君と見る空は、いつだって青くて美しい




 黒川さんは、とても恐ろしい人だ。

 笑顔(目は笑っていない)で平気でえげつないことができてしまう。

 黒川さんの言うことをきかないときには。
 言いふらされてしまうだろう。

 私の……過去……。


 ……嫌。
 本当は。
 真宙くんと関われなくなるのは。

 それは、ものすごく辛い。


 けれど。
 私の過去を真宙くんや桜ちゃんに知られたくない。


 だから……。


「……わかった。もう真宙くんとは関わらない……」


 辛くて。
 辛くて……悔しくて……。

 そんな気持ちで胸が張り裂けそうだった。


「本当? 約束よ」


 もう、やめて。
 というくらい満面の笑みを見せた、黒川さん。


「…………」


 私は全く言葉が出なくなった。


「はい、大変よくできました」


 満面の笑みを保ちながらそう言った、黒川さん。

 なにが『大変よくできました』だ。
 人をおちょくるのもいい加減にして‼


 そう言いたい。
 本当は。

 けれど。
 今はそんな気力もない。

 というより。
 そもそも、そんな勇気は全くない。



「あっ、そろそろ行かなくちゃ。
 麻倉さん、今約束したこと、よろしくね」


 そう言って黒川さんは、黒川さんの両側にいる女子生徒たちと共に歩き出して……。


「あっ、そうそう」


 歩き出したのに。
 黒川さんは立ち止まって私の方を振り向いた。


「青野くんと付き合うようになったら、真っ先に麻倉さんに報告するね」


 真宙くんと黒川さんが付き合ったら……。

 そんな報告いらない……‼

 そう思っても。
 やっぱり言葉に出すことができなかった。




 黒川さんからとんでもない約束をさせられてから一週間が経った。



 この一週間。
 登校時間を十分早くしている。

 真宙くんと時間が合わないように。

 真宙くんと一緒に登校しないように。


 本当は。
 こんなこと。
 したくないのに……。



 * * *


 放課後。


 今日は図書室に本を返しに行くため、桜ちゃんには先に帰ってもらった。



 本を返し終え。
 学校を出た。

 最寄り駅まで歩いていると。


「希空ちゃん‼」


 ……‼


 後ろから声がした。


 この声は……。


 恐る恐る振り返る。


「……真宙くん……」


 やっぱり。

 声をかけたのは真宙くんだった。


 軽く走って私に追いついた真宙くんは少しだけ息を切らしている。


「先週、一緒に登校した以来だね。
 すごく久しぶりに感じる」


 笑顔の真宙くん。


「最近、希空ちゃんと登校時間、合わないよね」


「……うん……」


 どうしよう。

 真宙くんと関わらないで。
 そう黒川さんに言われているのに。


 今こうして真宙くんと一緒にいるところを。
 黒川さんに見られてしまったら……。





「希空ちゃん一緒に帰ろう」


 え……‼


「どうしたの? 希空ちゃん」


『一緒に帰ろう』
 真宙くんにそう言われて。
 かなり動揺していることが。
 真宙くんに気付かれたかもしれない。

 真宙くんが不思議そうな顔で私の顔を覗き込んでいる。


「な……なんでもないよ」


 精一杯。
 そう言うことが。


「じゃあ、帰ろっか」


 純粋過ぎるくらいの。
 真宙くんの笑顔。


 その笑顔を見てしまったら……。

 言えるわけがない。
『一緒に帰ることはできない』
 なんて……。


「……うん……」


 だから。
 返事をしてしまった。
『うん』と。


 ……いない……よね……?


 真宙くんに気付かれない程度に。
 そっと周りを見渡した。

 黒川さんがいないかどうか。


 今、黒川さんが見当たらなくても。
 どこで黒川さんにばったりと会ってしまうか。
 びくびくしながら。


 それでも。
 真宙くんのことを突き放すことはできない。

 だから。
 真宙くんと一緒に帰ることを選んでしまった。




 次の日。


 今は昼の休憩。

 いつものように桜ちゃんと弁当を食べている。


「麻倉さん」


 そのとき。
 クラスメートの田中さんが私のことを呼んだ。


「麻倉さんのことを呼んできてって頼まれて」


 田中さんはそう言って教室の戸の方を見た。

 つられるように私も教室の戸の方を見た。


 ……‼


 その瞬間。
 心臓がどうにかなってしまいそうなくらいに驚いた。

 そこには黒川さんと黒川さんの両側にいた女子生徒たちがいたから。


 どうして黒川さんが……?

 話は終わっているはず。

 それなのに、どうして……。


 心の中に小さな嵐が生まれ始めていた。

 それがどんどん大きくなっていく。


 今、一番会いたくない人が私のことをまた呼んでいる。

 今度は一体何の用?
 何も話はないはずなのに。

 どうして関わってくるの……‼


 そう思いながら田中さんに「ありがとう」と言って席を立ち、ゆっくりと黒川さんたちの方へ歩いていった。





 黒川さんたちがいる教室の戸のところに着いた。


「麻倉さん、ちょっといい?」


 さっそく黒川さんがそう言った。


「……うん」


 すごく嫌。

 心の中ではそう思いながら返事をした。


「じゃあ、この間のところに行きましょ」


 黒川さんはそう言って、黒川さんの両側にいる生徒たちと共に歩き出した。

 私も嫌々、黒川さんたちのあとをついて行った。


 ……あれ……?

 少しだけ。
 違和感を覚えた。

 黒川さん。
 この間とは、なにか雰囲気が違うような……。

 あのときのような恐ろしいくらいの笑顔ではないけれど。
 違った意味で恐怖を感じるというか……。

 わからない。
 けれど。
 なにか良からぬものを感じる。



 そう思っていると。
 あっという間に体育館裏に着いた。


「…………」


 すぐに何か話してくると思った。

 けれど。
 黒川さんは話してこない。


 この沈黙が余計に恐怖を感じさせる。



「……ねぇ」


 そう感じていたら。
 黒川さんが口を開いた。


 けれど。
 黒川さんの声のトーンが。
 この間のときとは違う。
 どんよりとして冷ややかに感じた。

 その声を聞いた瞬間。
 背中にゾクッとしたものが走った。


 やっぱり何か良からぬことが起こる。

 そんな予感がした。





「……お前さぁ」


 そのとき。

 黒川さんは私のことを『お前』と言った。

 声のトーンは『ねぇ』と言ったときと変わらないまま。


「どういうつもりだよ」


「…………」


 できない。
 出すことが。
 声を。
 驚き過ぎて。

 違い過ぎる。
 この間の黒川さんと。


 それにしても。

 どういうつもりって……?


 そんなこと。
 私の方が訊きたいくらい。


 なにがなんだかわからない。

 心の中は混乱しそうになっていた。


 それでも。
 なんとか冷静になろうとした。

 けれど。
 そう思えば思うほど。
 混乱は増していく。



「ふざけんなよ‼」


 容赦ない。

 黒川さんは。
 そんな私のことを。
 待ってはくれない。


 比例している。
 心の中の混乱が増すと。
 黒川さんの口調の荒さも増す。


 一体どうしたらいいのか。
 どう対応すればいいのか。


 このままでは。
 黒川さんに何をされるかわからない。


 黒川さんが恐ろしい。
 恐ろしくて恐ろしくてたまらない。

 あまりの恐怖で全身が震えてしまいそう。


 逸らしたい。
 目を。
 黒川さんから。

 けれど。
 逸らすことができない。
 恐怖のあまり。


 黒川さんという恐怖。
 それに怯えている中。

 全く容赦する気配がない、黒川さん。


 絶対。
 まだ何かを言ってくる。
 黒川さんは。

 そんな雰囲気が。
 はっきりと見えていた。


 黒川さん。
 次は何を言ってくるつもりなのだろう。

 私は恐怖でいっぱいだった。




「なんで約束破るんだよ‼」


 そう感じていたとき。


 恐怖というよりは。
 わけがわからないことを言ってきた。


 どういうこと⁉

 約束を破るって……⁉


「見ちゃったんだよ‼ 昨日‼」


 見ちゃったって?

 何を?


「青野くんと下校するところを‼」


 ……‼


 見られてた……⁉
 黒川さんに……⁉


 もう真宙くんとは関わらない。
 そう黒川さんと約束したのに。
 真宙くんと一緒に下校した。

 それは後ろめたい気持ちだった。


 だけど……‼

 真宙くんから話しかけられる。
 その場合は、どうにも……。


「ごめんなさい。そんなつもりじゃ……。
 で……でも、やむを得ない場合も……」


「口答えするな‼」


 言い終わる前に。
 黒川さんに遮られてしまった。


「お前が青野くんのことを誘い出したんだろ‼」


 ……⁉


 言ってきた。
 とんでもないことを。
 黒川さんが。


「おとなしそうに見えて、裏では青野くんのことを誘惑してたんだな‼」


 誘惑って……⁉

 私が真宙くんのことを……⁉

 黒川さん、なんということを……‼


「なんてキタナイ女‼」


 キタナイって……⁉

 なんで……‼
 なんでそこまで言われなくてはいけないの……⁉


 って。
 今、叫んでいるのは全て心の中。

 それらの言葉は。
 黒川さんには全く聞こえていない。


 本当なら。
 伝えなくてはいけない。
 声を出して。
 黒川さんに。

 でも。
 極度の緊張と恐怖のせいか。
 声が全く出ない。



「お前、あのこと言っていいのかよ‼」


 ……‼


 ちょ……ちょっと待って‼ 黒川さん‼

 そのことは絶対に言われたくない‼
 誰にも……真宙くんに知られたくない……‼


 ダメだ……‼
 声が……。
 声が出ない……‼


 もう……ダメ……。



「そこまでだよ」


 ……⁉




 突然、聞こえてきた。
 その声に驚いた。


 この声は……。


 私は声がする方へ振り向いた。


「今、黒川さんが希空ちゃんに言っていたこと、
 全て聞いてたから」


 やっぱり。

 声の正体は真宙くんだった。


「希空ちゃんは俺の大切な人だから」


 真宙くん……。

 私のこと……大切な人って……。


「これ以上、希空ちゃんに酷いことをしたら、
 俺、黒川さんのことを許さない」


 真宙くんにそう言われた黒川さんはショックを起こしている様子だった。


「でも、一つだけ黒川さんに訊きたいことがある」


 訊きたいこと……?

 真宙くん、黒川さんに何を訊きたいのだろう。


「希空ちゃんの『あのこと』って?」


 ……‼


 そうだ、真宙くんが今の黒川さんの言葉を全て聞いていたということは……。


「あ……青野くん……」


 お願い‼ 黒川さん‼
 真宙くんに私の過去を言わないで‼


「なに、言えないの?」


 真宙くんも……‼

 これ以上、黒川さんに訊くのはやめて‼


「俺は平気だけど」


 え……。


「俺は希空ちゃんの何を聞いても
 希空ちゃんのことを嫌いになったり幻滅したりしないから」


 真宙くん……。




「……嘘……なの……」


 え……。


 よく聞こえなかった。
 黒川さんの声が小さくて。

 けれど。
 確かに黒川さんはこう言った。

『嘘』って……。


「本当は……
 麻倉さんの過去のこと……
 ……何も……知らないの……」


 え……⁉


「試しに麻倉さんにそう言ってみたら、
 麻倉さんに反応があったから……
 それで、私……」


 そ……そんな……。


 それじゃあ、私……。
 黒川さんの嘘にまんまと……。


「……そう……」


 呟くように。
 そう言った真宙くんの一言。

 その中には。
 何かが込められているよう。


「行こう、希空ちゃん」


 真宙くんはそう言って、その場から離れかけた。


「青野くん……‼」


 そんな真宙くんを見て、黒川さんは慌てて真宙くんの方へ駆け寄った。


「青野くん、ごめんなさい‼
 私、麻倉さんにそんなことをするつもりはなかったの‼」


 必死に言う、黒川さん。


 そんな黒川さんのことを冷めた様子で見ている真宙くん。


「じゃあ、俺たち行くから」


 真宙くんはそう言って、黒川さんから目を逸らし。
 私の手首を掴んで、そのまま歩き出した。