何故なら、自分の頭の中に映し出されている少年の背中に抱き付く男の子は、紛れもなく、幼き日の自分なのだ。そして、幼き日の自分が抱き付く、この温かく広く感じる背中も、スタルスは知っている。
 それは決して振り返る事はなかった。記憶の奥底に眠っていた。自分もそうなりたいと憧れた。兄フェルドの背中。
 今耳に届いている曲が、頭の中で鳴り止まないピアノの音と重なる。そしてスタルスは、呆然とした視線で、『別れ、旅立ち』を弾くリアンを見詰める。
 写真の中でしか知らない、愛しい母。
 その横には、いつでも愛を注いでくれた父の姿があった。
 ピアノを弾くリアンは、今、目の前で微笑む両親を見ている。
 写真でしか知らない母、ソフィアの透き通るような白い肌が、リアンの顔にゆっくりと近付いていく。そして我が子の顔に行き着いた指先が、心の底から湧き上がる愛しさを現すかのように、リアンの顔を優しく撫でた。
 赤児の頃に触れられた、思い出せなかった母の温もりが、今触れられている温もりと重なる。
 その瞬間、リアンの瞳から溢れ出す涙が零れ落ちた。
 泣きながらリアンの指先は、白黒の鍵盤の上を動き続けている。そして白黒の思い出と化した昔の事が、今目の前に広がっているのだ。
 愛しそうに自分の顔に触れていた、母の温もりが消えた。そして気付けば、目の前から母の姿が消えていた。
 探し求めるように彷徨う視線が、全てを包み込んでくれる優しげな笑顔を浮かべる父の前で止まった。
 にっこりと頬笑みかけたフェルドは、いつの間にか持っていた筆を顔の前に掲げ、腕を伸ばした。
 リアンはその仕草を覚えている。フェルドが絵を描く時に、構図を決める為に必ずやる仕草だった。
 真っ白なキャンバスに、躊躇いなくフェルドは筆を降ろした。