私と真宙くんは屋上に来ていた。
屋上から見える景色を見ながら。
思っていた。
黒川さんに追い詰められていたとき。
真宙くんが助けに来てくれていなかったら。
私はどうなっていたのだろう。
そう考えると、恐ろしくなってくる。
真宙くんにお礼を言わなくちゃ。
「あの……真宙くん……
さっきは助けてくれて、ありがとう」
「いいよ、そんなこと。
……それより」
……?
「なんで俺に相談してくれなかったの。
黒川さんから、あんな目にあっていること」
真宙くんの言葉に。
何も言うことができなかった。
「もっと俺を頼ってよ、希空ちゃん」
ありがとう、真宙くん。
真宙くんの優しさ。
とても嬉しい。
だけど。
真宙くんに頼るということは。
話さなければならないということになってしまう。
知られたくない過去を真宙くんに。
それは。
私にとっては、かなり難しい問題。
だから我慢するしかなかった。
「そうだ希空ちゃん、
前にさ、希空ちゃんと一緒に出かけたいねって言ってたでしょ。
それでさ、近いうちに空いてる日ない?
俺、どうしても希空ちゃんに話したいことがある」
話したいこと……?
「どうしても休みの日がいいんだ」
真宙くんの真剣な眼差し。
伝わってくる。
真宙くんの真剣さ。
そんな真宙くんのことを見ていると。
緊張してしまう。
だけど。
聞きたい。
真宙くんの話。
……それに……。
……会いたい。
話を聞きたいだけではなく。
会いたい。
真宙くんに。
そう思ったから……。
こうして。
私と真宙くんは今週の土曜日に会うことを約束した。
私と真宙くんはベンチに座っている。
初めて真宙くんと話した、あの公園の。
今日は真宙くんと会う約束の日。
真宙くんの話を聞く。
そのときが来た。
「……希空ちゃん、今から話す話なんだけど……」
ついに……きた……。
「俺が生み出してしまった問題だから、
自分で解決しなければいけないことなんだけど……」
問題……?
真宙くんが生み出してしまった……?
「どうすればいいのか、わからなくて……。
それで希空ちゃんにアドバイスをもらいたくて」
アッ……アドバイスッ⁉
「わっ……私がアドバイスするなんて、全然お役に立てないっ」
真宙くんに突然そう言われて大慌てしてしまった。
「そんなことないよ。
希空ちゃんは人の心がわかる、とても優しい子だよ」
真宙くんは、やさしい表情でそう言った。
「希空ちゃん、お願い。俺の話を聞くだけ聞いてほしい」
真宙くんは、とてもやさしい声でそう言った。
真宙くんのその声につられてしまったのか。
気付いたら、小さく頷いていた。
「ありがとう、希空ちゃん」
真宙くんは、ずるいくらいのやさしい笑顔でそう言った。
【side 真宙】
俺は希空ちゃんに話を始めた。
内容は妹のこと。
名前は美空。
中学二年生。
俺は約一年間、美空と口を利くことができていない。
理由は。
俺が美空の気持ちに気付くことができなかったから。
今から約一年前。
美空はイジメにあっていた。
『学校を休みたい』と言った美空に。
俺は『逃げたらダメだ』と言った。
その次の日。
美空は学校を休んだ。
美空は一年経った今でも学校に行くことができていない。
俺が美空の気持ちに気付くことができていれば。
美空がどういう気持ちでいるのか。
よく知りもしないのに『逃げたらダメ』だと言ってしまったこと。
それによって美空のことを苦しめ傷つけることになってしまったこと。
とても後悔しているし、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
謝りたい。
美空に。
そう思っても。
なかなか行動に移すことができていない。
そうしているうちに一年が経ってしまった。
美空と仲直りがしたい。
ずっとずっとそう思っている。
でも、どうしたら美空と仲直りをすることができるのか。
その方法が全く思いつかない。
それでも。
一日も早く、美空と仲直りがしたい。
その気持ちだけは確か。
その願いを叶える。
そのために毎日のように美空と仲直りできる方法を考えている。
それが希空ちゃんに話したかった話。
「希空ちゃん、話を聞いてくれてありがとう」
真宙くんは話をしている間、とても辛そうだった。
痛いくらいに伝わった。
真宙くんの気持ちが。
「あ、そうだ、それから……
美空、学校に行かなくなったときくらいから心療内科に通院してるんだ」
心療内科……。
「この近くにある心療内科だよ」
その心療内科って……。
真宙くんは、美空さんが通院している心療内科の名前を言った。
そこは、私も通院している心療内科だった。
美空さんも私と同じ心療内科に通院している。
こういうふうに思うのは、ちょっとあれかもしれないけれど。
何か縁を感じる。
そう感じた私は、こう思い始めていた。
美空さんと話をしてみたい、と。
同じ心療内科に通院している者同士、通じ合えるかもしれない。
心の痛みを分かち合うことで、少しだけ気持ちが楽になるかもしれない。
とは思っても、美空さんの気持ちは少しも楽にはならないかもしれない。
だけど。
何もしないではいられない。
大切な友達の妹さんが心に傷を負っているのに何もしないなんて、そんなことはできない。
……でも。
真宙くんにお願いすることができるのだろうか。
美空さんに会いたいと。
真宙くんは美空さんと一年間、口を利くことができていない。
だから真宙くんには、どう言えばいいのだろう。
こうなったら単刀直入に『美空さんと話がしてみたい』と言おうか。
でも。
真宙くんは美空さんと口を利くことができていない。
だから美空さんに伝えてもらうことができない。
じゃあ、どうすれば……。
そうだ、手紙はどうだろう。
今の私の気持ちを書いた手紙を用意する。
その手紙を真宙くんが美空さんの部屋のドアのすき間に挟む。
その手紙を美空さんが気付き、その手紙を読む。
そうしたら美空さんに私の気持ちが伝わる。
って。
ちょっと待って。
一つだけ問題が。
美空さんからしてみれば『何で会って話がしたいの』ということになってしまう恐れが。
美空さんにとっては人と話をすることは恐怖でしかないはず。
それなのに、いきなり知らない人が話がしたいと言っても、美空さんは警戒するだろう。
だとすれば、美空さんと話をするということは不可能に近いということになってしまう。
どうしよう。
このままでは美空さんと話をすることが実現できなくなってしまう。
一体どうすれば……。
あ……。
そうだ。
あの方法にしよう。
確かに、あの方法でも美空さんが話をしてくれるかどうかはわからない。
でも。
やっぱり美空さんと話をしてみたい。
だから決意した。
真宙くんに話そうと。
私のことを。
今までためらっていた。
自分のことを話すことを。
だから黒川さんに脅されたときも、黙って言うことをきくしかなかった。
私は自分の過去を隠して過ごしてきた。
きっと自分の過去を恥ずかしいと思っていたのだと思う。
でも、それは違う。
私の過去は恥ずかしくなんかない。
私は私で精一杯生きている。
だから。
真宙くんに話す。
私の過去を。
そして、そのことを美空さんに手紙で伝えてほしい。
ただ。
美空さんが私の過去を知っても。
私と会って一緒に話をしてくれるという保証はどこにもない。
だけど、それは実行してみないとわからない。
今の時点では100%ではないけれど0%でもない。
だから。
「……あの……真宙くん……」
勇気を出して。
「私も……話したいことがあるの……」
伝えようと思った。
「……聞いて……くれる……?」
「うん、もちろんだよ」
「ありがとう、真宙くん」
こうして自分のことを真宙くんに話し始めた。
まず美空さんと同じ心療内科に通院していることを真宙くんに話した。
そして通院することになった理由。
それは。
美空さんと同じ。
中学一年生のときにイジメにあっていたから。
ゴールデンウィーク明け。
その日から学校を休み始めたことも。
その頃に初めて心療内科を受診した。
通院しているうちに少しずつではあるけれど回復へ向かっていった。
中学二年生になり、再び学校に行き始めた。
それから卒業するまで、なんとかイジメはされずにすんだ。
だけど。
人と接することに恐怖を感じることは治ることはなかった。
高校に入学してから今のところは問題なく過ごすことができている。
けれど、トラウマのせいか、今だに人と接することは恐怖に感じる。
だけど最近、少しだけ心の変化を感じている。
ほんの少しだけど、人に対して積極的になれているような気がする。
今までの私なら有り得ない。
少しでも自分を変えることができるようになったのも。
真宙くんのおかげ。
真宙くんが思いやりをもって接してくれるから。
そのおかげで、少しずつだけど前を向くことができるようになってきた。
それもこれも、みんな真宙くんのおかげ。
真宙くん、本当にありがとう。
真宙くんに感謝の気持ちでいっぱいだった。
「話を聞いてくれてありがとう、真宙くん」
一通り話し終え、真宙くんにお礼を言った。
「『ありがとう』を言うのは俺の方だよ」
「え……?」
「本当はすごく言いづらかっただろうに、
勇気を出して俺に話してくれた。
そんな希空ちゃんはすごいと思う」
真宙くん……。
「ありがとう、そんなふうに言ってくれて」
真宙くんに過去を話すことができた。
あとは。
美空さんと話をしてみたいということを真宙くんにお願いしようと思うのだけど……。
真宙くんに、どういうお願いのしかたをすればいいのだろう。
……って。
そんなふうに思うのなら、真宙くんにお願いしなければいいことなのかもしれない。
けれど。
それでは先へ進むことはできない。
美空さんも、私も……。
だから……。
「……あの、真宙くん……
……美空さんのことなんだけど……」
と、真宙くんに声をかけたのはいいけれど。
そこからどう言えばいいのだろう。
良い言葉が思いつかない。
「美空と話をしてみたいんでしょ」
そのとき。
心の中を当てた?
と思うくらいの真宙くんの言葉。
そのことに驚きながら小さく頷いた。
「じゃあ、美空にメッセージを送るね」
えっ⁉
「俺、時々、美空のスマホにメッセージを送っているんだ」
メッセージを⁉
本当⁉ 真宙くんっ。
「俺が二・三回、送信したら、
美空からは一回くらいは返信が来るかな」
本当っ‼ 真宙くんっ‼
よかった。
美空さんとメッセージのやりとりで繋がっていたんだ。
少しだけでも繋がることができているのなら、希望はあるから。
近い未来、真宙くんと美空さんが仲直りできているといいな。
「だから美空にメッセージを送ってみるよ。
俺の友達が美空と話をしてみたいって言ってるって」
「……本当? 本当にいいの、真宙くん」
「いいに決まってるでしょ。
っていうか、むしろありがとうだよ。
妹と話をしてみたいって思ってくれて」
真宙くん……。
「えっと、美空にメッセージを送るときに、
希空ちゃんの過去のことを伝えてもいいのかな?」
「うん、伝えてほしい。
私のことを美空さんに知ってもらいたい」
「わかった。じゃあ、美空にメッセージを送ってみるね」
真宙くんがメッセージを送ってから一時間くらい経った。
「あっ」
そのとき。
真宙くんが受信音に気付いた。
「美空からかな」
真宙くんは、さっそくスマホの画面を見た。
「美空からだ」
真宙くんは美空さんからのメッセージを見た。
どんな返事が来たのだろう。
緊張しながら美空さんからの返事を見ている真宙くんの言葉を待つ。
「美空からの返事」
真宙くんがそう言ったとき、さらに緊張感が増した。
「メッセージのやりとりだけならいいって」
「ほっ……本当にっ、真宙くんっ」
よかった。
「本当だよ」
よかったぁ~‼
メッセージのやりとりだけでも美空さんと繋がれる‼
「あっ、そうだ、希空ちゃんの連絡先、美空に伝えておくね」
「うん、ありがとう、真宙くん」
「あっ、そうだ、これ、美空の連絡先」
真宙くんは美空さんの連絡先を教えてくれた。
「ありがとう」
これで、一歩前進……かな……。
少しずつ、少しずつでいい。
ほんの少しずつでも前進できれば、それだけで大きな一歩。
「希空ちゃん」
真宙くんが少しかしこまった感じで私の名前を呼んだ。
「美空のこと、よろしくお願いします」
真宙くん、ものすごく丁寧。
「真宙くんっ、そんなご丁寧な……っ」
「妹が希空ちゃんにお世話になるんだよ。
せめてこれくらいは言いたくて」
「美空さんのことをお世話だなんて、そんなこと……っ」
「ありがとう、希空ちゃん。
本当に希空ちゃんは気遣いがあって思いやりがある子だね」
気遣いがあって思いやりがあるのは真宙くんの方だよ。
「そんな、私なんか……」
「そんなことはない。希空ちゃんは気遣いがあって思いやりがある子だよ」
「真宙くん……」
「そういえば、お腹空かない?
昼ごはん食べに行かない?」
「うん」
「それでね、昼ごはん食べた後、海が見えるところ行かない?
実は俺、もう一つ、希空ちゃんに話したいことがあるんだ」
話したいこと……?
なんだろう……。
「うん」
真宙くんのもう一つの話はなんだろう。
そう思いながら頷いた。
昼ごはんを食べ終わり、私と真宙くんは海を見ている。
「希空ちゃん、
一曲、歌ってもいい?」
そのとき。
突然、真宙くんはそう言った。
「う……うん」
真宙くんの言ったことに驚きながらも、そう返事をした。
「では」
真宙くんは大きく深呼吸をした。
そして真宙くんは歌い始めて……。
え……⁉
この歌って……。
真宙くんの歌に驚き過ぎて声が出なかった。
だって真宙くんが歌っている歌は……。
『blue sky』の『青の世界』―――――。
私の大好きな歌手『blue sky』の歌だったから―――。
似ている……。
真宙くんの歌声が……。
『blue sky』の声に……。
何がどうなっているの……?
ものまね……?
それとも偶然、真宙くんの歌声が『blue sky』の声に似ているだけ……?
「あー、スッキリした」
そう思っている間に、真宙くんは歌い終わっていた。
「どうだった? 俺、上手に歌えてた?」
なにがなんだかわからない。
戸惑いを残しながら頷いた。
「本当に上手だね、真宙くん。
本物の『blue sky』が歌ってるみたいだった」
戸惑ってはいる。
けれど。
感動もしている。
「すごく感動した。ありがとう、真宙くん。
大好きな『blue sky』の曲を歌ってくれて」
すごく感動した私は真宙くんに『ありがとう』を言わずにはいられなかった。
「そんなに上手く歌えるなんて、すごく練習したの?」
「…………」
真宙くん?
真宙くんは無言になっている。
何かまずいことでも訊いてしまったのか。
そう思うと、少し心配になってきた。
「すごく練習したというか……
この曲、俺が歌っている曲だから」
そのとき。
真宙くんが口を開いた。
のだけど……。
今、なんて……。
「だって俺、『blue sky』だもん」
え……。
えぇっ⁉