スタルスの耳にも、ピアノの音は届いている。そして周りの者の視線は、そのピアノの音を奏でる一人の少女へと向けられている。しかしスタルスの視線は、少女が演奏するステージへと向けられているものの、その目は少女を見ていない。少女が奏でるピアノの音は聞こえているものの、周りの者達とは違い、演奏を聴いてはいないのだ。
 スタルスは今、ピアノコンクールの審査をしている。そして、少女はそのコンクールの参加者。
 当たり前の事だが、審査される為に今ピアノを弾いている。しかし審査長を務めるスタルスは、ピアノの演奏を審査するどころではなかった。
 ジョルジョバの息子がこのコンクールに出場するという事実が、スタルスの心を職務を全うできない程にざわつかせているのだ。
 スタルスは自分では気付いていないが、誰と比べても負けぬ程にピアノを愛している。そしてそのピアノへの愛情は、彼が成長するに連れ、歪んだものになってしまった。
 誰よりもなりたいと願った、父親のようなピアニスト。そして誰よりも越えたいと思った、世界一のピアニストの父親を。
 尊敬して止まない父親から打たれた、ピアニストになるという夢の終止符。誰よりも認めている父親から才能がないと言われたからこそ、スタルスはピアノを弾く事を辞めたのだ。
 それからのスタルスは、ピアノを弾く者を憎んだ事はあっても、ピアノ自体を憎んだ事は一度もない。
 それは物に当たる事がある気丈の激しいスタルスが、一度たりともピアノを傷付けた事がない事から見ても分かるだろう。
 自分がなりたかった、世界一のピアニスト。
 その夢はジュリエが産まれた瞬間から、彼女に託された。しかし、スタルスは溺愛するジュリエにピアノを無理強いした事はない。
 ジュリエは、ジェニファのお腹の中にいる時からピアノの音を聴いている。
 それは産声を上げ、スタルスとジェニファからありったけの愛情を注がれ成長していく中でも、変わりはなかった。