バランスを崩して床に転んだ美波の上に、男が馬乗りになる。

 なんとか脱がせようとする必死過ぎる手と生臭い息に、吐き気がした。

(ふざけるな。どうして、こんなやつに。どうして、私が)

 生まれてから今まで、ずっと平凡な人生を送ってきて、これからもなんの平坦もない人生を歩んでいくと彼女は思っていた。

 まさか、自分の目の前にこんな乱暴な下り坂が用意されているとは、誰も思わないじゃないか。

(あ……)

 美波は怖くて瞑っていた目を開けた。

(そうだ、知っている。私はこの憎悪の感情を知っている)

 たしかにそれは火曜日だった。

 今日受けたのと同じ講義を受け、同じ一日を過ごし、沙希と話ながらバイト先に向かった。

 とても疲れた気持ちで家に帰ろうとした瞬間、掠れた声に呼び止められた。

 そして、とてもこの世のものとは思えぬ、理不尽でおぞましい暴力にさらされたのだ。

 事が済み、男が走り去ったあと、彼女は呆然と宙を睨んで思った。

 時間が、巻き戻ればいいと。