鳥居坂署の御堂さん


陣馬と別れて犯罪抑止係のオフィスに入ると、事態を即座に理解した誉にこれまた秒速で罵られた。

「潜入し損ねたとは、使えないヤツめ。口八丁手八丁で、乗り込み居座り、情報をすべて私に流すのがおまえの仕事だろう。この馬鹿が」

(御堂さんのせいですけど。御堂さんが上司じゃなければ、追い出されませんでしたけど)

あんまりな言い様にも言い返せずに頭を下げると、向かいのデスクから井草が不満げな声をあげる。

「特捜本部に潜入とか、もうどうでもいいでしょ。陣馬警部補がいるんだから。そんなことより階、止めて~。御堂係長、またクラブに行くって言ってるんだよ」

驚いて見やると、誉は頷く。

「おまえたちは周辺の偵察を頼む。情報では、今夜、Crackzが会合をするそうだ。おそらく、香西永太の死を受けてだ。重要な内容が話し合われるだろうな」
「……服はいらないですか?」

古嶋が尋ね、誉は頷いた。

「私の衣装と、中に入る手筈は整っている」
「ど、どういうことですか? 御堂さんだけ中に入るんですか?」

慌てて尋ねると、どこかドヤ顔で誉が頷いた。

「Crackzの下の連中が女を集めていると聞いてな。立候補してきた」

組織下部のホストやチンピラは、こうした裏社会のVIPの会合に、キャバ嬢やその手の女子を集めることがある。しかし、誉はいつの間に潜入の段取りを整えていたのか。簡単に立候補できるわけもない。
「最初のクラブ探訪のあと、何度かひとりで行ってみた」

また勝手に……はたしてどんな格好をしていったのだろう。そんなことまで不安になる巧だ。

「そこで声をかけられた。『金に困っているならいいバイトがある。座ってるだけでいいし、Crackzのメンバーと仲良くなれる』とな」

誉はなんでもないことのように説明するが、おそらく誘われるように自分からアピールしたに違いない。巧は頭を抱えたくなった。陣馬から言われたばかりだが、早速誉が独断で動いている。止める暇もなかった。

「そこでおまえたち三人には外で待機してほしい。出口を固めてなにかあれば援護を頼む。極端な話、中でドンパチ始まったとか、私の正体がバレて拉致されたとかな」
「いやいやいや、御堂係長勘弁して~。俺たち業務外ですからぁ~」

働かない主義の井草が頭を抱えて悲しい抗議の声をあげる。業務は定時後確定であり、犯罪抑止係は絶対にやらない仕事だ。古嶋もとんでもないことになったと青ざめている。
巧は大慌てで進言した。

「あ、あの! 御堂さん、俺も中に入ります! 普通の客として!」
「VIPルームまでは来られないぞ。今回の場所はCrackzお抱えのクラブだが、VIPルームは一般客と入り口から違う」
「中はどこかで繋がってますよね。行きます! そうだ、俺と古嶋で。若者二人組が酔って迷い込んだ体で近づきます!」

いきなり話を振られて古嶋が肩を揺らした。青ざめた顔からさらに血の気が引いて行く。唇がぶるぶる震えている。

「階さん……俺、そういうの……無理で」
「いや、大丈夫だ! 古嶋、おまえならできる! なにしろ、二十歳という若さ! 背も高いし、前髪で顔を隠した感じもミステリアス! クラブに馴染む! 安心しろ!」

巧は古嶋を離すまいと横に並びがっちり腕を組んだ。ともかく、誉をひとりで行かせられない。

「わかった。階と古嶋は中へ。井草巡査部長は外でVIP用の裏口を張り、階たちと連絡を取り合ってくれ。なにかあれば、諸岡課長の判断を仰ぐんだ」
「ん? 諸岡課長も動いてるんですか?」
「じきにわかる。私たち犯抑には関係ないことさ」

誉は平気そうに言って、腕時計を見た。作戦開始まであと数時間である。




二十時、六本木のクラブ・サラスバティに巧は客として潜入していた。
今まで行った二箇所のクラブより、年齢層は高めに感じる。低いビートを刻む音楽、どこからかお香のような匂いが臭覚を刺激する。客層は若者も多いが金に余裕のある大人が遊びにくるような高級感がある。
巧と同行の古嶋の耳にはイヤホン。外の井草と繋げられ、店内奥に潜入中の誉の音声を拾える。
誉はキャバ嬢のひとりとしてVIPルームに潜入しているので、無線が持てない。小型の集音器を身体か衣服のどこかにつけている。
巧はニットキャップを真深く被った。警察官らしく短髪の巧は、左耳につけたイヤホンを隠せないのでキャップだ。古嶋は長い髪で隠している。

「古嶋、大丈夫か?」

巧は隣の古嶋に声をかける。今夜の相棒は、ハイテーブルに俯き加減につき、ジンジャーエールを飲んでいる。

「音が……うるさくて……」

消え入りそうな声で答えが返ってきた。

「ここ、静かな方だよ。クラブにしては。御堂さんの音声拾えてる?」
「は、はぁ。よくわかんなくて……」

思いの外頼りにできなさそうな相棒に、巧はため息を噛み殺した。
古嶋は地域課時代に大きな騒ぎを起こしたわけではない。“なにもしなかった”のだと聞く。自分からは動けない。同僚と連携できない。書類等の事務作業も人の何倍も時間がかかる。
結果、地域課から追い出されたのだ。地域は警察官の基本、一般人と接する機会は一番多いし、スピーディーで的確な対応が求められる。それが古嶋にはできなかった。
巧自身、地域で完璧だったかと尋ねられれば答えられない。喧嘩の仲裁でやり過ぎてしまったり、事件の取扱報告書を記入ミスして上司に怒られたり。勢いばかりの空回りは多かったように思う。しかし、この組織は少々前のめりなくらいの人間の方が好かれ、やる気のない人間は淘汰されるようにできている。巧は巧なりに引っ込み思案な古嶋を心配している。

左耳に誉のいる部屋の音が聞こえてきた。まだ室内は女子だけのようだ。きゃあきゃあと楽しげに騒ぐ女子たちの声はうるさいくらいで、誉がその場に馴染まずに黙っていることだけは伝わってくる。
スカウトに乗ったと言っていたが、誉がいったいどんな格好をしているだろうかと不安になる。そして、彼女は一滴も酒が飲めない。飲めても身動きが取れなくなる。なにかあれば救出だ。
その時、話し声と物音がして、複数人が室内に入ってくるのがわかった。

『ホントかよ』
『だーかーら、勝手に死んだんだよ。俺は始末してねえ』

男数人の声。Crackzの幹部に違いないだろう。

『ヨシキが殺してねえなら、誰だよ』

ヨシキ、Crackzの代表の梶本芳樹のことだろうか。そして、“殺した”相手は香西永太だろう。
願ってもない。いきなりの本題だ。巧は音声に集中する。
『つうか、ヨシキや俺らが殺る理由ねえよ。あのガキ、金払いよかったし、俺らに従順だったんだぜ』

別な男の声。少なくとも三人は男がいるようだが、そこにどやどやと複数人入室してくるような音声が聞こえた。無線を誉の方に繋いでいるので、携帯に井草からメッセージがある。【四人入店】これで幹部は七人以上揃っていることになる。

『昇鯉会があのガキを始末したとか』

連中は再び話を再開させた。昇鯉会の話題に、巧は耳をそばだてた。おそらくは中で御堂誉もしっかり聞いているだろう。

『見せしめ? でも、俺たちは昇鯉会に高い上納金を納めてるんだぞ』
『俺たちの誰も昇鯉会とトラブルは起こしてない。あいつらが、こっちのガキを見せしめで殺る理由なんかねえよ』

麻布の昇鯉会はCrackzに一目を置いて尊重しているということだったが、実際は目こぼししてもらうためCrackz側から上納金が支払われていたようだ。
勢いがあるとはいえ、若者主体のチーム。関東最大組織・小鹿又組から暖簾分けされた昇鯉会には敵わなかったと見える。暴力団組織にとって、シマのシノギの大部分をかすめ取っていく若者は許しがたかったのだろう。しかし、上納金を納めて現時点までトラブルがなかったのだとしたら……。

『あのガキ、俺たちじゃなくて昇鯉会にすり寄ってたんじゃねえのか?』

ひとりが言う。香西永太はCrackzではなく、昇鯉会に入りたくて、途中で後ろ盾を替えようとしたということか。
『でもあいつ、Crackzの一員になりたいから頑張るって言ってたんだぞ』
『元々金持ちのクソ生意気なボンボンだからな。ゆくゆくは俺たちをすっ飛ばして直で昇鯉会とやりとりしたかったんじゃねえの?』
『で、チョーシこいてジジイどもにぶっ殺されたってか?』

そこで笑い声が溢れた。安堵と嘲笑だ。

『じゃあ、俺たちはあのガキの死には関係ねえっつうことで』
『ホントに誰も殺ってねえよな? 今更言うなよ?』

そこでまた笑い声。お愛想なのか、女たちの笑い声も聞こえる。

『振り込め詐欺の件どーする? サツは絶対、俺らんトコくるぜ』
『知らねーって言う。あのボンボンが勝手にしたことだ。俺らは頼んでねえし。便宜も図ってねえ。事実、売り込みかけてきたのはボンボンの方だしな。俺たちは、仲良くしたいなら金持っておいでって言っただけじゃん』

楽しそうな声に、巧は怒りを覚えた。多くの善良な人から金を巻き上げさせておいて、連中は自分たちが教唆したことを認めないだろう。そして人がひとり死んでいるのに、自分たちに火の粉がかからなければなんでもいいと思っている。

『もう、これで終わりな。この話』
『来てないヤツラにも口裏合わせるよう言っといて』

女子の明るい声が上がり、場は一転騒がしくなった。ここからは幹部会と言っても仲間内で酒を飲む会のようだ。そのために女子が集められている。
「御堂さん、大丈夫かな」
「大丈夫じゃ……ないかもしれません……」

古嶋が消え入りそうな声で言う。相変わらずクラブの腹に響く騒音に震えあがってはいるが、なんとか巧に言葉を伝えようとしている。

「妹の友達が……やっぱりこういうバイトしてみたらしいんですが……、男たちに薬かがされて乱暴されたって……」
「ええ!?」

思わず叫んでしまった。巧とて警察官の知識として、そういった事件が起きていることは知っている。しかし、身近での実体験に一気に不安感が募る。

「女子は男たちの膝に座らされたり、その場で性行為に及ばれたり……。妹の友達は拒否して危険ドラッグを使われたみたいです」

危険ドラッグ……、それだけじゃすまないかもしれない。御堂誉の場合、アルコールをひと口でも無理強いされたら、機動力はゼロだ。
飲まされなくても、格闘になったとき、男に敵うかは微妙である。刑事として優秀とは言っても彼女の身体能力的な優秀さは聞いていない。

「古嶋、VIPルームの近くまで行ってみよう」

聞きたいことは概ね聞けた。あとは機会を見て、誉を脱出させなければならない。その時、近くにいればカバーができる。
ふたりは賑わう人の波を抜けて奥の廊下へ向かった。半個室のような部屋が続き、そこではカップルが濃厚に絡み合っていたりするから目の毒だ。さらには巧の不安感を煽る。
VIPルームがこの先にあるだろうという地点まで廊下を進み、酔ったふりをして、古嶋とふたり壁にもたれる。近くにトイレがあるので人の出入りはあるが、暗黙の了解でもあるのか、一般客は誰もここから先の廊下には行こうとしない。ギリギリの境界線で待機する。
誉からの音声は賑やかな飲み会の声だ。男たちの笑う声。女性の大袈裟なくらいはしゃいだ声。

『この子初めて見た』

騒音の中で男の声を拾う。声が近い。

『名前は?』
『ホノカ』

答えた声は誉のものだ。巧は息を飲み拳を握りしめる。ひとりの幹部が誉に目をつけたようだ。

『俺、ちっちゃい女好きなんだよね』
『ヨシキ、ロリコンかよ』
『ちげえよ。背の話。小さい方が締まりがいいんだよ。ホノカ、膝においで』

下品な言葉に、巧はぞわっと総毛だった。そして、御堂誉の大ピンチだ。
どうする、どうやって踏み込む? このままでは誉が乱暴されてしまう。
その時だ。クラブのフロアから悲鳴のような声が聞こえた。ざわっと空気が変わる。

「はい、皆さん。そのまま動かないでねー。音楽止めましょう」

拡声器の冷静な声がクラブの熱狂を一瞬にして覚ました。

「鳥居坂署です。もう一度言います。動かないでね」
「年齢確認できるものを見せてもらいまーす」

一瞬静まり返ったフロアがわっと騒がしくなった。おそらく刑事たちの入店と、逃げ出す連中がもみ合いになっている。
立ち入り検査だ。巧は聞いていない。当然、古嶋もだ。ふたりの前を、若い男が転がるように通り過ぎ、VIPルームに駆けこんでいくのが見えた。

【生安が入った。混乱に乗じて係長を連れ出せ】

井草からのメッセージ。おそらく、生活安全課の少年係が動いている。

「未成年補導の名目で立ち入りだ」

誉が井草に『諸岡課長の指示で動け』と言っていたのはこういうことだったのだ。幹部会の場所と時間がわかった時点で、生安を動かすように誉が指示していたに違いない。