「……ああ。ここ二か月くらいはまったくだ。その前までは、時々思い出してくれたのだが。病が進行してしまってようで……」

「そうなんですね……」

「まあ、私もばあさんも老い先短いのでね。仕方のないことなのだよ」


 そう言ったおじいさんだったけれど、無理して自分を納得させようとしているようにも感じた。長い間連れ添った夫婦。一度だけでもいいから自分のことを思い出してほしいという切実な願いを、やっぱりどうにか叶えてあげたい。


「ナッツを入れるのよ。甘いのが苦手だもの。チョコはビターにしなきゃ、ダメ。」


 不意におばあさんが、はっきりとそう言った。私が聞いた中で一番明瞭に聞き取れる言葉だった。私はふと、先ほどのおばあさんの様子を思い出した。


「そう言えば転んでいた時のおばあさん、製菓用のふるいを持っていましたよね」


 何故そんなものを持っていたのか不思議だったけれど、もしかしてキッチンで何かを作ろうとしていたのではないだろうか。


「ああ、元気だった頃はよく台所に立っていたし、足腰が立たなくなる数か月前までは、たまに料理をしていたからね。最近も料理をしたがるのだが、手順を忘れてしまったみたいでうまく作れないんだ……。私は料理はからっきしだから、妻が何を作ろうとしているのかは、まるで分からないんだがね」

「ちょっとキッチンを見せてもらってもいいですか?」


 おじいさんが了承してくれたので、私はキッチンを調べることにした。紫月も興味深そうに、私の様子を背後から眺めている。