村松和樹は、警察署の死体安置所で娘と対面した。
殺風景なタイル張りの部屋の、幅の狭い寝台に、友華(ともか)は寝ていた。
首に黒い痕がある。なにか紐状のもので絞められたらしい。いったいどうして、なんの罪もない三歳の女の子がこんなことをされるのかと、理解に苦しんだ。
名前を知らない刑事に肩を叩かれた。
「奥様が倒れられました。過呼吸を起こされたようです。署内の保健室のほうへお運びしますけど、村松さんもいらっしゃいますか?」
妻を保健室のベッドで休ませて、ソファで放心していると、熊野刑事が来た。
「村松さん、被疑者は逮捕されました」
「……はい」
「被疑者自ら通報してきたのです。友華ちゃんの死体を発見したと。友華ちゃんは被疑者の自宅にいました。被疑者がさらってきたのです」
スーパーのトイレだった。あそこで和樹がちょっと目を離した隙に、友華は変質者に誘拐されたのだ。
「被疑者は市内の高校に通う十七歳の少年です。あくまで死体は『発見』したと言っています。でもすぐに自分の犯した罪を認めるでしょう。われわれは少年だからといって手加減はしません。全力で締めあげます」
お願いしますと頭を下げると、熊野刑事は大股で歩き去った。
少年か。ぼんやりと思う。前科十犯の凶悪犯だったら良かったのに。それだとおそらく死刑になる。
少年だとならない。確か死刑相当の罪でも、無期懲役に下げられるのではなかったか。
ふと、熊野刑事に頼んで、そいつと密室で二人っきりにしてくれないかと考えた。
ほんの一分でいい。熊野刑事が部屋を出て行って、そっとドアを閉める。そしたらそいつの喉に指をかけて、思いっきり絞めあげる。
殺せる、と和樹は思った。おれにはできる。おれにできる唯一の正しい行動が、それだ。
やがて唐木署に、妻の両親と義弟が来た。
義母が保健室に駆け込んで、貴美子と抱き合って泣いた。
義弟の雅斗くんの運転する車で妻の実家に帰るとき、雅斗くんが言った。
「ニュース速報で出ましたよ。犯人は高校二年生だって。本当におれ、チャンスがあったら、そいつを殺しますよ」
雅斗くんは電気工事の仕事をやっていて、元柔道家の、俠気(おとこぎ)のある青年だった。うちに取材に来たマスコミにも、迷惑だから帰れと言って追い返してくれた。
「そいつの家とか名前は、すぐわかりますよ。ネットに出ますから。おれ、とことん調べますよ。犯人の家にも行ってみます」
ありがたい、と思った。しかしそいつはもう警察の手中にある。いくら殺したくとも、そのチャンスはなかった。
「ねえ、和樹さん。たぶんそいつ、刑務所に行っても、十年かそこらで出てくるでしょ? 今十七だから、三十前には晴れて自由の身ですよ。だからおれ、そのころになったら探偵を雇って、いつ刑務所を出るかを調べて、出てきたら殺します。おれも、十年後じゃまだ若くて力もありますから、やりますよ」
「雅斗くんは身体を押さえてくれ。おれが首を絞める」
実家に着いたら、貴美子の脚に力が入らず、車から降りられなかった。それを支えて立たせようとすると、激しく頭を振って叫んだ。発狂状態だ。
雅斗くんと二人でかかえて車から降ろす。玄関から和室へ。義母が布団を出す。妻を横にすると、ワーッと吠えて身をくねらせ、
「あんたが目を離したからっ! なんでっ! 常識でしょ! 気をつけてっていつも言ってたのに! あんたが殺したのよっ!」
どす黒い怒りが湧いた。
近所中に聞こえる声で言いやがって。それが夫に対する口の利き方か。
「和樹くん」
義父に腕を引っ張られた。気がついたら、拳を握っていた。
「今は普通の状態じゃない。すまんが、貴美子に感情を吐き出させてやってくれ」
つまり、と和樹は思う。このおれが友華を殺したっていうのが、妻の吐き出したかった本音だ。
「和樹くん。きみも泣いていい。泣くべきだよ」
義父を押しやって外へ出た。どいつもこいつも、ぶっ殺してやりたい。
門に着く前に、雅斗くんに追いつかれた。
「一緒にパソコンで、犯人のことを調べましょう。犯人は高二だ。車を持ってない。だからきっと、家も和樹さんちの近くですよ」
二階に行き、雅斗くんが出してくれた座蒲団に坐る。ぼんやりと、壁に貼ってあるロックスターのポスターを眺めた。スペース☆キングという名前らしい。その鋭く目を細めた反逆児のような面構えに、なぜか共感を覚えた。
携帯が鳴る。熊野刑事からだった。明日の午後には司法解剖が終わり、遺体を返せると言う。死因は絞殺でしょうかと訊くと、おそらくそうでしょうとのこと。取調べはわたしがやります、全部吐かせますよと、犯人への怒りを滲ませて言った。
警察よ、頑張ってくれ。あわよくば、法律も変わってくれ。裁判が始まる前に少年法が改正されて、十七歳だろうが十歳だろうが死刑が可能になれば、遺族は自分の手で復讐しなくても済む。
が、むろんそれは、無理な願いだった。
「和樹さん、訊いていいですか」
雅斗くんが、パソコンの画面をにらんだまま言った。
「友華ちゃんがいなくなったのは、川原町(かわらまち)のスーパー森ですよね。あそこのトイレに行ったあと、姿が見えなくなったんでしたね」
うんとうなずく。あんたのせいという言葉が浮かび、胸にキリが刺さる。
「まだ逮捕されて時間が経ってないんで、そんなに情報は出てないですけど、どうやら市立商業の二年生らしいという書き込みがあります。今からスーパー森に行ってみて、近くに市商(いちしょう)の生徒が住んでないか、聞き込みしてこようと思います」
「おれも行こう」
腰が浮いた。ここにいてもしょうがない。犯人の家がわかるかもしれないと聞くと、居ても立ってもいられなかった。
犯人自身は警察にいる。だが親は家にいるかもしれない。自宅が殺害現場なら、警察の検証にたった今も立ち会っている可能性がある。
行ってやる。親の顔を見てやる。
殺風景なタイル張りの部屋の、幅の狭い寝台に、友華(ともか)は寝ていた。
首に黒い痕がある。なにか紐状のもので絞められたらしい。いったいどうして、なんの罪もない三歳の女の子がこんなことをされるのかと、理解に苦しんだ。
名前を知らない刑事に肩を叩かれた。
「奥様が倒れられました。過呼吸を起こされたようです。署内の保健室のほうへお運びしますけど、村松さんもいらっしゃいますか?」
妻を保健室のベッドで休ませて、ソファで放心していると、熊野刑事が来た。
「村松さん、被疑者は逮捕されました」
「……はい」
「被疑者自ら通報してきたのです。友華ちゃんの死体を発見したと。友華ちゃんは被疑者の自宅にいました。被疑者がさらってきたのです」
スーパーのトイレだった。あそこで和樹がちょっと目を離した隙に、友華は変質者に誘拐されたのだ。
「被疑者は市内の高校に通う十七歳の少年です。あくまで死体は『発見』したと言っています。でもすぐに自分の犯した罪を認めるでしょう。われわれは少年だからといって手加減はしません。全力で締めあげます」
お願いしますと頭を下げると、熊野刑事は大股で歩き去った。
少年か。ぼんやりと思う。前科十犯の凶悪犯だったら良かったのに。それだとおそらく死刑になる。
少年だとならない。確か死刑相当の罪でも、無期懲役に下げられるのではなかったか。
ふと、熊野刑事に頼んで、そいつと密室で二人っきりにしてくれないかと考えた。
ほんの一分でいい。熊野刑事が部屋を出て行って、そっとドアを閉める。そしたらそいつの喉に指をかけて、思いっきり絞めあげる。
殺せる、と和樹は思った。おれにはできる。おれにできる唯一の正しい行動が、それだ。
やがて唐木署に、妻の両親と義弟が来た。
義母が保健室に駆け込んで、貴美子と抱き合って泣いた。
義弟の雅斗くんの運転する車で妻の実家に帰るとき、雅斗くんが言った。
「ニュース速報で出ましたよ。犯人は高校二年生だって。本当におれ、チャンスがあったら、そいつを殺しますよ」
雅斗くんは電気工事の仕事をやっていて、元柔道家の、俠気(おとこぎ)のある青年だった。うちに取材に来たマスコミにも、迷惑だから帰れと言って追い返してくれた。
「そいつの家とか名前は、すぐわかりますよ。ネットに出ますから。おれ、とことん調べますよ。犯人の家にも行ってみます」
ありがたい、と思った。しかしそいつはもう警察の手中にある。いくら殺したくとも、そのチャンスはなかった。
「ねえ、和樹さん。たぶんそいつ、刑務所に行っても、十年かそこらで出てくるでしょ? 今十七だから、三十前には晴れて自由の身ですよ。だからおれ、そのころになったら探偵を雇って、いつ刑務所を出るかを調べて、出てきたら殺します。おれも、十年後じゃまだ若くて力もありますから、やりますよ」
「雅斗くんは身体を押さえてくれ。おれが首を絞める」
実家に着いたら、貴美子の脚に力が入らず、車から降りられなかった。それを支えて立たせようとすると、激しく頭を振って叫んだ。発狂状態だ。
雅斗くんと二人でかかえて車から降ろす。玄関から和室へ。義母が布団を出す。妻を横にすると、ワーッと吠えて身をくねらせ、
「あんたが目を離したからっ! なんでっ! 常識でしょ! 気をつけてっていつも言ってたのに! あんたが殺したのよっ!」
どす黒い怒りが湧いた。
近所中に聞こえる声で言いやがって。それが夫に対する口の利き方か。
「和樹くん」
義父に腕を引っ張られた。気がついたら、拳を握っていた。
「今は普通の状態じゃない。すまんが、貴美子に感情を吐き出させてやってくれ」
つまり、と和樹は思う。このおれが友華を殺したっていうのが、妻の吐き出したかった本音だ。
「和樹くん。きみも泣いていい。泣くべきだよ」
義父を押しやって外へ出た。どいつもこいつも、ぶっ殺してやりたい。
門に着く前に、雅斗くんに追いつかれた。
「一緒にパソコンで、犯人のことを調べましょう。犯人は高二だ。車を持ってない。だからきっと、家も和樹さんちの近くですよ」
二階に行き、雅斗くんが出してくれた座蒲団に坐る。ぼんやりと、壁に貼ってあるロックスターのポスターを眺めた。スペース☆キングという名前らしい。その鋭く目を細めた反逆児のような面構えに、なぜか共感を覚えた。
携帯が鳴る。熊野刑事からだった。明日の午後には司法解剖が終わり、遺体を返せると言う。死因は絞殺でしょうかと訊くと、おそらくそうでしょうとのこと。取調べはわたしがやります、全部吐かせますよと、犯人への怒りを滲ませて言った。
警察よ、頑張ってくれ。あわよくば、法律も変わってくれ。裁判が始まる前に少年法が改正されて、十七歳だろうが十歳だろうが死刑が可能になれば、遺族は自分の手で復讐しなくても済む。
が、むろんそれは、無理な願いだった。
「和樹さん、訊いていいですか」
雅斗くんが、パソコンの画面をにらんだまま言った。
「友華ちゃんがいなくなったのは、川原町(かわらまち)のスーパー森ですよね。あそこのトイレに行ったあと、姿が見えなくなったんでしたね」
うんとうなずく。あんたのせいという言葉が浮かび、胸にキリが刺さる。
「まだ逮捕されて時間が経ってないんで、そんなに情報は出てないですけど、どうやら市立商業の二年生らしいという書き込みがあります。今からスーパー森に行ってみて、近くに市商(いちしょう)の生徒が住んでないか、聞き込みしてこようと思います」
「おれも行こう」
腰が浮いた。ここにいてもしょうがない。犯人の家がわかるかもしれないと聞くと、居ても立ってもいられなかった。
犯人自身は警察にいる。だが親は家にいるかもしれない。自宅が殺害現場なら、警察の検証にたった今も立ち会っている可能性がある。
行ってやる。親の顔を見てやる。