「ありがとう、坊や」
そう言って、電話は一方的に切れた。
バカにしちょる。ぼくはもう三十三だぞ。探偵だぞ。
そりゃま、見た目が坊ちゃんみたいなのは知ってるさ。どういうわけか顔は小学五年生のまま。身長も百三十八センチで止まった。
だからって、大人に向かって坊やと呼んでいい法はない。ぼくも男だ。プライドってもんがある。ぼくはハードボイルド・ヒーローを目指してる。裁くのはぼく、蝶舌純亜【ちょうぜつ・ぴゅあ】だ。
けど、さ。
今、電話してきた彼女、けっこうイケるんだ。
一年前に一回会っただけなんだけどね。切れ長の怪しい目をしててさ、いかにも大人の女性って感じで。
太ももがパツンパツンに太かった。ぼくはそれを見て、ブラジルのサンバ・ダンサーを思い出した。名前は多美さんといって、純和風なんだけどね。
とにかく、彼女の印象は強烈だった。ときどき夢に出てくるくらい。夢の中で多美さんは、いつも三羽の七面鳥と一緒にサンバを踊ってた。ま、そんな女性さ。
彼女、さっきの電話で、ギョッとすることを言った。
「信じられないけど、あなたの言ったとおりだった。本当に、元気な女の子が産まれたわ! ありがとう、坊や」
「…………」
ぼくはなんにも言えず、切れたスマホ画面を、凶のおみくじを引いたみたいに見つめた。
「やっちゃった」
思わずつぶやいて、自宅兼事務所の革張りのソファにひっくり返った。
ジーンズの尻ポケットからスキットルを出して、グイと呷る。中身はつぶつぶオレンジだ。これ、幼稚園のときからずっと好きなんだよねー。
そうか。やっぱりあのときベビーが――
あれはおよそ一年前、ちょうど今夜と同じ、いやに蒸し暑い夜だった。
「彼女、女の子が欲しいんだって」
そう言って、ミス・コケティッシュが連れてきたのが、海野多美さんだった。
「すごい超能力者ね。わたしの望みを見抜かれちゃった」
多美さんは、ミス・コケティッシュの力に度肝を抜かれていた。ま、ぼくも最初はそうだったけど、今じゃすっかり慣れっこさ。
「で、あなたに会うように言われて来たんだけど……」
戸惑っていた。ぼくは正直、嬉しくなかった。
「純亜、手をつないであげなさい。そうしたら、女の子ができるカラ」
ミス・コケティッシュが、例のソプラノ声で言った。例のってのは、ほらそのあれ、「ワレワレハ、宇宙人ダ」みたいな、変テコな高い声って意味だけど。
「嫌だよ。手をつなぐなんて……羞ずかしい」
抵抗すると、ミス・コケティッシュは興奮して声を荒らげ、
「依頼人の、依頼、断わるノカ!」
こうなっちゃうと、ぼくはいつもうんざりして、ミス・コケティッシュに負けてしまう。
「わかったよ。つなぐけどさ、やだなあ、女の人とそんなことするなんて」
多美さんの差し出した右手の指先を、指先でちょんとつまんだ。
電流が走った。イケナイことをしたっていう罪悪感。
そっと唇を噛んだ。
こんなこと、本当はするべきじゃない。手をつないでいいのは、一生に一人、心から愛したヒトだけって決めてたのに……
「いったいこれが、なに?」
手を離すと多美さんが言った。よく見ると、とてもキレイな人だった。
まぶしい。
多美さんの目をまともに見れずに、頬が朱く染まっていくのを意識しながら、
「だって、手をつないだら、子どもができちゃうでしょ?」
沈黙。ぼくはたまらず、両手で顔を覆った。
「帰るわ」
多美さんは突然立ち上がり、くるっと背中を向けて帰った。タイトなワンピースの裾から覗いた太ももを、左右にプリンプリン揺らしながら。
ぼくはヤケ酒、じゃなかった、ヤケオレンジを呷って、
「あーあ、もうあの人と、結婚するしかないかなあー」
するとミス・コケティッシュが、ずうずうしくソファのぼくの横に坐り、
「どうして?」
首を四十五度に傾けて、真っ赤なルージュの唇をペロペロ舐めて言った。
「よしなよ、唇舐める癖。なんかおかしいよ」
「でもこれは、地球人……じゃなかった、世の中の男を研究して、好感を持たれると判明した仕種ナンダヨ!」
「日本語もいつまで経っても変だしさ。あとさあ、もっと普通の依頼を探してきてよ。料金貰い損ねちゃったじゃない」
「どうしてさっきの女と結婚スル?」
「手をつないじゃったもん」
「いいことしたね、純亜。あの女、ベビーが欲しかったヨ」
「……ぼく、父親になるの?」
「ほっとけ。ガキは勝手に育つ」
「それでいいのかなあ……」
ぼくはこのときほど、女性を理解できないと思ったことはない。
子どもが欲しいんなら、好きになった男性と結婚して、手をつなげばいい。
見ず知らずの探偵にそれを頼んで、できたベビーは、いったいどうする気だろう。
自分一人で育てる? それとも、ぼく以外の誰かを父親代わりにする? そのぼく以外の男性は、もしかして、子どもをつくるための両手がないのかな?
『本当に、元気な女の子が産まれたわ!』
さっきの多美さんの嬉しそうな声を思い出しながら、おいおいそれでいいのかよと、心で突っ込みながらスキットルを傾けた。
そのとき、スマホが鳴った。多美さんか、と思って手に取ると、ミス・コケティッシュだった。
「純亜、仕事ダヨ」
そう言って、電話は一方的に切れた。
バカにしちょる。ぼくはもう三十三だぞ。探偵だぞ。
そりゃま、見た目が坊ちゃんみたいなのは知ってるさ。どういうわけか顔は小学五年生のまま。身長も百三十八センチで止まった。
だからって、大人に向かって坊やと呼んでいい法はない。ぼくも男だ。プライドってもんがある。ぼくはハードボイルド・ヒーローを目指してる。裁くのはぼく、蝶舌純亜【ちょうぜつ・ぴゅあ】だ。
けど、さ。
今、電話してきた彼女、けっこうイケるんだ。
一年前に一回会っただけなんだけどね。切れ長の怪しい目をしててさ、いかにも大人の女性って感じで。
太ももがパツンパツンに太かった。ぼくはそれを見て、ブラジルのサンバ・ダンサーを思い出した。名前は多美さんといって、純和風なんだけどね。
とにかく、彼女の印象は強烈だった。ときどき夢に出てくるくらい。夢の中で多美さんは、いつも三羽の七面鳥と一緒にサンバを踊ってた。ま、そんな女性さ。
彼女、さっきの電話で、ギョッとすることを言った。
「信じられないけど、あなたの言ったとおりだった。本当に、元気な女の子が産まれたわ! ありがとう、坊や」
「…………」
ぼくはなんにも言えず、切れたスマホ画面を、凶のおみくじを引いたみたいに見つめた。
「やっちゃった」
思わずつぶやいて、自宅兼事務所の革張りのソファにひっくり返った。
ジーンズの尻ポケットからスキットルを出して、グイと呷る。中身はつぶつぶオレンジだ。これ、幼稚園のときからずっと好きなんだよねー。
そうか。やっぱりあのときベビーが――
あれはおよそ一年前、ちょうど今夜と同じ、いやに蒸し暑い夜だった。
「彼女、女の子が欲しいんだって」
そう言って、ミス・コケティッシュが連れてきたのが、海野多美さんだった。
「すごい超能力者ね。わたしの望みを見抜かれちゃった」
多美さんは、ミス・コケティッシュの力に度肝を抜かれていた。ま、ぼくも最初はそうだったけど、今じゃすっかり慣れっこさ。
「で、あなたに会うように言われて来たんだけど……」
戸惑っていた。ぼくは正直、嬉しくなかった。
「純亜、手をつないであげなさい。そうしたら、女の子ができるカラ」
ミス・コケティッシュが、例のソプラノ声で言った。例のってのは、ほらそのあれ、「ワレワレハ、宇宙人ダ」みたいな、変テコな高い声って意味だけど。
「嫌だよ。手をつなぐなんて……羞ずかしい」
抵抗すると、ミス・コケティッシュは興奮して声を荒らげ、
「依頼人の、依頼、断わるノカ!」
こうなっちゃうと、ぼくはいつもうんざりして、ミス・コケティッシュに負けてしまう。
「わかったよ。つなぐけどさ、やだなあ、女の人とそんなことするなんて」
多美さんの差し出した右手の指先を、指先でちょんとつまんだ。
電流が走った。イケナイことをしたっていう罪悪感。
そっと唇を噛んだ。
こんなこと、本当はするべきじゃない。手をつないでいいのは、一生に一人、心から愛したヒトだけって決めてたのに……
「いったいこれが、なに?」
手を離すと多美さんが言った。よく見ると、とてもキレイな人だった。
まぶしい。
多美さんの目をまともに見れずに、頬が朱く染まっていくのを意識しながら、
「だって、手をつないだら、子どもができちゃうでしょ?」
沈黙。ぼくはたまらず、両手で顔を覆った。
「帰るわ」
多美さんは突然立ち上がり、くるっと背中を向けて帰った。タイトなワンピースの裾から覗いた太ももを、左右にプリンプリン揺らしながら。
ぼくはヤケ酒、じゃなかった、ヤケオレンジを呷って、
「あーあ、もうあの人と、結婚するしかないかなあー」
するとミス・コケティッシュが、ずうずうしくソファのぼくの横に坐り、
「どうして?」
首を四十五度に傾けて、真っ赤なルージュの唇をペロペロ舐めて言った。
「よしなよ、唇舐める癖。なんかおかしいよ」
「でもこれは、地球人……じゃなかった、世の中の男を研究して、好感を持たれると判明した仕種ナンダヨ!」
「日本語もいつまで経っても変だしさ。あとさあ、もっと普通の依頼を探してきてよ。料金貰い損ねちゃったじゃない」
「どうしてさっきの女と結婚スル?」
「手をつないじゃったもん」
「いいことしたね、純亜。あの女、ベビーが欲しかったヨ」
「……ぼく、父親になるの?」
「ほっとけ。ガキは勝手に育つ」
「それでいいのかなあ……」
ぼくはこのときほど、女性を理解できないと思ったことはない。
子どもが欲しいんなら、好きになった男性と結婚して、手をつなげばいい。
見ず知らずの探偵にそれを頼んで、できたベビーは、いったいどうする気だろう。
自分一人で育てる? それとも、ぼく以外の誰かを父親代わりにする? そのぼく以外の男性は、もしかして、子どもをつくるための両手がないのかな?
『本当に、元気な女の子が産まれたわ!』
さっきの多美さんの嬉しそうな声を思い出しながら、おいおいそれでいいのかよと、心で突っ込みながらスキットルを傾けた。
そのとき、スマホが鳴った。多美さんか、と思って手に取ると、ミス・コケティッシュだった。
「純亜、仕事ダヨ」