父の仕事小屋兼住居へと入っていく小道にさしかかると、私はそこで車を停めてもらい、後は歩いて行くことにした。
「本当に大丈夫なの?」
母は何度も確かめたが、父に会わずに髪振町を出ることはできない。
「大丈夫だから……」
砂利を踏んで進むと、母屋の隣にハナちゃんの軽トラックが停まっているのが見えた。
「あ……!」
いつもと同じ光景に、私は喜び勇んで歩を進める。
しかしどれほども進まないうちに、やはり『いつもどおり』ではないことに気がついた。
父とハナちゃんが手入れし、雑草一本も生えていなかったあの庭が、草に覆われている。
躑躅も山茶花も枝が伸び放題で、松や梅の木には蔓草が巻きつき、果樹はそもそも植えられてもいなかった。
「そんな……」
がくりとその場に膝をついてしまいそうな足を励まし、私は母屋の正面に回りこむ。
入り口の引き戸は少し斜めになっており、長年使われていないように見えた。
縁側も、木製の雨戸が閉めきられており、中を覗くことさえできない。
「…………」
泣きだしてしまいたい気持ちを必死にこらえ、私は父の仕事小屋へ急いだ。
窯が使われている形跡がないのは、遠くからでも一目でわかる。
隣に建つ部屋は、破れた窓をガムテープや木の板で修繕されており、開きっぱなしの入り口から覗いてみても、中に人の気配はなかった。
「お父さん……」
我慢できずに泣きだした私は、この町へ来てからずっと首から提げていたペンダントが、なくなっていることに、はっと気がつく。
溢れる涙を必死に手の甲で拭いながら、父の仕事部屋へ足を踏み入れた。
(こんなの嫌だよ……!)
部屋いっぱいに父が置いていたテーブルはなく、もちろんその上にところ狭しと並べられていた焼きものもない。
代わりに古い木製の机とイーゼルがあり、大きさの様々なキャンバスが雑に地面に置かれ、上から布を掛けられていた。
私は近くにあったものを捲り、一つ持ち上げて手で埃を払ってみる。
「これって……」
綺麗な油絵だった。
髪振町の景色が見事に描かれている。
一つ、また一つと順に確かめてみたのは、父が私に写真を送ってくれた風景と、重複しているものが多かったからだ。
(まさかお父さんが……?)
しかし私の記憶にある限りでは、父は昔も今も、絵は描かない。
焼きものに絵入れならばしているが、それは祖父の作品と、私の絵に影響されてやってみたのだと笑っていた。
(じゃあ、これは誰が……?)
不思議に思いながら絵を漁っているうちに、その一枚に巡りあった。
「そんな!」
驚愕して、何度も見直さずにはいられない。
それは夕日に染まる髪振町を、高い場所から眺めた光景を、一枚のキャンバスに収めた絵だった。
茜色に照らされた雲の中に、少女の横顔が見え隠れするその絵は、私が見たことのあるものだ。
モデルとなっただろう人物を、深く考えもせずに言い当ててしまい、描き主をおおいに慌てさせたものだ。
「誠さん……?」
いったいどうして彼の絵がこんなところにと首を傾げた時、部屋の入り口のほうから鋭い声がした。
「誰じゃ? そこで何をしちょる?」
呼びかけはかなり厳しい声音で、私はあきらかに不審者扱いされているのに、その声を耳にして、私は嬉しくて涙が止まらなかった。
「ハナちゃん!」
絵を抱えたまま駆け寄ってきた私に、小柄な老婆は動揺する。
「なんじゃ? なんでその名前を知っちょる……?」
私に抱きつかれ、あたふたとしながら、それでも訝る態度は崩さない。
「ここにはなんもねえぞ! 金になるようなものはなんもねえ!」
空き巣を追い払おうという気概を示してみせるが、私はそんなものは気にもせず、ぎゅうぎゅうとハナちゃんに抱きつき続ける。
『あなたこそが、今の私にとっては何にも代えられない大切な存在だ』とは、さすがに口に出しては言えなかった。
「本当に大丈夫なの?」
母は何度も確かめたが、父に会わずに髪振町を出ることはできない。
「大丈夫だから……」
砂利を踏んで進むと、母屋の隣にハナちゃんの軽トラックが停まっているのが見えた。
「あ……!」
いつもと同じ光景に、私は喜び勇んで歩を進める。
しかしどれほども進まないうちに、やはり『いつもどおり』ではないことに気がついた。
父とハナちゃんが手入れし、雑草一本も生えていなかったあの庭が、草に覆われている。
躑躅も山茶花も枝が伸び放題で、松や梅の木には蔓草が巻きつき、果樹はそもそも植えられてもいなかった。
「そんな……」
がくりとその場に膝をついてしまいそうな足を励まし、私は母屋の正面に回りこむ。
入り口の引き戸は少し斜めになっており、長年使われていないように見えた。
縁側も、木製の雨戸が閉めきられており、中を覗くことさえできない。
「…………」
泣きだしてしまいたい気持ちを必死にこらえ、私は父の仕事小屋へ急いだ。
窯が使われている形跡がないのは、遠くからでも一目でわかる。
隣に建つ部屋は、破れた窓をガムテープや木の板で修繕されており、開きっぱなしの入り口から覗いてみても、中に人の気配はなかった。
「お父さん……」
我慢できずに泣きだした私は、この町へ来てからずっと首から提げていたペンダントが、なくなっていることに、はっと気がつく。
溢れる涙を必死に手の甲で拭いながら、父の仕事部屋へ足を踏み入れた。
(こんなの嫌だよ……!)
部屋いっぱいに父が置いていたテーブルはなく、もちろんその上にところ狭しと並べられていた焼きものもない。
代わりに古い木製の机とイーゼルがあり、大きさの様々なキャンバスが雑に地面に置かれ、上から布を掛けられていた。
私は近くにあったものを捲り、一つ持ち上げて手で埃を払ってみる。
「これって……」
綺麗な油絵だった。
髪振町の景色が見事に描かれている。
一つ、また一つと順に確かめてみたのは、父が私に写真を送ってくれた風景と、重複しているものが多かったからだ。
(まさかお父さんが……?)
しかし私の記憶にある限りでは、父は昔も今も、絵は描かない。
焼きものに絵入れならばしているが、それは祖父の作品と、私の絵に影響されてやってみたのだと笑っていた。
(じゃあ、これは誰が……?)
不思議に思いながら絵を漁っているうちに、その一枚に巡りあった。
「そんな!」
驚愕して、何度も見直さずにはいられない。
それは夕日に染まる髪振町を、高い場所から眺めた光景を、一枚のキャンバスに収めた絵だった。
茜色に照らされた雲の中に、少女の横顔が見え隠れするその絵は、私が見たことのあるものだ。
モデルとなっただろう人物を、深く考えもせずに言い当ててしまい、描き主をおおいに慌てさせたものだ。
「誠さん……?」
いったいどうして彼の絵がこんなところにと首を傾げた時、部屋の入り口のほうから鋭い声がした。
「誰じゃ? そこで何をしちょる?」
呼びかけはかなり厳しい声音で、私はあきらかに不審者扱いされているのに、その声を耳にして、私は嬉しくて涙が止まらなかった。
「ハナちゃん!」
絵を抱えたまま駆け寄ってきた私に、小柄な老婆は動揺する。
「なんじゃ? なんでその名前を知っちょる……?」
私に抱きつかれ、あたふたとしながら、それでも訝る態度は崩さない。
「ここにはなんもねえぞ! 金になるようなものはなんもねえ!」
空き巣を追い払おうという気概を示してみせるが、私はそんなものは気にもせず、ぎゅうぎゅうとハナちゃんに抱きつき続ける。
『あなたこそが、今の私にとっては何にも代えられない大切な存在だ』とは、さすがに口に出しては言えなかった。