「では逢坂クン。あのロボットに指を向けて、『こっちに来い』とジェスチャーしてみようか」
 セリアの指した数メートル離れた所。そこには球形の、小学生の身長程度はあろうロボットが歩道を徘徊していた。色は背景に溶け込むように、白を主体としている。
「ヘイ、カモーン」
 大地は人差し指を目的物に伸ばし、クイッと指先を、ロボットを呼びつけるように動かした。すると、指に反応したロボットが路面を滑るようにやって来て、
「今からする私の行為は、見て見ぬ振りをしてくれると助かる」
 そう言うと、セリアはロボットの表面に肉づきの少ない手を添えた。そうしたらピッと鳴り、ロボットの中でガタンと何かが落下し、
「何か落ちた……ってこれ、自販機のロボットなの!?」
 ペットボトルを取り出したレミを筆頭に、大地、あおいは感心してロボットを観察する。
「マジか。ずいぶんと丸っこくてかわいい自販機だな。ああ、よく見たらディスプレイにペットボトルが並んで映ってるわ」
「どうしてこんな形なの、セリアさん?」
「この形はその自販機が取りうるものの一つさ。カラーも含めてコンピュータが演算して、背景に最も適したものに変化し、街を自在に徘徊するんだ。たとえば古風な街並みを無機質な自販機が占めていたら嫌じゃないか? というわけでこのモデルが開発されたんだよ」
 セリアはレミに近寄り、
「走り回って相当疲れた様子だったね、特に深津クンは。ならばそれを飲んでみてはいかがかな?」
 レミはラベルをじっくり見ながら「ほんとに大丈夫?」と訝しげに蓋を開けて、飲み口に唇を触れる。ゴク、ゴクと喉を鳴らしたら、
「…………う、うまい!! カラダも軽くなった気がするわ!!」
虚数空間の世界(イマジナリーパート)の科学を駆使して開発したスポーツドリンクだよ。『飲んだ瞬間に疲れが吹き飛ぶ』という謳い文句で発売された商品さ」
 今度はあおいに寄り添ったセリアは、
「あの素晴らしい蹴りを、このロボットにもお見舞いしてみるといい」
 え? とあおいは目を丸くするも、セリアから「責任は私が持つ」と言葉を掛けられたので、
「えいっ!!」
 あおいはロボットに踏み込み、しなやかな右脚を鋭く振り抜いた。だがしかし、
「あ、あれ……?」
 あおいの行動を予知していたかのごとく自販機は華麗に蹴りを避け、そのままS字を描くように路面を滑り、三人の下から離れていってしまった。
「人の脳波や建物に反射した電波を検出して、周囲に衝突しないようコンピュータが演算した結果だよ」
 度肝を抜かれたように、一連の流れを棒立ちで見届けた大地。
(これがカルチャーショックなのか!? あおいじゃないけど感動で涙が出そうだぜ!!)
 他には……、と期待を膨らませて天球を見上げれば、ビルの合間の空間に巨大なディスプレイが映し出され、気象用人工衛星の打ち上げ方法とそれに関連した組み込みOSの理論提案に関するニュースが流れていた。
「まさに近未来って感じのニュースだね。って、空がキレイ……」
 ニュースに驚かされるばかりではない。ディスプレイのさらに彼方にある夜空にも研究部は注目を向けた。
「未来都市ではまず見られない夜空ね。星の一つひとつがはっきり見えるわ」
 夜の空を鮮やかに覆い尽くす満点の星々。セリアも三人に倣うように空を見上げ、
「この世界は地球と違って、世界全体がドームのように覆われた造りで、あの星々はプラネタリウムのように装置で投影されているものさ」
 一連の案内を聞いたのち、セリアに連れられて街を歩いていく大地たち。歩きながらでも、景色の観察は三人とも怠らなかった。
「なぜここまで科学が発展しているのだろうか、と無論考えるはずだろうね」
「それも含めて、この世界の立ち位置ってなんだ? 存在意義って言えばいいのかな」
「そういえば“冷たいお嬢様”が言ってたわ、『隠し立てられて行われている』って。私たちが知らなかったってことは、この世界は一般人に隠されてるってことなのよね?」
「あっ。海外に科学技術が追いつかれないようにするため、かな? 他国に流出や真似されないように、この閉鎖された世界で科学を研究してるってこと?」
 セリアは世界を抱くように両手を広げ、天空を、そして四辺一帯をぐるりと眺めて、
「正解だ。要は大規模な実験施設だよ、キミたちの住む世界にとってのね。至る所で見るロボットや空間投影型ディスプレイなど、すべてをキミたちの世界で実現させるための実験場なんだ。ヒトとカネを積極的に投資して日々成長を続けている。海外に科学力で差をつけるべく、極力その存在を隠しているのさ」
「てことは迷路のような陸橋もそう? 乗り物がひっきりなしに走ってるけど?」
「そうだね、この世界の公共交通機関は超複雑なネットワーク網になっている。その複雑さの壁を破って、どうしたら利便的な交通を実現できるか、という課題の解消も研究の一つだ」
 そう告げたセリアは膝まで伸びる銀髪を巻くように、クルリと大地らへ顔を向ける。
「さて、案内はこれにておしまいにしよう。キミたちは治安維持対策本部(アンチクライム)に狙われている身だが、私がシステムを弄っておくから危険に晒されることはもうないだろう」
「けど見ず知らずの街に放り出されてもな……。さすがに不安は残るぜ」
「それも冒険の醍醐味として楽しめばいいさ。ただ、何も教えないわけにはいくまいか」
「私たち、とりあえず何をすればいいのよ?」
「まずはICカードを発行してもらわないとね。身分証明、お金のやり取りなど、この街では多くの場面でカードを用いる。発行所のルートマップと発行に必要なコードは深津クンのスマートフォンにメールで送っておくよ」
 発行所でコードを打てば、あとは自動的にカードを発行してくれるから安心してくれたまえ、とセリアは教えてくれた。
「ちょっと待ってセリア。もう一つ訊きておきたいことがあるんだけど。いい?」
 スマートフォンを見せながら、レミはセリアと話をする。気になった大地が訊く前に相談を終えたレミが「あとで話すわ」と言ったので、大地とあおいはうなずいた。
「それでは、機会があったらまた。満足のいく成果が得られるよう期待してるよ」
 背きかけ、そう言い残したセリアは手を振り、街に溶け込むように、幻想のように大地らの下を去っていったのであった。

       2

 仮面を被った情報生命体のセリアと別れたあと、研究部の三人は発行所に赴いてICカードを発行した。
「これがこの街のカードかあ」
 あおいは漆黒色のICカードを街灯にかざして、あらゆる角度から表面を観察する。中央には『i』の銀色のロゴがシンプルに刻印されている。特殊な素材で作られているらしく、破ることも燃やすことも不可能。形状記憶仕様にもなっており、折っても元通りになる。
「来訪者がブラックで、ここに住む人たちが……なんだっけ?」
「ゴールドがお偉いさんでシルバーが科学者、それ以外の住人がブロンズだったかしらね?」
 直近の目的を済ませた三人は街をぶらぶらと歩く。
「ねえ、ごはん食べに行かない? お腹空いたんだけど」
「いいね。オレもハラ減ったし」
「うん、賛成」
「それならカフェに寄りましょうか。これからの方針も決めたいし」
 こうしてストリート沿いに構える西洋風のオープンカフェへと立ち寄った。丸型のテーブルの前に腰掛け、タッチパネルで注文を済ます。
 メニューを待つ間、大地は街並みに目をやり、
「ふむ、高層ビルに囲まれるオープンカフェも悪くない。テクノロジーを感じながら飲むドリンクも格別だろうね。あおいもそう思うだろ?」
「まだ少ししか見てないけど、飽きない世界だよね。お店に入る時に看板を見たけど、一つのハウスで野菜の栽培も家畜の世話も全部するんだって。水や肥料が循環してるんだね、ステキ」
「科学まみれの食材って聞こえは悪いかもしれないけど、私はそっちのほうが安心するわ。野菜は全部水耕栽培、何が入ってるのかも怪しい土は使わない。肥料も化学肥料じゃなくて堆肥らしいし」
 ひょっとしたら街を支える電力も、あっと驚く高効率な発電で賄っているのかもしれない、大地はふと考えた。
「さて。これから私たちどうする?」
「まずは虚数空間の世界(イマジナリーパート)に来た目的をまとめてみない?」
「あーっと……、事の発端は滝上先生が出した、高校生宇宙飛行プロジェクトを研究テーマにした課題だったよな? 開示されていない情報と、プロジェクトに使われたらしい技術の出所を調査してる最中だ」
「ロケットの情報(データ)が、私たちが“未来人の落とし物”と呼ぶUSBメモリに入ってたことがきっかけよね、その研究を任されたのって」
「神代一族の人たちに話を訊いたりして、技術の答えは私たちの知らないこの虚数空間の世界(イマジナリーパート)に隠されてるんじゃないかって考察をして、実際にこうして訪れた」
 あおいが一連の流れと要点をメモ用紙にまとめていく。
「記念碑の中が虚数空間の世界(イマジナリーパート)という科学都市、という事実は掴めた。だから二〇年先を行くような科学技術の謎にはたどり着けたことになるわ。虚数空間の世界(イマジナリーパート)がその答え。けど宇宙飛行プロジェクトの、たとえば高校生を飛行士にした理由などはまだ不明ね。隠れた謎は残ってるわ」
「ならレミちゃん、それをこの世界で探ってみる?」
 と、ここで、注文したメニューが運ばれてきた。レミの前に紅茶付きのエッグベネディクトセットが、大地、あおいの前にホットコーヒー付きのオムライスがそれぞれ置かれる。
 大地は砂糖とクリームを多めに混ぜたホットコーヒーを口に含み、
「ちょっと待て、一つ大事なことを忘れてんぞ」
「そうね。私たちはただこの世界の存在を知るために来たわけじゃないわ」
「え、なに? 忘れてることってあったっけ?」
 と、ちょこんと可愛らしく首を傾げるあおいだけれども、一向に答えを言わずにニヤニヤする大地とレミに、む~~っとこれまた可愛らしく頬を膨らませる。
 ごめんごめんと冗談めかしく笑ったレミは、緩めていた頬を引き締め、
「――〈拡張戦線〉よ。《NETdivAR(ネットダイバー)》を応用した体験型のゲームね。前にも話したように、そのゲームの情報も“未来人の落とし物”にあったのよ。ともすればゲームと宇宙飛行プロジェクトに関わる共通の人物がいるのかもしれないわ」
「未来都市は真相を隠すから、だったら〈拡張戦線〉の関係者に訊けば真相を掴めるかもしれないってことだね」
「おっ、噂をすれば! 見てみろよ、あのスクリーン!」
 大地が指差した先には、ファッションビルに埋め込まれた巨大スクリーンが。カリカリのベーコンを口に含んだレミ、カップを両手で掴むあおいは、揃ってそちらを見た。
 少年少女が剣、魔法の杖を手に携え、凶悪な面の二本足ウサギに構えている姿を映した、体験型アクションゲームの広告だ。まさにそれは虚数空間の世界(イマジナリーパート)の一角を利用し、ARで具現化された敵手《エネミー》を倒していくゲーム――〈拡張戦線〉。『目の前のエネミーをその手で倒せ!』というキャッチコピーが大地の興味心を擽る。
「はーっ、なんて面白そうなゲームなんだ! とりあえずプレイはしようぜ?」
「アンタ、ゲームがしたいだけなら問題アリよ? もち、本題は忘れずにね」
 レミはフォークに刺したパンケーキに黄身を絡ませてもぐもぐ頬張りつつ、大地にビシッと指を差し向けた。
「わかってるって、研究優先だ。……って、そういえばレミ、セリアに何か訊いてたよな?」
「その件については今から話すつもりよ」
 レミはスマートフォンの画面を大地とあおいに見せる。それは不鮮明に写る一人の顔写真。髪色が赤い、歳は一〇代半ばの少女の写真で、