「…ここは、フェルドの部屋だったんだぞ」

「…パパの部屋」

 リアンは部屋の中を見渡し、呟いた。
『見渡す』という表現がぴったりな程、この部屋は広い。部屋の中には、たくさんの本が並ぶ本棚やソファーなどが置かれている。
 中でもリアンの目を惹いたのは、部屋の中央に置かれている、漆黒に輝く見事なピアノだ。

「…あれ、パパのピアノ?」

 リアンは、輝いた瞳を真っ直ぐにピアノに向けたまま、尋ねた。

「あぁ…そうだよ」

「…弾いていい?」

「あぁ…もうお前のピアノだから好きな時に弾いていいんだよ」

 マドルスの言葉を聞いて、今まで落ち込んでいたのが嘘のように、リアンはピアノに駆け寄った。そして、漆黒に輝くそのボディーに手を這わせると、静かに目を閉じた。
 言葉はないものの、リアンは心の中でピアノと会話をしているのだろう。その表情はとても穏やかだ。そして、会話を終えたリアンは椅子に座ると、今度は鍵盤に指を這わせ、緩やかにその指先を動かした。
 室内に透き通るような甲高い音が鳴り響く中、マドルスは驚きの表情を浮かべている。そしてそれは、悲しみの表情へと変わった。
 マドルスの中で、リアンの姿が、かつてピアノの才能に満ち溢れていた息子のフェルドと重なったのだ。
 マドルスは静かに目を閉じた。そして、全ての思考が止まる程、リアンのピアノに夢中になって行く。
 リアンがピアノを演奏し終わる頃には、マドルスの頬には、止め処ない涙が伝っていた。