【第01章 『夢月れいかは邂逅する』 - 02】
生前葬を終え、自宅に帰って来たのは夕方だった。
ベッドの上に倒れるように寝込み、窓から差し込む夕陽から目を逸らすように、壁の方を向いた。
人の寿命は様々な要因で短くなることはあるが、長くなることは決してない。あと一週間で死ぬという私の運命が、ここから逆転することは万に一つもありはしない。
家の外を走る車の音や、自転車のベルの音に交じり、生前葬で聞いたお母さんや妹の泣き声が、ずっと耳の中でこだましている。
どうして、こんな私のために、あそこまで悲しんでくれるのだろうか。
私は何者にもなれなかった、ただの一般人。何一つこの世に残せたものなどない。たとえ明日消えてしまっても、社会になんの影響も与えない。
命の価値は、平等ではない。その価値は、生前に何を成したかで決まる。私のような何者にもなれなかった女子高生が一人死んだところで、世界が変わるわけではないのだ。
ならば、今更慌ててもしょうがないのである。
ピンポーン。
一階からチャイムの音がして、お母さんが応対しているのがわかった。それから少しして、コンコンと部屋の扉がノックされると、扉越しに妹の声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、お客さんだよ」
◇ ◇ ◇
玄関へ行くと、見慣れない一人の綺麗な女性が立っていた。
清潔な白いシャツの上から黒いスーツに袖を通し、ストレートの黒髪は肩口で短くカットされている。右側でピッチリわけられた前髪は、目立たないように黒いピンで留められていた。
彼女は、二階から降りてきた私の姿を目視すると、居住まいを正すようにそっと足先を揃えた。じゃりっと音が鳴った彼女の足には、黒いスニーカーが履かれている。
「夢(む)月(つき)れいかさんですね、はじめまして。この度、夢月れいかさんの担当をさせていただく、『安息科』の鈴(すず)寧(ねい)理(り)亜(あ)と申します」
「安息科?」
「はい。寿命をお迎えになる一週間前になりましたので、その間に思い残すことがないよう、可能な限りサポートさせていただくのが私の仕事です。それで、夢月れいかさんの場合ですと――」
鈴寧さんはその後も滔々(とうとう)と言葉を繋げようとしたが、鈴寧さんが何かを話すたび、お母さんが不安そうな表情を浮かべていたので、咄嗟に口をはさんだ。
「ちょっとすいません。その話、外でしてもらっても大丈夫ですか?」
そうたずねると、鈴寧さんはようやくお母さんの顔色に気づき、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「……配慮が足りず、申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。近くに公園があるので、この時間なら人も少ないと思いますし、そこでも大丈夫ですか?」
「はい。問題ありません」
◇ ◇ ◇
それから公園までの道のり、私の後ろをぴったりとついてきた鈴寧さんは、一言も喋らなかった。ただ、どんよりと暗い雰囲気をまとわせ、振り返った私と目が合うと、鈴寧さんはさっと視線を逸らし、なんでもない風を装った。
そんな奇異な動作をする鈴寧さんの心の中が、私には手に取るようにわかった。
ようは、鈴寧さんは、十七歳という若さで死んでしまう私を哀れみ、その哀れみが私に伝わってしまわないよう、懸命に努めているというわけだ。
けれども、この十七年間そんな視線に晒され続けてきた私の前では、その努力も徒労となってしまった。
思った通り、公園内にはほとんど人はいなかった。ベンチに座ってもよかったが、どうせ公園に来たのだからと、久々にブランコに腰かけてみた。
足を地面につけたまま、生温い鎖を掴み、ギィギィと前後に小さく揺らす。
となりのブランコも空いていたが、鈴寧さんはそこには座らず、横に立ったまま話を始めた。
「先ほどは申し訳ありませんでした……」
「構いませんよ。それよりその話し方、どうにかなりませんか?」
「話し方、ですか?」
「はい。そんなかしこまった話し方だと、まるで自分の命が事務処理の延長線上にあるみたいで、ちょっと嫌です」
「…………」
「それに、私はどうせあと一週間もすれば死ぬんです。そんなにかしこまる必要もないでしょう?」
相手の緊張をほぐすための冗談だったが、逆効果だったらしく、鈴寧さんは困ったように眉をひそめた。
けれど、私の意を汲んでくれたのか、和らいだ口調が返ってきた。
「……じゃあ、改めて自己紹介をさせてちょうだい。私は安息科の鈴寧理亜」
「私は夢月れいかです。どうぞれいかと呼んでください。よろしくお願いします。……というか、安息科なんていうのがあるんですね。公務員ですか?」
「えぇ、そうよ。少し前までは安息終活科っていう名称だったんだけど、いろいろあって名前が変わってね。普段はご高齢の方の相手ばかりしてるから、あなたみたいな若い人は……あ、いえ、ごめんなさい」
「そんなにいちいち気を遣わないでくださいよ。全然気にしませんから」
「そう……強いのね」
鈴寧さんは泣きそうな顔で、また私から顔を背けた。
「私みたいに、若くして寿命が尽きる人って、やっぱり珍しいんですか?」
鈴寧さんはまだ少しためらうような間があったが、それでも私の質問に真摯に答えてくれた。
「えぇ。私はもう十年近くこの仕事をしているけど、そのほとんどが八十歳以上。たまに五十代や六十代の人のサポートをすることもあるけど、そういう人は大抵、病気で入院していて、予定寿命が前倒しになってしまった人たちね。若い人が重い病気になると、寿命が正確に計測されないことが多いから、私たち安息科がサポートに行くことは滅多にないの」
「じゃあ、生まれた時から十代で死ぬことが決まってた私って、珍しい部類に入るんですね」
「……そうね」
話が途切れたところで、地面を蹴り、少しブランコを揺らしてみた。こうしてブランコに乗ったのは小学生の頃以来だけど、意外と早くて怖くなった。
もう一度地面に足をつけてブランコを止めると、鈴寧さんが思いつめたように言った。
「それで、何か私にしてほしいこととかないかしら?」
「う~ん……。それって、他の人はどんなことを頼んだりするんですか?」
「大抵、どこか思い出の場所に行きたいとか、おいしい料理が食べたいとか、知り合いに会いたいとか、そんなことね」
「それって、別にサポートする必要なくないですか?」
「……寿命を間近に控えた人って、手足が思うように動かせなかったり、ずっと病院食しか食べてなかったりするからね。だから、そんな普通のことでも、自分の力だけでは困難なのよ」
「そうなんですか……。でも、私は体にも不調はありませんし、サポートしてもらうことなんて特に……」
そう言うと鈴寧さんは、はぁ、と短いため息をつき、「ごめんなさい、言い忘れていたわ」と、ポケットから一枚のカードを取り出した。
鈴寧さんからカードを受け取ると、そこには『若年死亡予定証明書』という文字と、私の名前や生年月日、予定寿命などが克明に明記されていた。そこに使用されている私の写真は、見覚えのある不愛想な表情を浮かべている。
この写真、遺影に使われてたやつだ……。恥ずかしい……。
鈴寧さんは続ける。
「それは若年死亡予定証明書と言って、三十歳未満の若さで寿命を迎えてしまう人だけに発行されるものなの。それがあれば、年をとってお亡くなりになる人よりも、そこそこ特別なお願いを叶えてあげることができるわ。心残りとかあればなんでも言ってちょうだい」
「そこそこ特別なお願いって……微妙ですね」
「資金や人材は限られてるからね」
「……たとえば、海外に行って遊びまわりたいとか言ったら、連れて行ってくれるんですか?」
「えぇ。可能よ。でも資金面から、毎晩スイートルームに泊まらせてくれ、とか、豪邸を建ててほしい、とかはできないわね」
「じゃあ、できるだけお金が欲しいとか言ったらどうなるんですか?」
「金銭の直接的な貸与は百万円まで。もちろん、そのお金をどう使おうが自由よ。寿命が尽きた後、もしも貸与した資金が残っていれば、こちらで回収することになるけどね」
「なんか、みみっちいですね……」
「なっ!? ……し、仕方ないでしょ。これも一応、税金なんだから」
受け取ったカードをくるっと指で回していると、鈴寧さんがもう一度聞いた。
「それで、何かしてほしいこととかある?」
それまで腰かけていたブランコから飛び降り、うんと背伸びをした。
「今は特にありません。けど、そのうち何か思いついたら、その時はよろしくお願いします」
「そう……。でも、できるだけ早く言ってちょうだいね」
「大丈夫ですよ。なんたって、まだあと一週間もあるんですから」
そんな冗談を言うと、鈴寧さんはまた困ったように黙ってしまった。
生前葬を終え、自宅に帰って来たのは夕方だった。
ベッドの上に倒れるように寝込み、窓から差し込む夕陽から目を逸らすように、壁の方を向いた。
人の寿命は様々な要因で短くなることはあるが、長くなることは決してない。あと一週間で死ぬという私の運命が、ここから逆転することは万に一つもありはしない。
家の外を走る車の音や、自転車のベルの音に交じり、生前葬で聞いたお母さんや妹の泣き声が、ずっと耳の中でこだましている。
どうして、こんな私のために、あそこまで悲しんでくれるのだろうか。
私は何者にもなれなかった、ただの一般人。何一つこの世に残せたものなどない。たとえ明日消えてしまっても、社会になんの影響も与えない。
命の価値は、平等ではない。その価値は、生前に何を成したかで決まる。私のような何者にもなれなかった女子高生が一人死んだところで、世界が変わるわけではないのだ。
ならば、今更慌ててもしょうがないのである。
ピンポーン。
一階からチャイムの音がして、お母さんが応対しているのがわかった。それから少しして、コンコンと部屋の扉がノックされると、扉越しに妹の声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、お客さんだよ」
◇ ◇ ◇
玄関へ行くと、見慣れない一人の綺麗な女性が立っていた。
清潔な白いシャツの上から黒いスーツに袖を通し、ストレートの黒髪は肩口で短くカットされている。右側でピッチリわけられた前髪は、目立たないように黒いピンで留められていた。
彼女は、二階から降りてきた私の姿を目視すると、居住まいを正すようにそっと足先を揃えた。じゃりっと音が鳴った彼女の足には、黒いスニーカーが履かれている。
「夢(む)月(つき)れいかさんですね、はじめまして。この度、夢月れいかさんの担当をさせていただく、『安息科』の鈴(すず)寧(ねい)理(り)亜(あ)と申します」
「安息科?」
「はい。寿命をお迎えになる一週間前になりましたので、その間に思い残すことがないよう、可能な限りサポートさせていただくのが私の仕事です。それで、夢月れいかさんの場合ですと――」
鈴寧さんはその後も滔々(とうとう)と言葉を繋げようとしたが、鈴寧さんが何かを話すたび、お母さんが不安そうな表情を浮かべていたので、咄嗟に口をはさんだ。
「ちょっとすいません。その話、外でしてもらっても大丈夫ですか?」
そうたずねると、鈴寧さんはようやくお母さんの顔色に気づき、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「……配慮が足りず、申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。近くに公園があるので、この時間なら人も少ないと思いますし、そこでも大丈夫ですか?」
「はい。問題ありません」
◇ ◇ ◇
それから公園までの道のり、私の後ろをぴったりとついてきた鈴寧さんは、一言も喋らなかった。ただ、どんよりと暗い雰囲気をまとわせ、振り返った私と目が合うと、鈴寧さんはさっと視線を逸らし、なんでもない風を装った。
そんな奇異な動作をする鈴寧さんの心の中が、私には手に取るようにわかった。
ようは、鈴寧さんは、十七歳という若さで死んでしまう私を哀れみ、その哀れみが私に伝わってしまわないよう、懸命に努めているというわけだ。
けれども、この十七年間そんな視線に晒され続けてきた私の前では、その努力も徒労となってしまった。
思った通り、公園内にはほとんど人はいなかった。ベンチに座ってもよかったが、どうせ公園に来たのだからと、久々にブランコに腰かけてみた。
足を地面につけたまま、生温い鎖を掴み、ギィギィと前後に小さく揺らす。
となりのブランコも空いていたが、鈴寧さんはそこには座らず、横に立ったまま話を始めた。
「先ほどは申し訳ありませんでした……」
「構いませんよ。それよりその話し方、どうにかなりませんか?」
「話し方、ですか?」
「はい。そんなかしこまった話し方だと、まるで自分の命が事務処理の延長線上にあるみたいで、ちょっと嫌です」
「…………」
「それに、私はどうせあと一週間もすれば死ぬんです。そんなにかしこまる必要もないでしょう?」
相手の緊張をほぐすための冗談だったが、逆効果だったらしく、鈴寧さんは困ったように眉をひそめた。
けれど、私の意を汲んでくれたのか、和らいだ口調が返ってきた。
「……じゃあ、改めて自己紹介をさせてちょうだい。私は安息科の鈴寧理亜」
「私は夢月れいかです。どうぞれいかと呼んでください。よろしくお願いします。……というか、安息科なんていうのがあるんですね。公務員ですか?」
「えぇ、そうよ。少し前までは安息終活科っていう名称だったんだけど、いろいろあって名前が変わってね。普段はご高齢の方の相手ばかりしてるから、あなたみたいな若い人は……あ、いえ、ごめんなさい」
「そんなにいちいち気を遣わないでくださいよ。全然気にしませんから」
「そう……強いのね」
鈴寧さんは泣きそうな顔で、また私から顔を背けた。
「私みたいに、若くして寿命が尽きる人って、やっぱり珍しいんですか?」
鈴寧さんはまだ少しためらうような間があったが、それでも私の質問に真摯に答えてくれた。
「えぇ。私はもう十年近くこの仕事をしているけど、そのほとんどが八十歳以上。たまに五十代や六十代の人のサポートをすることもあるけど、そういう人は大抵、病気で入院していて、予定寿命が前倒しになってしまった人たちね。若い人が重い病気になると、寿命が正確に計測されないことが多いから、私たち安息科がサポートに行くことは滅多にないの」
「じゃあ、生まれた時から十代で死ぬことが決まってた私って、珍しい部類に入るんですね」
「……そうね」
話が途切れたところで、地面を蹴り、少しブランコを揺らしてみた。こうしてブランコに乗ったのは小学生の頃以来だけど、意外と早くて怖くなった。
もう一度地面に足をつけてブランコを止めると、鈴寧さんが思いつめたように言った。
「それで、何か私にしてほしいこととかないかしら?」
「う~ん……。それって、他の人はどんなことを頼んだりするんですか?」
「大抵、どこか思い出の場所に行きたいとか、おいしい料理が食べたいとか、知り合いに会いたいとか、そんなことね」
「それって、別にサポートする必要なくないですか?」
「……寿命を間近に控えた人って、手足が思うように動かせなかったり、ずっと病院食しか食べてなかったりするからね。だから、そんな普通のことでも、自分の力だけでは困難なのよ」
「そうなんですか……。でも、私は体にも不調はありませんし、サポートしてもらうことなんて特に……」
そう言うと鈴寧さんは、はぁ、と短いため息をつき、「ごめんなさい、言い忘れていたわ」と、ポケットから一枚のカードを取り出した。
鈴寧さんからカードを受け取ると、そこには『若年死亡予定証明書』という文字と、私の名前や生年月日、予定寿命などが克明に明記されていた。そこに使用されている私の写真は、見覚えのある不愛想な表情を浮かべている。
この写真、遺影に使われてたやつだ……。恥ずかしい……。
鈴寧さんは続ける。
「それは若年死亡予定証明書と言って、三十歳未満の若さで寿命を迎えてしまう人だけに発行されるものなの。それがあれば、年をとってお亡くなりになる人よりも、そこそこ特別なお願いを叶えてあげることができるわ。心残りとかあればなんでも言ってちょうだい」
「そこそこ特別なお願いって……微妙ですね」
「資金や人材は限られてるからね」
「……たとえば、海外に行って遊びまわりたいとか言ったら、連れて行ってくれるんですか?」
「えぇ。可能よ。でも資金面から、毎晩スイートルームに泊まらせてくれ、とか、豪邸を建ててほしい、とかはできないわね」
「じゃあ、できるだけお金が欲しいとか言ったらどうなるんですか?」
「金銭の直接的な貸与は百万円まで。もちろん、そのお金をどう使おうが自由よ。寿命が尽きた後、もしも貸与した資金が残っていれば、こちらで回収することになるけどね」
「なんか、みみっちいですね……」
「なっ!? ……し、仕方ないでしょ。これも一応、税金なんだから」
受け取ったカードをくるっと指で回していると、鈴寧さんがもう一度聞いた。
「それで、何かしてほしいこととかある?」
それまで腰かけていたブランコから飛び降り、うんと背伸びをした。
「今は特にありません。けど、そのうち何か思いついたら、その時はよろしくお願いします」
「そう……。でも、できるだけ早く言ってちょうだいね」
「大丈夫ですよ。なんたって、まだあと一週間もあるんですから」
そんな冗談を言うと、鈴寧さんはまた困ったように黙ってしまった。