「えぇ…マドルスは死ぬ間際に、リアンのピアノの才能を伸ばして上げて欲しいと、私に頼みました」

「…そうですか、マドルスもリアンのピアノに惹かれた一人なんですね」

 ジョルジョバはそう言うと、遠い目をした。
 世間にはあまり知られてはいないが、ジョルジョバとマドルスは昔、親友と呼ぶ程に仲が良かった。しかしジョルジョバが表舞台から姿を消した時から、二人の関係は大きく崩れたのだ。
 血の滲むような練習を積み重ねても、誰もジョルジョバのピアノの域には辿り着けないだろう。それを誰よりも知っているからこそ、衰えた訳でもないのに、引退を告げたジョルジョバをマドルスは許せなかったのだ。
 引退を告げたその日から、ジョルジョバは一度もマドルスと言葉を交わしていない。
 一度拒絶されたからといって、親友ならば諦めずに何度も押し掛けていればと、マドルスが死んだ今となって、ジョルジョバは後悔しているのだ。
 ピアノ界を去ってからも、心のどこかでジョルジョバはマドルスの事を考えていた。
 リアンが、そのマドルスの孫であると知った時には、ジョルジョバは驚き、そして涙したのだ。そしてそれまでは気付かなかったが、リアンのピアノの中に、僅かに親友マドルスの面影を感じ、また涙を流した。

「…あの、これ」

 ジェニファがジョルジョバの前のテーブルの上に、何かを差し出した。

「これは?」

 聞かなくてもそれが銀行の通帳である事は、一目瞭然だ。しかしジョルジョバは、それが何を意味するものなのかを尋ねたのである。

「…マドルスが、リアンに残したお金です」

「遺産という事ですか?」

「はい…主人が管理していたのですが、これはマドルスがリアンに残したお金なんです」