「間もなく正午、昼飯のため外に出てくる者に、もう一度ビラを配って終わろう」
「俺たちのお昼、遅くなっちゃう」

井草が文句なのかふざけているのかわからないことをぶつぶつと言う。巧の目から見て、どこまでもやる気のない年上の同僚(階級だけはひとつ上だ)は、誉の言うことはきちんと聞く。上司を立てるのが処世術なのかもしれない。軋轢を生まず、自身の利益を守れる最良の方法なのだ。
この点だけは、御堂誉も井草を見習ってほしいと思う巧だ。

「井草巡査部長、午後は諸岡課長から仕事があるそうだ。指示に従ってほしい」
「生安の手伝いですよね。面倒くさいな~」

井草のちゃらちゃらした文句は聞き流して、誉が巧の方を見る。

「階、私とおまえは外出だ」
「あ、はい」

外出とは聞いていなかった。作りかけの企画書が、今日の終業までにできあがるか不安に思いつつ、巧に拒否する権利はないのだった。

昼食のカップラーメンをオフィスですすると、乗用車で出発した。パトカーではない。署で持っている覆面パトカーだ。一見してただのセダンタイプの乗用車にしか見えない。
特に何も聞かされないまま向かったのは、先日の懇親会で会った防犯協会の会長・加藤の元だった。
加藤は麻布十番の街中に小さな印刷所を構えている。先祖代々この地域に住んでいるそうだ。ここなら歩きで来られる距離なのに、と巧は思う。

「ご足労いただきありがとうございます。どうぞどうぞ」

印刷所の中、簡易応接で加藤は迎えてくれた。