名もない花のように生きる君へ

 図書室の前を通り過ぎて私は光が遠くに見える資料室に向かう。
いつも温かい場所は何があっても安心させてくれる。
壁に背中をつけるのが合図。
温かい光と背中に伝わる温もりで私たちの会話が始まる。
「楽しそうだね」
「なんでわかるの?」
「一番最初に来た時の表情や声とは全く違う。自信や夢を膨らませているようだよ」
 誰だかわからない私の話し相手。
きっと不思議な力が話していることはわかっている。
その力が私を褒めると私は成長できた気がして心が踊る。
「私ね、もしかしたら大切にしたい人ができたかもしれない」
 ずっと話してみたかった。
杏夏の前では包みながら話していた。
それは杏夏が信頼できないとかではない。
何もかもわかってくれるこの力に全てを教えたかったから。
温もりを温かく感じているとその熱が冷めるように言葉が止まる。
もう一度言おうとした時、小さな声が言う。
「大切なものは失った時、悲しいんだ。それは覚えておいて」
 不思議な力の声は小さい。
でも音量以上に感じたのは光と温もりの途切れ方。
いつもなら包み込んでくれてこの空間しか感じられない。
でも今は現実世界との境にいるような気分だ。
嫌な予感。
それを言葉にするのは嫌だった。
それでも私は言わないと始まらない気がしている。
「ねえ、これからも話聞いてくれるよね?」
 薄くなる背中の温もり。
口を結んで背中の感触にただ集中した。
「ねえ……」
 薄くても感じる背中の温もり。
答えない理由を知らない私はどうやって言葉を待てばいいのかわからない。
諦めかけた時、声が聞こえた。
「僕はもうすぐいなくなる」
 聞き返したいのに聞き返せない。
感情があるはずなのにその感情が何を示しているのか気づけない。
「ちょっと待ってよ……」
 感情も考えもわからないまま、私は背中の温もりや光を忘れて資料室に向かって言葉を放った。
「今までずっと……」
「夕希?」
 私の感情が止まらない中で声が聞こえる。
どこからか聞こえる声。
その声に安心というものが込められている。
「大丈夫?」
 壁を見つめる私の横に春斗の顔があった。
春斗の顔を見て現実世界、私の努力の世界に戻されたことを知る。
「こんなところでどうしたの?」
 春斗の質問に私は普段の生活を思い出した。
誰もいない廊下で声をあげている私を見たらきっと誰もが避けるだろう。
春斗に見られていなかったことが救いだった。
「あ、ちょっと興味本位で……」
「そっか。じゃあ一緒に帰ろう。委員会の仕事終わったから」
 私は頷いて春斗の後を歩いた。
資料室を振り返りながら。