手をつかみ、引き止める。
 私なんか。
 さっき季帆が口にした自虐的な言葉が、小骨みたいに気持ち悪く引っかかっていて
「ちゃんと割り勘にしよう。なんか気持ち悪いじゃん。ふつうに友達同士で飯食っただけなのに奢ってもらうって」
「――えっ?」
 そこでなぜか、素っ頓狂な声が上がった。
 季帆が驚いたように目を見開いて、俺を見ている。

「友達同士?」
「うん」
「私たち、友達同士なんですか?」
「え、そうだろ?」
 あまりに信じがたいことを耳にした、みたいな顔で季帆が訊いてくるので、思わず不安になって聞き返してしまうと
「あ、は、はい」
 めずらしくぎくしゃくした調子で、季帆が頷いた。
「友達、ですね」
「うん。だから割り勘な。ふつうに」
「はい」
 もう一度季帆のほうへ手を差し出せば、今度はおずおずと伝票を渡される。

「……ありがとう、ございます」
 うつむいたまま、噛みしめるような声で季帆が呟いた。
 何に対するお礼なのかは、よくわからなかった。