- 夢と約束 -
*** Miss Spring ***
アキと春ちゃんが開いてくれる、私の絵の展覧会がついに明日になった。
私は何もしないのに、ずっとドキドキしてる。明日、私の夢が叶う。それも、最高の友人たちの手で。
大学の講義が終わった後、アキに付いて電車に乗って、いつもの海辺の駅に来た。春ちゃんが迎えに来てくれている。三人で歩いて、おじいさんの喫茶店に向かった。
途中、カーブでアキが足を止めて、海を眺めた。私と春ちゃんも、一緒に海を見る。
今日は少し波が強いけど、オレンジ色の夕焼けが、雲と空と海を染めている。綺麗だな。この世界は、本当に綺麗だ。神様が作った芸術作品だ。
春ちゃんがアキを促して、また歩き出した。私も、アキの横に並んで歩く。夕日が作る影は二人分しかないけど、私は確かに今、みんなと共に存在している。この、素晴らしい世界に。
喫茶店に入ると、きなこが先に来ていた。春ちゃんとアキがキッチンに駆け寄って、挨拶してる。きなこはおじいさんの料理を待ってるみたいだ。あ、もしかして、最初の日にきなこが言ってた「料理を作ってくれるカレ」って、おじいさんのことなのだろうか。きなこ、渋い趣味してるな。
「きなこ、来てくれたんだね」
お行儀よく座っておじいさんを凝視しているきなこの横にしゃがんで声をかけると、きなこは視線だけ私に向けて、いつものように口を動かさずに話す。
「あらサクラ、ご機嫌よう。いよいよ明日じゃない」
「そうなの。もうドキドキだよ」
きなこには先週、展覧会の開催日を伝えていた。猫さんが、人間の日付の感覚を持っているのに少し驚いちゃったけど、賢いきなこにそんなこと思ったら失礼だったな。反省反省。
「きなこも、展覧会に参加してくれるの?」
「もちろんそのつもりよ。友達の夢が叶う日だものね」
胸がきゅんとした。友達……
「きなこありがとう!」
そう言ってきなこを撫でようとしたら、私の横にしゃがんできなこを撫でる春ちゃんの手と重なる。きなこが少し迷惑そうに口を開けて「んにゃあ」と鳴いた。
「この春って子は撫で方が少し乱雑なのよ。もっと丁寧に扱って欲しいものだわ」
「ふふふっ、そうなんだ。でもきっと、春ちゃんもきなこのこと好きなんだよ」
「そうなのかしら」
しばらくして、アキと春ちゃんが展覧会の準備を始めた。
私も手伝いたいけど何もできないので、食事を終えて床の上で丸くなっているきなこの傍で、二人を眺めていた。
「そういえば、ふと思ったのだけれど……」
きなこが少し顔を上げて、私を見た。
「どうしたの、きなこ?」
「サクラの未練が解消して、あの彼の心も前に向かい出して、さらにサクラの夢まで叶ったら、あなたは一体どうなってしまうのかしら」
「え……」
「あなたがバクレイとして生まれたのは、あなたの未練や執着、あと彼によるあなたの魂の束縛だと思うの」
「うん……。それは何となく分かる」
「それらが全て解決したら、バクレイとしてのあなたは……どうなるのかしら」
「それは……」
それは、考えてなかった訳じゃない。私たち人間が、「成仏」って言ってること。それが私に起こるのかな。この世界や、そこに住む人への未練がなくなった時、バクレイである私は消えるんだろうか。
少し、怖いけど、でもそれが本来の姿だろうし、ずっとここにいちゃいけないとも思ってる。そして、その瞬間が来るとしたら、きっと、そう遠くはないとも、思ってる。
「その時は、きっと、私は消えちゃうんだよ。成仏するんだ」
「やっぱり、そうよね。喜ぶべきことなんでしょうけど、少し寂しいわ」
「うん……」
そう思ってくれることが嬉しく思えると共に、私も寂しくなってしまった。
「バクレイが、成仏した先……、そこがどうなっているのか、今のあたしには考えも及ばないけれど、きっと素敵な所なんでしょうね。あなたのお父さんやお母さんも、いるといいわね」
「うん。そうだね。そういう所があるのなら、きっと、すごく素敵で幸せな場所だよ」
「そうね。いつかあたしもそこに行くから、その時はよろしくね」
「うん、もちろんだよ。またお喋りしようね」
天国。そういう所が本当にあるなんて、生きてる時は信じてもいなかったけど、こうして幽霊になって存在していると、そういう所もあるかもしれないなんて、思える。みんなが、ただ笑って幸せに過ごせる、そんな場所が、あってもいいな。
*** Mr. Autumn ***
僕たちは、作戦会議で考えたレイアウトに沿って、店のテーブルやイス等を移動した。店内の壁に絵を飾るので、歩き回って見られるように壁沿いのテーブルを内側に移動し、ゆるやかな円形になるように並べる。その上に薄桃色のテーブルクロスをかけた。
店のメニューの裏にハルの絵をカラーコピーしたものを、それぞれのテーブルに配置する。これも作戦会議で考えて、事前に作っておいたものだ。メニューには、桜のパフェや春野菜のパスタなど、春の新作メニューが並んでいる。これはおじいさんが考えてくれた。
「お待たせ。おや、随分雰囲気が変わるものだね」
準備を始めて三十分ほど経った頃、おじいさんがトレーを持って階段を降りてきた。今日はカレーだ。食欲をそそるいい匂いが漂う。
「やったーカレーだ!」
春が大げさに喜んだ。さっきまで寝ていたきなこもなぜか嬉しそうに鳴いた。僕たちは暫く、おじいさんのカレーに舌鼓を打った。
食後のコーヒーで一息ついた後、作業を再開する。
持ってきたハルの絵を慎重に取り出し、一枚ずつ額に入れて、店の壁に掛けていく。
百円均一で買っておいた桜の枝のレプリカを、壁の空いているところと、各テーブルに飾り付けた。
店の照明を落ち着いたオレンジから白色のものに取り換えて、店内の雰囲気を明るくする。テーブルにかけた薄いピンクのクロスと相まって、部屋の中に春が訪れたようになった。
「よし、これで仕上げだね」
最後に、僕が描いたハルの絵を、春が店の壁の中央に飾った。その下には、簡単な紹介文を書いたプレートを貼り付ける。
<<鈴村ハル>>
彼女は、私たちの友人であり、大切な人です。
三年前の交通事故で亡くなった彼女は、
自分が描いた桜の絵で個展を開くという
素敵な夢を持っていました。
この度、私たちは、彼女の夢を叶えるため、
彼女が生前描いていた絵を集め、展覧会を開きました。
どうか、彼女を知る人も、知らない人も、
彼女の笑顔と澄んだ絵を、心のどこかに覚えて行って下さい。
「この絵だけ、背景が秋なんだよな……」
「いいじゃん。ハルちゃんが、秋に包まれて笑ってる……。すごく幸せな光景だよ」
「そうか……」
ハル。
僕が描いた絵が、ハルの個展に飾られたよ。
*** Miss Spring ***
アキと春ちゃんが開いてくれる、私の絵の展覧会がついに明日になった。
私は何もしないのに、ずっとドキドキしてる。明日、私の夢が叶う。それも、最高の友人たちの手で。
大学の講義が終わった後、アキに付いて電車に乗って、いつもの海辺の駅に来た。春ちゃんが迎えに来てくれている。三人で歩いて、おじいさんの喫茶店に向かった。
途中、カーブでアキが足を止めて、海を眺めた。私と春ちゃんも、一緒に海を見る。
今日は少し波が強いけど、オレンジ色の夕焼けが、雲と空と海を染めている。綺麗だな。この世界は、本当に綺麗だ。神様が作った芸術作品だ。
春ちゃんがアキを促して、また歩き出した。私も、アキの横に並んで歩く。夕日が作る影は二人分しかないけど、私は確かに今、みんなと共に存在している。この、素晴らしい世界に。
喫茶店に入ると、きなこが先に来ていた。春ちゃんとアキがキッチンに駆け寄って、挨拶してる。きなこはおじいさんの料理を待ってるみたいだ。あ、もしかして、最初の日にきなこが言ってた「料理を作ってくれるカレ」って、おじいさんのことなのだろうか。きなこ、渋い趣味してるな。
「きなこ、来てくれたんだね」
お行儀よく座っておじいさんを凝視しているきなこの横にしゃがんで声をかけると、きなこは視線だけ私に向けて、いつものように口を動かさずに話す。
「あらサクラ、ご機嫌よう。いよいよ明日じゃない」
「そうなの。もうドキドキだよ」
きなこには先週、展覧会の開催日を伝えていた。猫さんが、人間の日付の感覚を持っているのに少し驚いちゃったけど、賢いきなこにそんなこと思ったら失礼だったな。反省反省。
「きなこも、展覧会に参加してくれるの?」
「もちろんそのつもりよ。友達の夢が叶う日だものね」
胸がきゅんとした。友達……
「きなこありがとう!」
そう言ってきなこを撫でようとしたら、私の横にしゃがんできなこを撫でる春ちゃんの手と重なる。きなこが少し迷惑そうに口を開けて「んにゃあ」と鳴いた。
「この春って子は撫で方が少し乱雑なのよ。もっと丁寧に扱って欲しいものだわ」
「ふふふっ、そうなんだ。でもきっと、春ちゃんもきなこのこと好きなんだよ」
「そうなのかしら」
しばらくして、アキと春ちゃんが展覧会の準備を始めた。
私も手伝いたいけど何もできないので、食事を終えて床の上で丸くなっているきなこの傍で、二人を眺めていた。
「そういえば、ふと思ったのだけれど……」
きなこが少し顔を上げて、私を見た。
「どうしたの、きなこ?」
「サクラの未練が解消して、あの彼の心も前に向かい出して、さらにサクラの夢まで叶ったら、あなたは一体どうなってしまうのかしら」
「え……」
「あなたがバクレイとして生まれたのは、あなたの未練や執着、あと彼によるあなたの魂の束縛だと思うの」
「うん……。それは何となく分かる」
「それらが全て解決したら、バクレイとしてのあなたは……どうなるのかしら」
「それは……」
それは、考えてなかった訳じゃない。私たち人間が、「成仏」って言ってること。それが私に起こるのかな。この世界や、そこに住む人への未練がなくなった時、バクレイである私は消えるんだろうか。
少し、怖いけど、でもそれが本来の姿だろうし、ずっとここにいちゃいけないとも思ってる。そして、その瞬間が来るとしたら、きっと、そう遠くはないとも、思ってる。
「その時は、きっと、私は消えちゃうんだよ。成仏するんだ」
「やっぱり、そうよね。喜ぶべきことなんでしょうけど、少し寂しいわ」
「うん……」
そう思ってくれることが嬉しく思えると共に、私も寂しくなってしまった。
「バクレイが、成仏した先……、そこがどうなっているのか、今のあたしには考えも及ばないけれど、きっと素敵な所なんでしょうね。あなたのお父さんやお母さんも、いるといいわね」
「うん。そうだね。そういう所があるのなら、きっと、すごく素敵で幸せな場所だよ」
「そうね。いつかあたしもそこに行くから、その時はよろしくね」
「うん、もちろんだよ。またお喋りしようね」
天国。そういう所が本当にあるなんて、生きてる時は信じてもいなかったけど、こうして幽霊になって存在していると、そういう所もあるかもしれないなんて、思える。みんなが、ただ笑って幸せに過ごせる、そんな場所が、あってもいいな。
*** Mr. Autumn ***
僕たちは、作戦会議で考えたレイアウトに沿って、店のテーブルやイス等を移動した。店内の壁に絵を飾るので、歩き回って見られるように壁沿いのテーブルを内側に移動し、ゆるやかな円形になるように並べる。その上に薄桃色のテーブルクロスをかけた。
店のメニューの裏にハルの絵をカラーコピーしたものを、それぞれのテーブルに配置する。これも作戦会議で考えて、事前に作っておいたものだ。メニューには、桜のパフェや春野菜のパスタなど、春の新作メニューが並んでいる。これはおじいさんが考えてくれた。
「お待たせ。おや、随分雰囲気が変わるものだね」
準備を始めて三十分ほど経った頃、おじいさんがトレーを持って階段を降りてきた。今日はカレーだ。食欲をそそるいい匂いが漂う。
「やったーカレーだ!」
春が大げさに喜んだ。さっきまで寝ていたきなこもなぜか嬉しそうに鳴いた。僕たちは暫く、おじいさんのカレーに舌鼓を打った。
食後のコーヒーで一息ついた後、作業を再開する。
持ってきたハルの絵を慎重に取り出し、一枚ずつ額に入れて、店の壁に掛けていく。
百円均一で買っておいた桜の枝のレプリカを、壁の空いているところと、各テーブルに飾り付けた。
店の照明を落ち着いたオレンジから白色のものに取り換えて、店内の雰囲気を明るくする。テーブルにかけた薄いピンクのクロスと相まって、部屋の中に春が訪れたようになった。
「よし、これで仕上げだね」
最後に、僕が描いたハルの絵を、春が店の壁の中央に飾った。その下には、簡単な紹介文を書いたプレートを貼り付ける。
<<鈴村ハル>>
彼女は、私たちの友人であり、大切な人です。
三年前の交通事故で亡くなった彼女は、
自分が描いた桜の絵で個展を開くという
素敵な夢を持っていました。
この度、私たちは、彼女の夢を叶えるため、
彼女が生前描いていた絵を集め、展覧会を開きました。
どうか、彼女を知る人も、知らない人も、
彼女の笑顔と澄んだ絵を、心のどこかに覚えて行って下さい。
「この絵だけ、背景が秋なんだよな……」
「いいじゃん。ハルちゃんが、秋に包まれて笑ってる……。すごく幸せな光景だよ」
「そうか……」
ハル。
僕が描いた絵が、ハルの個展に飾られたよ。