初めて聴いたピアノの音も、初めて覚えたピアノの曲も、弾いていたのは全て父親のフェルドだった。
 フェルドと暮らした幼き日の記憶。そして、愛するフェルドが死んでしまった時の、悲しみの記憶。その記憶の側らには、ピアノがあった。
 ジャンと暮らすようになってからもそうだ。
 リアンは日々の生活の中で、毎日ピアノを弾いていた。それはマドルスと暮らすようになってからも、何ら変わる事はなかった。しかし、共に暮らした愛する者達は、今はもういない。
 その者達に、今日のピアノを聴かせたい。
 そう強く願った時に、会場内の受付と書かれた看板の前で、リアンは立ち止まった。
 受付の机の前には、二人の男が立っている。

「…参加者の方ですか?」

 眼鏡を掛けた方の男がリアンに気付き、そう尋ねた。

「はい」

 少し緊張している様子で、リアンは答えた。

「…お名前よろしいでしょうか?」

「リアン.フィレンチです」

 ジョルジョバと同じフィレンチの姓を告げたリアンは、すっかりその名前に慣れ親しんでいるようだ。

「…か、確認できました。あちらの矢印に従い、控え室にお進みください」

 名簿の中からリアンの名を見付けた眼鏡の男は、興奮した様子で顔を上げると、壁に貼られている控え室と書かれた紙に向け、手を差し向けた。

その紙には、道順を表す矢印も書かれている。