「さて、大きな見せ場ね、佳澄」

 撮影場所を移し、川にやってきた。壮年のカップルや老夫婦が川をなぞるように散歩していたが、幸いにも騒いでいるグループは見当たらない。

「カットの動き確認していくわよ。まずここで……」

 これから撮るのは、ストーリーのラスト。和志が告白されたことを知り、強がって逃げるように去った佳澄が、川に石を投げながら泣くシーン。

「耳タコだろうけど、無理に涙出さなくて大丈夫よ。編集やアングルでカバーできるし、ちゃんと心で泣いてれば分かるからね」
「はい、ありがとうございます」

 これまでに3回くらい、桜さんは佳澄さんに同じことを言っている。
 無理に泣こうとして顔を強張らせたり瞬きを我慢したりするくらいなら、辛い表情だけで十分に観客には伝わる、ということだろう。

「香坂、こっちももう少しで準備できるぞ」

 颯士さんと協力して三脚を立てる。石の場所は不安定なのでグラつきやすく、積んだ石で脚を挟み込むようにしてなんとか固定した。

 よし、重要なシーンだ。気合入れてレフ板をやろう。

「それじゃ、撮影はじめます! カット268、ようい……アクション!」


 陽菜がカチンコを鳴らし、レフ板を当てる相手、佳澄が川の際まで走ってきた、その時だった。


『川遊び注意! 水難事故がありました!』


 カメラに入らない位置、看板の文字が目に入る。そしてそれは、幾度となく思い出している彼女を強烈に思い出させた。


 トンッ


 レフ板を持ったまま、膝を付く。すぐさま、手を挙げた。

「ごめんなさい、カットで! 急にお腹痛くなっちゃって!」
「おっと、カットカット! キリ君、大丈夫?」

 心配そうに眉尻を下げる桜さん。颯士さんも駆け寄ってくる中、俺も申し訳なさそうに、手刀を落とす。


「すぐトイレ行ってくるんで、撮影進めててください」


 うまくごまかしたまま、レフ板を陽菜に渡し、5分くらい歩いた先にあるトイレに駆け込む。

 ここに用があったのは本当だけど、痛かったのはお腹ではなく、頭だった。


「ぐ……う……う…………」


 強烈な頭痛と眩暈、そして吐き気。


 日射病の類ではなさそう。これはもっと、メンタル面の話。


 これまでは、川を景色の一部として見ていた。桜さんと来たときも、こんなに近くまでは来なかったし、持っていたのは絵コンテだけだった。

 でも今、カメラやマイクを用意して、役者が立って。前日に雨が降ったあの川を前にして、映画制作と川が完全に結びついてしまった。
 その光景を初めて目にし、俺の脳に不具合が起きたらしい。


 彼女が映画の準備をしていたあの場所で、流れに沈んだあの場所で、自分は映画を撮っている。

 時間を超えた邂逅は感動的でもなく、ただただ、嬉しさも悲しさも寂しさも全部ぐちゃぐちゃに丸めた、どうにも形容しがたい感情が脳に巣食い、ギリリと痛みを残していく。


 すう、はあ、とゆっくり深呼吸を繰り返す。


 大丈夫、落ち着いて戻ろう。もしこれがトラウマみたいなもので、また再発しても、そのときは「腹痛が治らないので」と謝って休めばいい。そう思っていれば、多少は気が楽になる。