- 君が好きです -


 思わず目を見開いてしまった。心臓を掴まれた気がする。脂汗が滲み出る。

「そして、その子は、……私にそっくりなんだね?」

 再度、全身に電撃が走る。全てを見透かされているようで、怖くなった。ここから逃げ出したくなったが、体が動かない。辛うじて声は出た。

「な、なんで……それを……」

 春はそれを聞くと、視線を落とし、椅子の背もたれに寄りかかり、ため息のような吐息を零した。

「やっぱり、そうか……。これは、てこずりそうだなぁ」

 独り言のように言っている。どういうことだ?
 春は視線を僕に戻し、凍りつく僕の表情を見て、ふわりと笑った。まるで、桜のつぼみが開いたようだった。

「ふふ、じゃあ最後に、もうひとつだけ驚かせてあげよう」

 春は姿勢を正し、真剣な表情で僕を見据えて、最後の一撃をくれた。


「秋くん。私は、君が好きです」


 目の前で、春の突風が吹いた気がした。
 しばらく放心してしまった。
 意味が分からない。意味が分からないけど、顔が熱くなってくるのを感じて、それが恥ずかしくて、誤魔化すためにテーブルに両肘をついて頭を抱える。

「からかうなよ。今日初めて会ったばかりだろ」
「からかってないよ。本気だよ。それに、実は初めてじゃないんだ」

 またしても意味が分からない。下げていた顔を上げ、彼女を見た。春は微笑んでいた。

「秋くん、半年前くらいから、毎週ここの海に来てたでしょ。私、お店の買い物でよくあの道を通るから、気付いたんだ。この人、いつも寂しそうに海を見てるなぁって。そしたらどんどん気になっちゃって。何考えてるんだろうとか、どこの人なんだろうとか。何て名前で、どんな声で、何歳なんだろうとか、ね。いつの間にか、好きになっちゃってたみたい」

 人通りのほとんど無い町だから、人の目をまったく気にしていなかった。見られていたのか。それを知ると、なんだか、恥ずかしい……。

「同い年か年上だったらいいなーって、思ってたの。だから、すごく嬉しい!」

 本当に嬉しそうな春の笑顔が眩しくて、思わず目を逸らした。

「今日は、勇気を出して声をかけてみたんだよ。秋くん、ものすごーく驚いてたね。ふふっ」

 少女のように笑う。少し胸が苦しくなる。

「あの時、ノートに何か書いてるように見えたけど、何? 歌詞?」

 詩を書いてます、なんてメルヘンなことは恥ずかしくて言えない。大学の友人にも言ったことがない。それに比べて、歌詞を書くという行動は、なぜかどこか、格好いい印象を受ける。大した違いは無いだろうに。

「……まあ、そんな感じ」

 春の問いには曖昧に答えて、話題を変えるため先ほどの疑問をぶつけてみることにした。なぜ、僕の過去を知っているのか。

「なんで、ハルの……」

 と言いかけて、目の前の彼女も「はる」であることを思い出し、言い直した。

「……さっき言ってたことは、どうして知ってるんだ?」
「あれはね、女の勘ってやつだよ。今日の秋くんの反応を見てれば、何となくわかるよ」
「そ、そうなのか……」

 春はまた、身を乗り出して聞いた。

「で、その『はる』って子とは、何があったの? フラれちゃった?」

 さすがにそこまでは知らないか。言うか迷った。あまりにも重い話だ。

「……うん。言いたくないよね。答えなくていいよ。ごめんね」

 彼女は笑顔で身を引いた。
 ほんの少しだけ、寂しくもあった。もっとしつこく聞いてくれれば、渋々答えたかもしれない。この苦しみを、聞いて欲しかった。そんなことを、僅かに考えてしまった僕は、なんて我儘なんだろう。

「秋くん、スマホ貸して。持ってるよね?」

 良く分からないまま、ポケットに入れていたスマホを春に渡した。
 春は自分のスマホを取り出し、僕のものと突き合わせ、何かの操作をした後、僕に返した。

「LINE、勝手にだけど登録しちゃった。いつでも連絡してくれていいよ。秋くんのフルネームも、ついでに判明しちゃったぜ。ふふっ」

 なんて行動的な子なんだろう。最後まで連絡先も聞けなかったハルとは大違いだ。いや、ハルもある意味行動的だったろうか。三年前も今も、動いていないのはいつも僕だけだ。
 春は少し真面目な顔をして、言った。

「秋くん、念のため、もう一回ちゃんと言っておくね。今度は、驚かずにしっかり聞いてね」

 彼女が何を言うのかも、僕の気持ちも、その先の答えも、今度は予想できた。

「私は、秋くんが好きです。もっと秋くんのこと知りたいし、私のことも知ってほしい。だから、その……、付き合って、ください」

 言葉を紡ぐにつれ、春は俯きがちになり、口ごもって行った。今までのハキハキした言動からは、少し意外に感じた。
 僕にとっても、嬉しくない訳がない。生まれて初めて女の子から告白されたんだから、当たり前だ。でも、春の言葉を聞いている間にも、ハルの名前や顔や思い出が、頭を離れなかった。ハルを、忘れることは出来ないし、ハルを忘れてはいけないと、僕は自分に言い聞かせてきた。僕がハルを想い、生き続けることが、ハルの、生きた証になるんだ、と。
 最愛の人と見間違えるほど似ている女の子が、目の前で泣きそうな顔をしてこちらを伺っている。胸がズキズキと痛むが、声を出さなくてはならない。

「その……」

 途端、春が立ち上がった。

「いきなり付き合って、なんて、困っちゃうよね。お互いのことほとんど知らないわけだし。返事は、すぐじゃなくていいからね。ちょっと考えてみてよ」

 そう早口に言いながら、店の奥の方にあるピアノの方に歩いて行った。

「私ね、歌手を目指してるんだよ。自分で曲を作ったりもするんだけど、歌詞がなかなか思いつかなくてさ、困ってたんだ。ちょっと、聴いていってよ」

 店内に流れるBGMのボリュームを消した後、春はピアノの前の椅子に腰かけ、鍵盤に指を置いた。ひとつ深呼吸をして、曲を奏で始めた。
 その、細く白い指から零れ落ちるメロディーは、初めて聴くのにどこか懐かしく、甘く切なく心に沁み渡った。例えるなら、グリーンスリーブスやスカボローフェア等の世界に似ていた。彼女がハミングで歌う曲も、透明感のある声も、とても美しく、堪えていないと涙が溢れそうになった。もしかしたら、ハルの描く桜の絵と、似ているのかもしれないと、思った。
 全体的に切ない曲調だったが、終わりの方は爽やかに締められていた。
 曲が終わった後、思わず拍手をしてしまった。それだけ、感動的だった。

「すごく、いいじゃないか。感動したよ」

 こういう時の自分のボキャブラリーの無さに少し失望してしまう。

「ふふ、ありがとう。実はね、秋くんに、この曲の歌詞を書いてほしいんだ」
「ええっ? 無理だよ! こんな綺麗な曲に、僕の言葉なんて乗せられないよ」
「……私は秋くんに書いてほしい。お願いします」

 悲しげな顔で頭を下げられた。断り辛くなった。そんなに悲しい顔をしないでくれ。

「そんなに重くとらえなくてもいいの。空いた時間とか、暇な時に、ちょっと考えてみるくらいでいいから。ね、お願い」

 秋の日に、絵を描くようお願いしていたハルと重なった。

「……わかった。やってみるよ」

 春はようやく、満面の笑みになった。

「よかったぁ。ありがとう!」

 ちょっと待っててと言って彼女は店の奥の階段を駆け上がり、しばらくして一本のカセットテープを持ってきた。

「ふう。これに、さっきの曲を録音してあるの。私の事、思い出しながら聴いてね」

 冗談めかして言いながら、テープを僕に渡す。今時カセットテープなんて珍しい。

「ちなみに、タイトルは何ていうんだ?」
「実はそれも決まってないの。一緒に考えてくれると嬉しいな」
「うーん、わかった。でもあんまり期待はするなよ」

 春は笑顔で大きく頷き、

「うん、期待して待ってる!」
「だからさ……」
「だから……、また、来てね。待ってるから」

 急に寂しげな表情で言った。表情のよく変わる子だ。

「……わかった」

 自分の心の甘さが、少し憎い。