イタリアの空が青い。
この一月半で、色々なことが片付いた。貴美子と正式に離婚し、家を売り、復讐計画を立てた。
裁判の傍聴はしないことにした。やつの言い訳など聞きたくない。小宮がいつ刑務所から出てくるかを知るだけでいい。熊野刑事によると、それは法務省から被害者の親に伝えられるということだった。
旅行は七泊あった。バチカンでは、多美にせがまれてカメオを買い、ヴェネツィアではゴンドラに乗った。巨大な教会を見物し、宗教画の解説を聞いた。
明日は帰国するという最後の晩、ホテルで和樹は言った。
「小宮への復讐を、一緒にしてくれるか?」
「……わたし、なにをするの?」
計画のあらましを話すと、多美は顔を蒼くし、
「そんなこと、無理じゃない?」
「できないか?」
「できるかできないかじゃなくて、そんなふうに計算どおりにいく?」
「きっといくさ」
多美が、じっと目を見てきた。
「あなたの顔……」
「顔?」
「狼に似てきたわ」
「狼に?」
頬に触れてみた。手に当たるヒゲの感触が、硬い。
「ヒゲが伸びたからだろう。復讐計画を考えるのに忙しくって、剃るのを忘れた」
「鏡は見てない?」
「どうだろう。見てないかもしれない」
「見て」
ユニットバスに連れて行かれた。鏡を見る。あれが……おれ?
「気がつかなかったの? 旅行中、みんなあなたを振り返ってたわ」
「そうか。きっと憎しみが、顔を変えたんだな」
和樹は、前に飛び出した鼻を触り、横に大きく裂けた口を開いたり閉じたりし、鏡に牙を映してその鋭さを確認したりした。
「みんな小宮のせいだよ。あいつを破滅させたい。たとえ何年かかっても。なあ多美、協力してくれるな?」
多美は黙った。沈黙は一分以上続いた。そのあいだ、テーブルに置いてあったカメオをいじっていた。貴婦人の横顔が彫ってある、バチカンで買ってやったカメオを。
やがて多美は、吹っ切れたように笑顔を向け、
「和さんのためなら、やるわ」
抱き締めた。本当に多美は、世界一の愛人だ。
「うまくいくかなあ。わたし、女の子を産むんだよね?」
「何年かかっても、だ」
「和さんの子じゃダメなのね」
「情が移るだろう。相手は見ず知らずの男じゃないと」
「……あなたは、それでいいの?」
「いい。おれはもう、人間の心は捨てた。おまえにも捨ててほしい。でなければ、この正義はできない」
「正義、なのね」
「そうさ。少年法なんか正義じゃない。あいつにふさわしい刑を執行する。おれたちが協力すれば、国に、それをさせるよう仕向けることができるんだ」
「わかったわ」
ついに、多美は言った。
「わたしも人間の心は捨てる。狼みたいになる。あなたと一緒に、どこまでも堕ちていくわ」
抱いた。
計画が始動した。
十年後、法務省より連絡があり、小宮清伸が少年刑務所を出所したことを知った。
この一月半で、色々なことが片付いた。貴美子と正式に離婚し、家を売り、復讐計画を立てた。
裁判の傍聴はしないことにした。やつの言い訳など聞きたくない。小宮がいつ刑務所から出てくるかを知るだけでいい。熊野刑事によると、それは法務省から被害者の親に伝えられるということだった。
旅行は七泊あった。バチカンでは、多美にせがまれてカメオを買い、ヴェネツィアではゴンドラに乗った。巨大な教会を見物し、宗教画の解説を聞いた。
明日は帰国するという最後の晩、ホテルで和樹は言った。
「小宮への復讐を、一緒にしてくれるか?」
「……わたし、なにをするの?」
計画のあらましを話すと、多美は顔を蒼くし、
「そんなこと、無理じゃない?」
「できないか?」
「できるかできないかじゃなくて、そんなふうに計算どおりにいく?」
「きっといくさ」
多美が、じっと目を見てきた。
「あなたの顔……」
「顔?」
「狼に似てきたわ」
「狼に?」
頬に触れてみた。手に当たるヒゲの感触が、硬い。
「ヒゲが伸びたからだろう。復讐計画を考えるのに忙しくって、剃るのを忘れた」
「鏡は見てない?」
「どうだろう。見てないかもしれない」
「見て」
ユニットバスに連れて行かれた。鏡を見る。あれが……おれ?
「気がつかなかったの? 旅行中、みんなあなたを振り返ってたわ」
「そうか。きっと憎しみが、顔を変えたんだな」
和樹は、前に飛び出した鼻を触り、横に大きく裂けた口を開いたり閉じたりし、鏡に牙を映してその鋭さを確認したりした。
「みんな小宮のせいだよ。あいつを破滅させたい。たとえ何年かかっても。なあ多美、協力してくれるな?」
多美は黙った。沈黙は一分以上続いた。そのあいだ、テーブルに置いてあったカメオをいじっていた。貴婦人の横顔が彫ってある、バチカンで買ってやったカメオを。
やがて多美は、吹っ切れたように笑顔を向け、
「和さんのためなら、やるわ」
抱き締めた。本当に多美は、世界一の愛人だ。
「うまくいくかなあ。わたし、女の子を産むんだよね?」
「何年かかっても、だ」
「和さんの子じゃダメなのね」
「情が移るだろう。相手は見ず知らずの男じゃないと」
「……あなたは、それでいいの?」
「いい。おれはもう、人間の心は捨てた。おまえにも捨ててほしい。でなければ、この正義はできない」
「正義、なのね」
「そうさ。少年法なんか正義じゃない。あいつにふさわしい刑を執行する。おれたちが協力すれば、国に、それをさせるよう仕向けることができるんだ」
「わかったわ」
ついに、多美は言った。
「わたしも人間の心は捨てる。狼みたいになる。あなたと一緒に、どこまでも堕ちていくわ」
抱いた。
計画が始動した。
十年後、法務省より連絡があり、小宮清伸が少年刑務所を出所したことを知った。