「ほいじゃ、先に帰るね。キリ君、また明日!」
「葉介、お疲れ!」
まずは先輩2人、それに続いて涼羽が赤いヘッドホンを準備しながら「じゃ」と帰っていった。
しばらくこの部室は俺だけの世界。スマホでフリー音源のサイトを開き、検索しながら佳澄と和志の距離感に合いそうな曲を選んでいく。
ふむふむ、さっき候補に選んだ曲も良かったけど、こっちもアコースティックギターの音色が心地良いな。カフェのシーンと繋がってるから、ボサノバっぽいのがマッチするかもしれない。よし、やっぱりどっちも候補に入れよう。
「映像、スマホで見られるようにしておけば良かった……あれ?」
ふと視線をあげ、テーブルに置かれていたパステルピンクの物体に目を留める。布製でスリムなそのペンケースは、桜さんのものだった。
「よし!」
バトンのように握って、部室を飛び出す。ひょっとしたら間に合うかもしれない。
あの3人、帰る方向がバラバラのはず。うまく追いつければ、桜さんと少し話せるかも。
何の根拠もないけど、間に合う気がする。今は何となく、人生が上向いてる気分。
あと2週間弱で完成、それが終わったら夏休みだ。
部活はあるのかな。会えるといいな。
こうして願望を思い浮かべていると、部活に没頭して意識しないようにしていた自分の想いが、ゆっくりと輪郭を帯びていくのが分かる。
階段を一段飛ばしで降り、1階へ。シューズロッカーに向かって廊下を走っていると、途中の窓から桜さんが見えた。駐輪場から正門へ向かっている。
ほら、やっぱり間に合った。
「桜さ——」
気が逸って窓を開ける前から名前を叫ぼうとしたその時、慌てて自分の口を押さえた。
誰かが一緒にいる。自転車を押しているその相手は、颯士さんだった。
なんで颯士さんと一緒に駐輪場に? 桜さんはバス帰りなのに?
そんな疑問は、あっという間に氷解していく。
右手でハンドルを上手に固定して、片手で自転車を押す颯士さん。その左手が、彼女の頭を撫でている。
辛うじて残っている西日のせいで、2人の楽しそうに笑う表情がはっきり見えた。
やがて彼は手を下へ降ろし、彼女の右手を握る。
そのまま、こちらに気付くこともなく、去っていった。
「あ…………」
それ以上、声は出ない。その場にへたり込んだりもしない。
ただただ、もう一人の俺が「何してるんだか」と心臓を握っているかのように、胸がぎゅっと締め付けられた。
どんなルートを辿ったかも曖昧なまま部室に戻り、ペンケースを元に戻して、力なく鞄を持ち上げる。
そういえば今日は七夕だったなあ、短冊にお願いしておけば良かったなあ、なんてバカなことを思いながら、脚本も絵コンテも置き忘れて、気が付いたら駅に向かい、家へ戻っていた。
自分の部屋に帰ってきたものの何もする気になれず、常夜灯の僅かなオレンジが照らす中、椅子に腰かけて項垂れる。
最低限の迷惑はかけないようにと「体調が悪くなっているので、明日学校に行けないかもしれません」と一言入れるのが精いっぱいの思いやり。
その後はずっと、影で塗りたくられた壁を見ていた。
ずっと、この感情に名前をつけることが怖くて、踏み込まないようにしていた。
でも今、その正体がはっきり分かる。そして、気付いたところでどうしようもないことも。
これが恋だと知ったときには、もう終わっていた。
「葉介、お疲れ!」
まずは先輩2人、それに続いて涼羽が赤いヘッドホンを準備しながら「じゃ」と帰っていった。
しばらくこの部室は俺だけの世界。スマホでフリー音源のサイトを開き、検索しながら佳澄と和志の距離感に合いそうな曲を選んでいく。
ふむふむ、さっき候補に選んだ曲も良かったけど、こっちもアコースティックギターの音色が心地良いな。カフェのシーンと繋がってるから、ボサノバっぽいのがマッチするかもしれない。よし、やっぱりどっちも候補に入れよう。
「映像、スマホで見られるようにしておけば良かった……あれ?」
ふと視線をあげ、テーブルに置かれていたパステルピンクの物体に目を留める。布製でスリムなそのペンケースは、桜さんのものだった。
「よし!」
バトンのように握って、部室を飛び出す。ひょっとしたら間に合うかもしれない。
あの3人、帰る方向がバラバラのはず。うまく追いつければ、桜さんと少し話せるかも。
何の根拠もないけど、間に合う気がする。今は何となく、人生が上向いてる気分。
あと2週間弱で完成、それが終わったら夏休みだ。
部活はあるのかな。会えるといいな。
こうして願望を思い浮かべていると、部活に没頭して意識しないようにしていた自分の想いが、ゆっくりと輪郭を帯びていくのが分かる。
階段を一段飛ばしで降り、1階へ。シューズロッカーに向かって廊下を走っていると、途中の窓から桜さんが見えた。駐輪場から正門へ向かっている。
ほら、やっぱり間に合った。
「桜さ——」
気が逸って窓を開ける前から名前を叫ぼうとしたその時、慌てて自分の口を押さえた。
誰かが一緒にいる。自転車を押しているその相手は、颯士さんだった。
なんで颯士さんと一緒に駐輪場に? 桜さんはバス帰りなのに?
そんな疑問は、あっという間に氷解していく。
右手でハンドルを上手に固定して、片手で自転車を押す颯士さん。その左手が、彼女の頭を撫でている。
辛うじて残っている西日のせいで、2人の楽しそうに笑う表情がはっきり見えた。
やがて彼は手を下へ降ろし、彼女の右手を握る。
そのまま、こちらに気付くこともなく、去っていった。
「あ…………」
それ以上、声は出ない。その場にへたり込んだりもしない。
ただただ、もう一人の俺が「何してるんだか」と心臓を握っているかのように、胸がぎゅっと締め付けられた。
どんなルートを辿ったかも曖昧なまま部室に戻り、ペンケースを元に戻して、力なく鞄を持ち上げる。
そういえば今日は七夕だったなあ、短冊にお願いしておけば良かったなあ、なんてバカなことを思いながら、脚本も絵コンテも置き忘れて、気が付いたら駅に向かい、家へ戻っていた。
自分の部屋に帰ってきたものの何もする気になれず、常夜灯の僅かなオレンジが照らす中、椅子に腰かけて項垂れる。
最低限の迷惑はかけないようにと「体調が悪くなっているので、明日学校に行けないかもしれません」と一言入れるのが精いっぱいの思いやり。
その後はずっと、影で塗りたくられた壁を見ていた。
ずっと、この感情に名前をつけることが怖くて、踏み込まないようにしていた。
でも今、その正体がはっきり分かる。そして、気付いたところでどうしようもないことも。
これが恋だと知ったときには、もう終わっていた。