「桐賀君、急に声かけてごめんね。説明したいから、ちょっと座ってもらっていいかな?」
「あ、はい」

 促されるまま、一番近くにあったパイプ椅子に座る。


「7月中旬に提出締切の短編映画のコンクールがあってね、そこに出そうと思ってるの。あ、もちろん秋の文化祭でも流す予定よ? で、もうすぐ脚本が仕上がる予定なんだけど、撮影場所のイメージが膨らんでないところがあったから、良い場所教えてほしくてね。さっきの石名(いしな)渓谷がメインになると思うんだけど……あ、そうそう、スズちゃんもソウ君も写真見て! すっごく良い感じのロケ地!」

 川も見渡せる土手の写真を表示してスマホを渡すと、颯士さんも月居も、「おおっ、こりゃすげえ!」「いいね」と目を丸くした。

「ね、いいでしょ。でもここから結構遠いみたいだから、桐賀君に案内してもらおうと思って」

 俺の方から2人に、さっき桜さんに話したことを補足する。
 去年7月に引っ越してきて、唯一公立で欠員があったここに転校してきたこと。40~50分電車に揺られて来ている自分の家から、渓谷は逆方向に30分くらいかかること。

「そうか、電車通学なのか。オレ達はみんなバスや自転車だからなあ」
「近い方が楽ですよ、朝眠いですし」

 俺の出した具体的な愚痴に、颯士さんは「早いのは辛い」と口をすぼめた。


「でね、桐賀君。案内ももちろん理由の一つなんだけど、本当は純粋に人手が足りないってのもあるの」
 そう言って、桜さんは困ったような笑みを見せて右の頬を掻く。

「だから、ロケ地の案内以外にも色々協力してもらうことになると思うんだけど……もしよかったら、この作品だけでもいいから仮入部で手伝ってほしいな。締切は7月17日金曜だから、夏休みには被らないし」


 窓の外で、俺の動機が激しくなる合図のように、運動部のホイッスルがピイッと響く。


 そして、3秒もない沈黙の後、俺は口元をクッと緩めた。

「分かりました。せっかくお誘い頂いたので、まずは仮入部で7月まで頑張ろうと思います!」
「ホント! 嬉しい、ありがとね!」




 好奇心が勝った。

 彼女が、浮園(うきぞの)愛理(あいり)が、文字通り「死ぬほど」のめり込んだ映画制作とはどんなものなのか、知れるチャンスだ。

 そうしたら、あの時を境に、いきなり電池を抜いた時計のように止まってしまった時間が、動きだすかもしれない。



 付き合っていた当時はまだ中学生で、俺も自分の話ばっかりで向こうの話なんか全然聞かなかったから、どんなことをやっていたのか、よく知らない。

 彼女がいなくなってからしばらくの間は、映画制作に関することは意識的に避けていたけど、2年経って、今はやや冷静に受け止められる。


 そして、このタイミングで入部を誘われた。しかもロケする場所は、あの渓谷。

 運命のいたずら、なんて使い古された表現だけど、そんなものを信じてみたくなった。




「葉介、よろしくな!」
「桐賀君、よろしくね!」

 俺の手を取って、ブンブンと上下に振る桜さん。颯士さんと月居の小さな拍手に重なって、祝福するかのように吹奏楽部の合奏が聞こえてくる。



 5月27日。去年とも一昨年とも、全く違う夏が始まる。