しかし、である。
色好い返書を待ったが、待てど暮らせど返事が来ないのである。
そればかりか。
遣いの家来すら戻らない。
「どうしたことか調べさせよ」
と命じて石田三成に調べさせると、数日して三成からは恐るべき話が出た。
「殿下の文が、どうやら伊達家に渡ってしまわれたようにございます」
「なに、政宗の許とな」
言わずと知れた独眼竜で、つい先日の小田原参陣まで本気で天下を狙っていた男ではないか。
「厄介な名が出てきたが、なにゆえ伊達家に文が」
「左大臣さまは伊達家とは古くより音信がございますれば、そこかと」
近衛家と伊達家のつきあいは古く、室町時代に伊達家の当主が和歌を献じた際、近衛家の当主がときの帝に奏上し、うち二首が所載されたことがあった。
以来、伊達家と近衛家はたびたび書状を取り交わしたり、進物を互いに贈り合うなどして、交流を持っている。
その近衛家では、いわば気心の知れた伊達家に連絡をつけ、手紙と使いを行方知れずにすることで曖昧にして、うやむやに終わらせる算段であったらしい。