もう時間は零時に近かった。しかし多美さんは、今すぐ来てほしいと言った。

「わたしと純亜くんの子が殺されるかもしれないの。わたし一人の力じゃきっと止められない。だから、急いでうちに来て」

 一刻の猶予もないのだと言う。ぼくは空腹で死にそうだったが、ともかくカプチーノを走らせた。

 事情はまったくわからない。せめてこの先どうなるかをミス・コケティッシュに視てもらおうと思ったが、まだぼくに怒っているのか、電話をかけても出なかった。

 多美さんのアパートに着いた。二〇三号室のインターホンを押す。彼女がドアを開ける。ドキンと心臓が跳ねた。

 ぼくの子を産んだ女性。ぼくより五歳年上の、大人の女性。

 やっぱりこの人と、結婚しよう。

「痩せたのね、坊や」

 声がとても、色っぽい。

「今ぼく、十三キロだよ」

「ほんとに?」

「多美さんは変わらないね、ちっとも」

「ありがとう。寝てるけど、見る?」

「なにを?」

「わたしたちの子」

 胸に抱いてきた。寝ていた。閉じた目がキュッとつりあがっている。

「よく寝てるね。しゃべってても起きない?」

「全然。地震でも雷でも起きないわ」

「三歳?」

「そう。名前はね、純っていうの」

「え?」

「純亜くんから一文字とったのよ。さあ、時間がないの。今すぐわたしの車に乗って」

 純ちゃんを抱いた多美さんの後ろから階段を降り、アパートの駐車場に行った。多美さんの車は、シルバーのフィアット500だった。

 後部座席のチャイルドシートに乗せられるあいだも、純ちゃんは熟睡していた。

「純亜くん、スポーツバッグに入れる?」

「バッグ?」

 多美さんが紺色のスポーツバッグを持ってきた。果たしてこんなものに、大人の男が入ることなどできるだろうか?

 楽々入れた。

「すごい、ハンペンを曲げたみたい」

 多美さんにチャックを締められ、ひょいと持ちあげられた。

「息ができるように、少しチャックを開けとくからね。いよいよ純が危ないとなったら全開にするから、そしたら出てきて」

「ごめん、状況を教えてくれる?」

 後部座席の床に置かれて、まるで密入国する犯罪者になった気分で訊くと、

「説明してる暇はないの。今からこの車に、殺人犯と、そいつに子どもを殺された父親が乗ってくるから。この二人がドライブするのは避けられない運命だったの。とにかく純亜くんは、純を守って。わかった?」

 なに一つわからない。

 わかっているのは、ただ一つ。

 首尾よく務めを果たせたら、ぼくは多美さんを妻にして、一緒に純ちゃんを育てるのだ。