「好きな人とは、上手くいってるんだな」

 実家に顔を出しに来た様子からすると、きっと話はトントン拍子に進んでいるに違いない。どこの誰だかは知らないが、こずえと付き合ったのは最近の話のはずだ。何せ僕と別れたのがつい先月の話だからだ。

「……ごめんなさい」

 こずえはぽつりとそんな言葉をこぼした。申し訳なさそうな表情で、苦しそうな顔をして。
 ……ああ、僕は最後にこずえの笑顔を見たのはいつだったのだろうか。
 別れ話の時も泣いていた。その前だって様子が変だとは思っていた。いいや、今思い返せば変だったのだ。
 僕はいつも仕事をして、彼女のサインにも気づいていなければ、彼女の笑った顔を最後にいつ見たのかさえ覚えていない。全くもって始末に負えない。

「謝らないで。もう僕たちは終わったんだし」

 終わった? 本当に終わったのか? まだできることがあるんじゃないのか?
 そんな風に足掻く僕の頬を生ぬるい風がふわりと撫でた。その風に乗るようにこずえの長い髪は揺れ、それを抑えるようにして左手で髪を抑えている。
 その時僕は初めて気がついてしまった。彼女の薬指にはめられた、シルバーリングを——。
 僕の視線に気づいたのか、こずえは慌てた様子でそのリングがついた手を右手で隠すように抑えた。

「——幸せに、なってね」

 これは僕からの、せめてものはなむけの言葉だった。心から言ってるのかと言われると、正直、言葉を濁すだろう。
 けれどこれが今、僕が彼女にできる最大限の祝福だった。
 ……たとえ、こずえを幸せにするのは僕じゃなくても。
 それはすごく悔しいことだし、本当は僕が幸せにしたかったのだけれど。だけど、それでも……。

「ごめんなさい、雅人さん」

 こずえは苦しそうな表情で瞳を潤ませながら、そう言葉をふり絞った。
 僕はこんな顔のこずえばかりを見ている気がする。こずえは笑った顔がとても綺麗な女性なのに。
 でもおかしいのは、僕はどうしてもこずえの不幸を願えない。どんなに手を伸ばしても、もう手が届かない相手だとしても。それがどんなに悔しくて、悲しくて、喚き散らしてくなったとしても。
 それでも僕は、こずえに不幸になって欲しくないと思えるんだ。

「僕はいつも、君をそんな風に泣かせていたのかな」

 ふとそんなふうに思って、思わず言葉は僕の口をついて出た。
 僕が仕事を優先してこずえとの予定も、時間も全てを犠牲にしてしまった時。約束を破った回数なんて両手両足の指を足しても足りないくらいだ。
 そんな時、こずえはこうして一人で泣いていたのだろうか。