彼の名前を呟いたら、涙が出そうになった。紫月にからかわれて赤くなり、千代丸くんや琥珀くんも一緒に、私の作るおやつを笑いながら食べたあの日々は、幻だったのだろうか。

 紫月の神通力が見せていた立派な屋敷とはかけ離れた今の潮月神社の姿を見ると、そんな気すらしてくる。あの幸せな時間は、身寄りのなくした私が思い描いた、妄想だったんじゃないかって。

 ――いや。でも確かに、あの日々は存在した。その証は、残っていた。

 紫月が夜羽によって消されたあの後。人間の世界に戻された私の通帳には、「カンミガカリ キュウヨ」という名目で、七桁後半もの金額が振り込まれていた。

 驚愕すると同時に、神様の金銭感覚の無さに私は少し笑った。そして、通帳の無機質なカタカナの文字列によって、私があの場所でおやつを作っていた日々が確かに存在したことを実感したんだ。

 そのお金はひとり暮らしをする準備のために、少量だけありがたく使わせてもらった。幸いなことに働き口はすぐに見つかったので、それに使った以外はほぼまるまる口座に残っている。

 

「……また来るね。紫月」


 無理やり笑顔を作ってそう言うも、当然何も返事はない。少し遠くに聞こえる波音と、林を揺らす海風の音が聞こえてくるだけ。

 毎日のことだけど、性懲りもなく私は肩を落として、ほぼ廃墟と化している潮月神社を後にした。





 神社からのひとり暮らしをしているアパートへの帰り道、街が少し騒がしいことに気づいた。海岸近くに近年作られた公園の脇を通ると、人が集まっているのが見える。

 ――そっか。初夏の今日は……あの日だったんだ。