君と見る空は、いつだって青くて美しい




「そうしたら突然、
 まだ封が開いていないポケットティッシュを渡してくれた子がいて……」


 やっぱり。

 今、思い出した。


「それが君、麻倉希空さん」


 あのとき、手洗い場で傷口を洗い流していた男の子は。
 青野くんだったんだ。


「君が『よかったら、これ使ってください』って言ってくれたんだ」


 うん、確かに昨年の体育祭のときに。
 手洗い場で傷口を洗い流していた男の子がいて。
 まだ封を開けていないポケットティッシュを渡した。


「俺は、そのとき『そんなの悪いから』と言ったんだけど、
 君は『気にしないで使ってください』と言って
 俺にポケットティッシュを渡して、そのまま去って行ったんだ」


 確かにそうだった。

 私は青野くんにポケットティッシュを渡してすぐに立ち去った。


 人に話しかけることが苦手。

 あのときは、あれが精一杯だった。


 それでもポケットティッシュを青野くんに渡したのは。
 放っておけなかったから。

 肘も膝も怪我をして大変そうだった。

 だから勇気を振り絞って青野くんにポケットティッシュを渡した。

 確かにポケットティッシュだけでは、どうにもならないことはわかっていたけれど、濡れた傷口を少しでも拭いた方がいいと思ったから。


「そのとき俺、君にお礼を言いそびれちゃって。
 体育祭が終わってからも君のことは時々見かけてたんだけど、
 なかなかお礼を言うことができなくて」


 青野くん……。

 ずっと気にしていたんだ。


「そんなこと気にしなくてもよかったのに」


「ダメだよ。あんなに親切にしてもらったんだから、
 せめてお礼くらいは言わないと。
 あのときは本当にありがとう。すごく助かったよ」


 すごく助かった……。

 その言葉が、とても嬉しかった。




 会話が落ち着き。
 ゆったりとくつろいで座っている。


「そうだ」


 そのとき。

 青野くんが何かを思い出したように言った。


「俺たち友達にならない?」


 青野くんの突然の言葉に。
 驚き過ぎて声が出なかった。


「そうだ、そうしよう。俺たち友達になろう」


 そう言った青野くんの表情は。
 目をキラキラと輝かせて言っているように見えた。


 そんな青野くんに少し戸惑っていた。


「どうしたの?」


 私が無言だから。
 青野くんは少し心配になったのか。
 私の顔を覗き込んできた。

 なので顔が近いっ‼


「もしかして……嫌……?」


 え……?


「俺と友達になること」


 えっ⁉


「ねぇ、そうなの?」


 えっ⁉ えっ⁉


「ねぇ、どうなの?」


 えっ⁉ えっ⁉ えっ⁉

 青野くんっ。
 私、そんなこと一言も言っていないよっ⁉


「そんなことないよっ。
 ただ少しびっくりしただけで……」


 本当にびっくりしたから……。





「なんで?」


 え……。


「なんで、びっくりするの?」


 なんで……って……。


「別に、びっくりすることではないでしょ」


 え……。


「俺は君と友達になりたいと思ったから
『友達になろう』と言っただけだよ」


 私と友達になりたい。
 それは本当なのか。
 と、少し思った。


 けれど。
 その気持ちとは反して。
 少しだけ嬉しく思っている自分がいるのも確かだった。


「青野くん……ありがとう」


 友達になりたいと言ってくれた青野くんに『ありがとう』という言葉が自然に出た。


「私なんかでよければ、よろしくお願いします」


 照れながら青野くんにそう言った。


「『私なんか』じゃないよ。
 君だから、だよ」


 青野くん……。


 そんなことを言われると、くすぐったい。


 だけど、ここは素直に喜んでもいいのかもしれない。


「ありがとう、青野くん」


「真宙」


「え……?」


「『真宙』って呼んでよ、希空ちゃん」


 真宙くん……。


 そう言った真宙くんの表情は。
 とても無邪気だった。





 今、私と真宙くんは何も話してはいない。

 静かに、そして穏やかに時が流れている。

 そんな中、上を見た。

 視界に入ったのは、美しい緑が広がった世界。

 そこに風が吹けば、美しい緑の葉がやさしく揺れる。

 そのときに葉っぱ同士が触れ合って生まれた音。
 それは、まるでやさしい歌声が聞こえてくるような。
 そんな感覚を覚える。

 その歌声が。
 とても穏やかで。
 とても美しく感じた。


 私は、その歌声に夢中になっていた。



「なんかさ、いいよね」


 そのとき。

 真宙くんがそう言った。


「みんなが学校にいるときに、
 それ以外の場所で、こうしてのんびりとくつろいでるのって、
 なんか特別な時間を過ごしてるみたいで」


 あ……。


 真宙くんの言葉で気付いたことがあった。

 なんで真宙くんは『学校を休もう』と言ってくれたのだろう。

 真宙くんも私と同じで学校を休みたかったのかな。


 ……って。

 ……‼


 もしかして……。

 私のため……?

 私が今日、学校を休みたいと思っていたから。
 真宙くんはそれを察して合わせてくれた……?


 ……って。

 そんなわけはないよね。

 私とは今日、話したばかりなのに。
 そんなことあるわけがない。


 って、前からの知り合いや友達でも。
 休みたい人に合わせるなんて。
 そんなこと……ないよね……。





「そういえば、希空ちゃん」


 そう思っていると、真宙くんが声をかけた。


 話は絵のことに。
 真宙くんは「絵を描くことは好きなの?」と訊いた。

「好きだよ」と返答すると。
 真宙くんは「美術部には入ってるの?」と訊いた。

 私は人と接することが苦手。
 だから美術部に入らなかったことを言った。

 すると真宙くんは「驚いた」と言った。

 真宙くんのその言葉にキョトンとしていると。
 真宙くんは「初めて話す俺にも話せてるし、一緒に公園にもいるから」と言った。

 確かに真宙くんの言う通りだと思った。

 だから「今日はどうしてだろう……。
 いつもの私はこんな感じじゃないから」と言った、ら。

 真宙くんは「嬉しいよ‼」と言った。

 真宙くんのその言葉に驚いた。
 どうして嬉しいのだろう、と。

 そう思っていると「それって俺に心を開いてくれているということだよね‼
 それがすごく嬉しいんだ‼」と真宙くんはそう言ってすごく喜んでいた。

 私が真宙くんに話せていることが。
 真宙くんにとって、そんなにも嬉しいことだなんて……。

 そんな真宙くんにとても驚いた。


 って。

 あれ……?

 ちょっと待って。

 私、真宙くんに心を開いているの……?

 自分では全く気付いていなかった。

 でも確かに。
 いつもの私なら。
 慣れていない人や初めて話す人と、こんなふうに一緒にいることなんてできない。

 じゃあ、やっぱり真宙くんの言う通り。
 私は真宙くんに少しだけ心を開いている……?




「本当に嬉しいな。
 希空ちゃん、これからもよろしくね」


 満面の笑みの真宙くん。

 その笑みは純粋な子供のよう。

 そんな真宙くんの笑みを見ると。


「こちらこそよろしくね」


 照れながらではあるけれど。
 少しだけ笑顔になれた。



「そういえば希空ちゃん、連絡先教えてよ」


 真宙くんがそう言って。
 私と真宙くんは連絡先を交換した。



 そのあとも私と真宙くんは美しい緑が見守るこの空間で癒されながらくつろいでいた。

 そのとき思っていた。

 今日は真宙くんのおかげで本当に助かったなと。

 それに今日は金曜日。
 明日から二日間休みになるし、ちょうどよかった。

 来週の月曜日から普通に登校すればいい。

 こう思えるのも真宙くんのおかげ。

 真宙くん、本当にありがとう。

 そう思いながら美しい緑の葉を見続けていた。





 真宙くんと一緒に学校を休んだ翌日の土曜日。


 今日は、四週間に一度の通院の日。

 通院と言っても身体のことでではない。
 傍からはわかりにくい心の中のことで。

 私は中学一年生の頃から心療内科に通院している。


 中学一年生の頃、私は精神的に限界だった。

 そのとき私は、お母さんと一緒に心療内科に行った。

 そうして診察してもらった。
 そうしたら、だいぶ気持ちが楽になった気がした。

 そして自分が抱えている悩みや苦しみと少しだけ向き合える気がした。



 診察結果。
『うつ病』

 うつ病も心療内科に通い続け、治療を受けているうちに。
 少しずつではあるけれど回復の方向へ向かっている。

 でも完治しているわけではないので、これからも慎重に治療をしていこうと思う。





 今日の診察は終わった。

 受付で薬をもらって会計を済ませた。



 その帰り。

 雨じゃなければ必ず寄るところがある。

 昨日、真宙くんと一緒に行った、あの公園。

 あの公園は時々一人で行っている。
 ベンチに座って、お気に入りの音楽を聴く。



 今、公園に着いてベンチに座ったところ。


 いつものようにイヤホンをして、あの曲を聴く。

 その曲は、私の大好きな曲。

 その曲を聴くと、元気が出てくる。



 ただ、この曲を歌っている歌手。

 その歌手の顔を私は知らない。

 私は、じゃない。

 みんな、その歌手の顔を知らない。

 その歌手は表には出てこない顔出しNGの歌手。

 だから、みんなその歌手の顔を知らない。


 だけど、その歌手とその歌手が歌っている曲は、とても人気。

 今までに出した曲は必ずトップ3にランクインしている。

 それもそのはず。

 その歌手の歌声は、とても透き通ったように美しい。

 そして抜群の歌唱力。

 それだけ揃っていれば十分なのだけど。

 この歌手は、それだけではない。

 それ以外にも人の心を惹きつける魅力をもっている。


 現に私も、この歌手の魅力に惹きつけられている一人だから。




 お気に入りの場所。
 そこで、お気に入りの曲を聴いている。

 それは私にとって癒しの時間。
 そして心が和らぐ時間。

 そんな気持ちに浸りながら上を見た。
 今日も美しい緑の葉たちが風に乗ってやさしく揺れている。

 そんな緑の葉たちを見ながら、お気に入りの歌手が歌っているお気に入りの曲を聴いている。

 それは、とても美しい時間。
 そんな時間を私は大切にしたい。


 ……って。

 ん……?

 誰かが私の方に来る。
 そんな気配がした。

 気になった私は気配がする方に顔を向けた。


「あ……っ‼」


 驚きのあまり、それ以上、声が出なかった。


「希空ちゃん」


 そこには真宙くんがいたから。


「嬉しいな、昨日に続いて今日も希空ちゃんに会えるなんて」


 真宙くんは満面の笑みを浮かべてそう言った。


「……真宙くん、どうしてここに……?」


 驚きの気持ちが治まらないまま、真宙くんにそう訊いた。


「散歩だよ」


「散歩……?」


「うん、散歩。
 俺、時々この公園に散歩しに来るんだ。
 運動不足解消も兼ねて」


 真宙くんも時々この公園に来てるんだ……。


「そうなんだ。
 私も時々この公園に来るんだ」


「えっ、そうなのっ?
 すごい偶然っ。
 なんか、すごく嬉しいっ」


 真宙くんは純粋な子供のような笑顔でそう言った。

 そんな真宙くんを見ていると。
 少しだけ照れくさくなった。