【第01章 『夢月れいかは邂逅する』 - 03】


 鈴寧さんと別れ、部屋に戻ってくると、再び勢いよくベッドの上に転がった。なんとなくそのまま布団に顔を押し付けて、うぅーと唸り声を上げてみる。

 一頻り唸り声を上げると苦しくなって、ごろんと転がって天井を見上げた。

「願い事なんて……今更ないっつーの」

 誰に言うでもなくそんなことを呟いて、鈴寧さんから渡された若年死亡予定証明書を指で挟み、シュッと上に向かって投げた。カードはシュルシュルと回転しながら、弧を描くように上に向かって飛んで行き、コツンと天井にぶつかると、ヒラヒラと舞うように床へ落下した。

 胸中に、どうしようもない苛立ちが渦巻くと、もう一度うつぶせになり、今度は枕に顔を埋めて声を上げた。

 こっちはとっくの昔から死ぬ覚悟はできているのだ。それを、あと一週間で死ぬからといって、お葬式をしたり、訳の分からない役所の人が訪問してきたりするのが、心底鬱陶しかった。

 もう放っておいてよ……。私は私で、どうしようもない人生だったけど、それなりに思い残すことがないようにはやってきたつもりだから……。

 枕から顔を離し、床に転がったカードに視線を送る。

「ほんと……今更遅いよ……」

 私の寿命が尽きるまで、残り一週間。それまでにどうしても叶えたい願い事なんて、私にはなかった。それもそのはずだ。私はずっと前から、この歳で死ぬことを知っていたのだ。だから、少しでも後悔を残さないような生き方をしてきた。

 別れが辛くなるから友達は一人も作らなかったし、面白そうだと感じた映画は一つ残らず鑑賞済みだ。残したまま死ぬのが嫌だったから、スーパーや薬局でポイントカードを一度も作らなかったし、無論、恋なんてものもしなかった。

 つまりはきちんと死ねるよう、私なりに努力を重ねてきたということだ。それを今更心残りとか言われても……。

「……あ」

 心残りと言えるかどうかは微妙だが、一つだけ心当たりがあった。

 ポケットに入れていたスマホをいそいそと取り出し、ウェブ小説のサイトにアクセスする。

 マイページの中からフォローしている作家一覧へ飛び、その中の一人、『冬(ふゆ)森光(もりひかる)』の名前をタップする。すると今度は『冬森光』の作品一覧が表示され、そこにたった一つだけ存在する、『約束の矛先』という小説の最終更新日をチェックした。

「やっぱり今日も更新されてない……」

 この『約束の矛先』という小説は、日々少しずつ記憶が消えてゆく女性が、恋人の男性に「もしも私があなたのことを忘れたら殺してほしい」と懇願する場面から始まり、すでに作者が最初に公言していた最終話数まで、残り三話を残すのみとなっている。

 だが、その状態でもうすでに一カ月が経過しているが、未だにその残り三話が更新される気配はない。

 物語は終盤、完全に自分のことを忘れてしまった彼女を、恋人の男性は約束通り殺すのかどうか、というところで止まっている。

 他のどんな小説よりもおもしろいとか、息もつかせないくらい没頭するとか、そこまでのことを言うつもりはないが、さすがにこんな場面で更新を止められたままだと歯切れが悪くて仕方がない。

「そこそこのお願いを叶えてくれるのなら、この小説の続きが読みたいとか言ったらどうなるんだろう?」

 この小説の作者はすでに死んでて、困った鈴寧さんが見様見真似で続きを書いてくれたりしたらおもしろいなぁと思い、くすりと笑ってしまった。

「ま、心残りというほどでもないし、別にいっか」

 前触れのない睡魔が襲い、あくびをして、そのままゆっくりと瞼を閉じた。

    ◇  ◇  ◇

 家の前を横切る電線にとまった数羽の雀が、心地よい鳴き声で私を夢の世界から呼び起こし、窓から差し込む朝日が、残り六日になった私の寿命を教えてくれた。

 残りの寿命が一週間から六日になったところで、別段私の生活に変化が訪れるようなことはなく、未だ払しょくしきれない眠気に身をゆだね、もう一度夢の世界に旅立った。

 ピピピ、と電子音が鳴って目を覚ますと、スマホがいつもの起床時刻を示していた。

 アラーム、設定したままだったっけ……。

 学校どうしよっかな……。

 あと六日もすればこの世とおさらばするのだから、勉強などしたところで意味はない。友達でもいれば学校に行くという選択もありだと思うが、私にそのような相手はいない。

 今日一日どうやって過ごすべきか決めかねて、なんとはなしに一階の居間へ行った。

 お母さんとお父さんはすでに起きていて、テレビもつけずに神妙な顔をして椅子に腰かけていた。まだ昨日のお葬式の件を引きずっているらしい。

 私に気づくと、お母さんは普段通り、ぎこちない笑顔を作った。

「あら、おはよう、れいか」
「うん。おはよう」
「えっと……ご飯食べる? 今用意するわね」
「ううん。いらない」
「そ、そう……?」

 いつもなら新聞を読みふけっているお父さんも、今日は落ち着かない様子で私の姿を盗み見ている。

 お父さんがたずねる。

「れいかは……何か、私たちにしてほしいことはないか?」
「してほしいこと?」
「……あぁ」

 鈴寧さんといい、お父さんといい、若くして死ぬ人は必ず何か心残りを持っているのだと決めつけているようだった。大きなお世話だ、もう放っておいてよ、そう叫びたくなる気持ちを押し殺し、にっこりと笑顔を作った。

「大丈夫。そういうの、全部済ませてるから」
「…………そうか」

 私の作り笑顔も、きっと両親に見透かされていることだろう。けれど仕方がない。私はずっと昔からこうなのだ。どれだけ楽しいことをしていても、どれだけ幸せを感じても、頭の片隅では十七歳で尽きる寿命のことばかり考えていた。

 お父さんとお母さんはお互い顔を見合わせると、今度はお母さんが言った。

「で、でもほら、何か一つくらい、やっておきたいことはない?」

 いい加減にしてよ……。

 両親は悪い人ではない。むしろ、十七歳で死んでしまう私のことをいつも気にかけてくれる優しい両親だ。ただ、私とは合わなかっただけ。

 呆れて怒鳴り声を上げたい気持ちを悟られないよう、必死に笑顔を作っていると、そこへ、二階から妹がやってきた。

 両親同様、妹も悲しそうな視線を私に向けている。

 息苦しさを感じ、私は逃げるように学校へ行った。