「…ママってドニーの花屋で働いてたんだよね」
リアンは食事の手を休め聞いた。
「…ほうだぞ」
ジャンはパンを頬張りながら、頷いた。
「それからどうしたの?」
「それから?フェルドは花屋で働くソフィアを一目見て、恋に落ちたんだ」
「…へぇ…そうなんだ」
リアンは初めて聞いた両親との出会いを聞けて、嬉しくなった。
「でもな…フェルドがソフィアに初めて声を掛けるまでには三年も掛かったんだぞ」
「…へぇー」
リアンは目をキラキラとさせて、言葉の続きを待った。
「俺とフェルドがもっと早く知り合ってたら、そんなに掛からなかっただろうけどな」
「パパとはこの酒場で知り合ったんだっけ?」
「そうだぞ…懐かしいな」
ジャンとフェルドがこの酒場で知り合ったのは、フェルドがこの街に来てから三年目の月日が流れていた。
その時フェルドはカウンターに座り、溜息をつきながら一人酒を飲んでいた。顔は見た事はあったが、話すのは初めてだ。
当時ジャンは、この酒場の店主ではなかった。
客として来ていたジャンは、そんなフェルドに話し掛け、その時に恋の悩みを聞いたのだ。そして二人は、その日から親友となった。
「俺はフェルドと初めて話した日に、恋の悩みを聞いた…それで俺は相手にバラの花束をプレゼントすればイチコロだとアドバイスしたんだ」
「…それからどうしたの?」
「フェルドは次の日にバラの花束を買いに行ったんだ…ソフィアの働く花屋まで」
「えっ?」
「そしてフェルドはソフィアから買ったバラの花束を、そのままソフィアにプレゼントしたんだ」
「変なの」
リアンは愛くるしい笑顔を浮かべた。
「変だよな。俺も相手がまさかソフィアだとは思わずにアドバイスしたから、後で聞いてびっくりしたんだ」
「それでそれで」
「その日にフェルドとソフィアは教会に行き、結婚したんだ」
「その日に!?」
「うん、その日にだ!」
そう言った後、ジャンは豪快に笑った。
リアンは今は亡き、両親の顔を思い浮かべた。
母親のソフィアの顔は、写真でしか知らない。リアンを産んだ数日後に、病気で死んでしまったのだ。
もとから体の弱かったソフィアは、無理をしてリアンを産んだ。だが誰も、リアンにはその話しをしていない。
お喋りなジャンでさえも、リアンを産んでしまったせいで、ソフィアが死んだなんて言えるはずがなかった。
「それからの話しは、フェルドから聞いてるな」
ジャンはステーキを切りながら尋ねた。
「…うん」
もう二度と会う事が出来ない両親を思い出し、リアンは少し悲しい顔をした。その様子に気付いたジャンは、話題を変え、リアンを笑わせた。リアンは顎が外れるんじゃないかという程、大笑いしている。
時間が経ち、楽しかった今夜の宴も終わりを迎えた。
台所でジャンとお喋りしながら食器を洗い終えたリアンは、風呂に入った。そして程良く熱い浴槽に浸かり、幼き頃に過ごしたフェルドの事を思い出した。
フェルドはリアンがまだ幼い頃に亡くなっている。数多くの思い出は記憶にはない。しかし、ジャンからはよく伝え聞いている。
両親との思い出に浸っていると、長風呂となってしまった。
風呂からでたリアンは、ジャンとおやすみの挨拶を交わした。そして寝室へと向かい、ベッドに横になった。しかし眠るにはまだ早い。
リアンは、部屋に飾られているフェルドの描いた絵を眺めた。
キャンバスには、猫と戯れる、幼き日のリアンの姿が描かれている。何百回、何千回と毎日見続けている絵だが、見る度に幸せだったあの日々を思い出している。
夢中で絵を見続けていたリアンは、知らぬ内に眠りの世界へと誘われていた。そして夢の中で両親と会い、いっぱい語り合った。
「行ってきます!」
朝食を済ませたリアンは、学校へと向かう。そして商店街を抜け、いつものように坂道の前で足を止めた。
しばらくそこで待っていると、ドニーが向こうから歩いて来るのが見えた。しかしドニーは、いつものような元気がない。
「ドニーどうしたの?…病気でもしたの?」
リアンは心配そうな顔をしている。
「ううん…リアン、俺ずっとリアンに言いたかった事があるんだ」
ドニーは、いつもは駈け上がる坂道を歩きながら話し始めた。
「…何?」
リアンはドニーの真剣な顔付きが心配でしょうがなかった。
「…俺ん家、この街を出るんだ」
「えっ!?」
「…今日でリアンとは、さよならなんだ」
ドニーは鼻水と涙を、長袖の裾で拭った。
「…嘘だよね!?」
ドニーにはいつも嘘を付かれている。
リアンは、信じたくなかった。
「…嘘じゃないよ…ごめん…ずっと言えなくて」
ドニーの目からは、長袖では拭えない程の涙が流れている。
「………」
リアンも涙が止まらなかった。
「…だから…今日で秘密基地とも、さよならだね」
ドニーは、涙を隠すように俯きながら言った。
「…うん」
それからリアンとドニーは、しばらく無言になった。そうしているうちに、二人は学校に着いた。
誰もいない教室のドアを開け、お互い視線を逸らしたまま、各々の席へと座る。
ライアが来るまでの間、どちらも口を開こうとはせず、視線も合わさなかった。受け入れたくない現実に、お互い掛ける言葉がないのだろう。
重苦しい空気が流れる中、教室のドアが開いた。入ってきたのは、ライアだ。
「…起立、きおつけ、おはようございます」
日直のドニーは号令を掛けた。しかし、いつもより元気がない。それに気付いたライアは、非難するような視線をドニーに浴びせる。
「着席」
ドニーは溜息混じりにそう言うと、力無く椅子に座った。
「ドニー君、今日は病気でもしてるの?」
ライアの片方の眉は、ピクピクと動いている。
「…してません」
「じゃあなんですか!?その元気のない掛け声は!?」
ライアは毎日感情が違う。どうやら今日はヒステリックな日のようだ。
ドニーが返事をせずに、俯く中、リアンが口を開いた。
「…先生…先生はドニーが転校すること知ってたんですか?」
「知ってたわよ!!それが何!?」
ライアは目を吊り上げ、教卓を叩いた。
「…なんで教えてくれなかったんですか?」
「あなたにそれを教える義務なんてないの!」
「なんでですか!?」
リアンは初めてライアに食って掛かった。
「先生に歯向かうんじゃありません!こっちにきなさい!!」
ライアは右手を振りかざし叫んだ。
「…逃げろ!」
ドニーは、リアンの手を取った。そしてドニーはリアンの手を掴んだまま、駆け足で教室を出て行った。
「…あぶなかったな」
秘密基地に着いたドニーは、肩で息をしながら言った。
「…うん!」
リアンも息を切らしている。そして二人は、顔を見合わせて笑いだした。今日初めての笑顔だ。
「…なぁ、リアン。このまま学校に戻ってもお尻叩きの刑が待ってるだけだから、このまま秘密基地にいようぜ!」
ドニーが穴だらけのソファーにドカッと座った。
「うん!」
リアンもドニーの横に腰掛けた。
この秘密基地は空き家を改造して、二人が数日掛けて作った基地だ。
ソファーをごみ捨て場から拾ってきたり、穴の空いた壁を板で塞いだりと、思い出いっぱいの場所。部屋の中には、ロープと木で作られたブランコが揺れている。
立ち上がったドニーは、二人で作ったその思い出のブランコに乗り、口を開いた。
「リアン、ピアノ聴かせてくれよ」
「うん」
リアンはゆっくりとピアノに近付くと、鍵盤に指を這わせた。そして、いつものようにアップテンポなリズムの曲を奏でた。
ドニーはブランコをメトロノームのように揺らし、リズムをとっている。
曲調が、悲しいものへと変わった。
ブランコを揺らしていたドニーの目からは、勝手に涙が溢れ出している。
その思いと同じリアンも、ピアノを弾きながら涙を流した。
二人だけを包む悲しいメロディーが、秘密基地に響き渡る。そして、そのメロディーは突如終わりを迎えた。
演奏を止めたリアンの元へ、ドニーは駆け寄った。
二人は懐かしむように、共に過ごした日々を振り返った。
話しは尽きる事はなかったが、時間は無情にも流れ、外は夕焼けに包まれ始めた。
「…そろそろ帰らないと、母ちゃんに叱られちゃうな」
ドニーは寂しそうに呟いた。
「…うん」
リアンも同じ気持ちだ。
「…リアン…離れてても俺達はずっと親友だからな!」
涙を堪えたドニーは、リアンの手を握り締め、無理やり笑顔を作った。
「うん!」
リアンも涙を堪え、力強く手を握り返した。
「…帰ろう」
言いたくない言葉を、ドニーは口にした。
二人は秘密基地を出た。
「…あっ、鞄学校だ」
ドニーが思い出した。
二人は鞄を取りに、学校へと向かった。
学校に着いた二人の足は忍び足だ。鞄を持ち、忍び足で帰ろうとした瞬間、ドアがすぅーと開いた。
二人がゆっくりと開かれたドアへと視線を向けると、そこには凍り付いた笑顔を浮かべるライアが立っていた。
その後二人が、お尻叩きの刑を喰らったのは言うまでもないだろう。
帰り道、お尻を擦りながら、二人は笑い合った。
あんなに痛いお尻叩きの刑ではあったが、それもいつしか二人の思い出になるだろう。
二人の出会いの場であり、別れの終着点でもある、永遠に続く坂道を下り切った。
あんなに笑い合っていた二人だが、みるみるその笑顔は消えて行く。そして長い沈黙を経て、お互いがまた会えると信じ、握手を交わした。
その後、リアンはドニーの背中が見えなくなるまで、涙を流し見送った。
ドニーは泣き顔を見られたくないからか、振り返ることはしなかった。
「ただいま」
酒場に戻ったリアンは、カウンターの中に居るジャンに声を掛けた。
「リアン学校から電話あったぞ…訳は聞かないが、もうだめだぞあんなことしちゃ」
カウンターから出てきたジャンは、リアンの頭を軽く小突いた。
「…うん」
リアンの目に涙が溢れ出した。
「痛かったか!?」
ジャンは慌てた様子でリアンを抱き締めた。
「…ドニーが今日で、この街から居なくなっちゃうんだって」
「…そうか」
ゴツゴツしながらも、温かみのある優しい手が、リアンの頭を撫でる。