その顔は、先程の緊張が嘘のように、穏やかな表情をしている。そして、冷たくとも温もりを感じる鍵盤に、指先が辿り着いた。
 その瞬間、リアンの顔付きが変わった。
 指先がしなやかに動き出す。
 踊るように鍵盤の上を動き回る指先が生み出す、悲しげなメロディー。
 まだ始まったばかりの演奏だが、会場は既に悲しげな雰囲気に包まれている。

「…なっ!」

 スタルスは、血走った目をこの悲しげなメロディーを作り出しているリアンに向けたまま、ただ一言そう発した。
 懐かしい景色が、頭の中に一瞬にして広がった。
 ピアノの前に座る、一人の少年。その近くには、幼い男の子が座っている。
 ピアノの前に座る少年が、ピアノを弾き始めた。部屋の中に、悲しげなメロディーが広がっていく。
 男の子は、憧れの眼差しで、ピアノを弾く少年の背中を見詰めている。そしてやがて、演奏が終わりを迎えた。
 部屋の中には、感動という名の余韻がまだ残っている。
 男の子は、立ち上がると駆け出した。そして、やけに広く感じるピアノの前に座る少年の背中に飛び付いた。
 男の子は温かく感じるその背中に、自分の頬をあてがい、うっとりとした表情を浮かべている。

「にいにー。今の曲、何て曲?」

 おそらく兄なのだろう。男の子は、背中から頬を離さずに、甘えた声を出した。

「兄ちゃんが作った、別れ、旅立ちっていう曲だよ」

 少年はにっこりと微笑みながら、腕を背中に回し、抱き付く弟の体を優しく撫でた。
 自分の頭に浮かぶこの仲慎ましい兄弟を、スタルスは知っている。
 それは当然だろう。