「ところで、まだお名前を伺っていませんでしたね」

 言われてみれば、そうだった。社会人として失念していた。みーこさんもみーこさんの父親も自己紹介をしてくれたと言うのに、僕はその礼儀を欠いていた。

「大変失礼いたしました。僕は佐藤(さとう)雅人(まさと)と言います」

 正座をしていた僕は足を整えた後、きちんとした形で頭を下げた。すると、目の前に座る神職に仕えるお二方も頭を下げてくださった。

「佐藤さんですね。こちらには後どれくらいいらっしゃる予定なのでしょうか?」

 そう聞いたのはみーこさんの父親だ。僕は一口お茶を口に含み、口の中を潤わせてから笑顔を見せてこう言った。

「そうですね、3週間ほどいる予定です。こちらには祖母が一人で住んでいますので、年老いた祖母が心配で長い休暇を取ってしまいました」

 もちろんこれは嘘だ。僕は結婚を考えていた彼女との破局から、落ち込んだ気持ちを持ち直すための休息のために田舎へ単身やってきたのだ。
 これはいわば僕のリフレッシュ休暇である。
 けれど今言った理由が大嘘かといえばそうじゃない。ばーちゃんが心配なのも本当なのだから。

「そうなんですね。そんなに長い間お休みを取られて会社の方は大丈夫なんですか?」

 麗しいみーこさんの心の中の疑問が顔に表れている、と僕は思った。素朴な疑問をその表情に乗せながら、そう聞いてくる様子が、純真無垢とは彼女のような女性を言うのではないだろうか。という疑問を僕に投げかけた。

「大丈夫とは言い難いですが、溜まっていた有休消化をするいい機会ですから。何か理由でもないと一生有給を溜め続けることになってたでしょうし、働き出すと根を詰めてしまう性分なので、健康にもよくないと思いますしね」
「働きすぎは現代病の一つでもあるのかもしれませんね」

 そんな風にみーこさんの父親は言ったが、働き蜂だった僕はそれを痛いほど実感している。僕は病的に働いてた。残業も当たり前で、日々の生活はおざなりだった。
 仕事に打ち込む姿を彼女にも褒められ、それが拍車をかけたが、今考えれば言葉を真に受けて彼女をおざなりにしてしまったのがいけなかったのかもしれない。
 今となってはもう全てが取り返しようもない過去なのだが。