あの日くだけた世界のかけらを集めても

 行ってきますと言おうとしたとき、玄関の壁にかかったカレンダーが先月のままなのに気がついた。

「お母さん、玄関のカレンダー、新しくするよ」

「今日から十月だっけ。お願いね」

 勢いよく破り取ると、ハロウィンの写真が現れる。

 今日から衣替え、身も心も新しい季節の始まりだ。

 つま先をトントンしながら靴を履く。

 ドアを開けたら凛とした香りが漂ってきた。

 あ、キンモクセイだ。

 昨日までは気がつかなかったけど、一斉に咲いたらしい。

 ゆるい坂を下って駅まで歩く。

 そこかしこから同じ香りが漂ってくる。

 キンモクセイが香るとき、あたしは振り向いてしまう。

 誰かが呼んでいるかのように、澄んだ香りがあたしをくすぐっていく。

 記憶を呼び起こす香りだ。

 でも、そこには誰もいない。

 あたしを呼ぶ人はそこにはいない。

 ただ風が吹き抜けるだけだ。

 枯れ落ちた紫陽花がカラカラと音を立ててアスファルトの上を鞠のように転がっていく。

 坂の途中にあるお地蔵様がちょっぴりさびしそうだ。

 おはようございます。

 いい香りですね。

 おかげさまで西谷かさね、わたくしは今日も元気でございます。

 心の中でいつものご挨拶を済ませてから薄井駅に向かって足を速めた。

 北口階段を上がったところで、まもなく下り電車が到着するとアナウンスが流れてきた。

 定期券を取り出して改札機にタッチ。

 いつもの電車のいつもの車両に乗り込む。

 入学して半年、車窓から見える印旛沼とオランダ風車もすっかり飽きてしまった。

 スマホが震える。

 ミホだ。

『寝坊笑。勾玉神社で!』

 実習疲れかな。

 実技試験の練習でここのところいそがしかったからね。

 毎朝駅まで迎えに来てくれるだけありがたい。

『二度寝すんなよ』

 電車がゆるくカーブする。

 少し汚れた窓が白く輝く。

 笹倉駅に電車が到着した。

 軽い足取りで階段を上がる。

 ちょうど上り電車も到着したところで、改札口が渋滞している。

 ピッと定期券をタッチして通過したところで、もう一度スマホが震えた。

 またミホ?

『今出ました』

 蕎麦屋の出前だ。