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 あたしは何も気づいてないふりをした。

 気づいてしまったことを康輔に悟られないように、わざと明るい声で陽気に振る舞った。

「あのね、コースケ」

 あたしはスマホをしまいながら説明した。

「あのね、コースケの顔、変わっちゃってるんだよ」

「そうなのか」と康輔が自分の顔を触る。「自分じゃよく分からないな」

「なんかね、すごくイケメンなの」

 康輔が笑い出す。

「それは、俺じゃねえな。なんだよ、だから俺だって気がつかなかったのか。なんか変だと思ったんだよ」

 優しい笑顔を向けられてちょっと照れてしまう。

「こいつのせいだな」と康輔が狛犬の鼻をつつく。

 新しい左側の狛犬だ。

「ほら、前さ、おまえがアプリで狛犬そっくりって言ってたじゃんか」

 うんうんうん、とあたしは何度もうなずいた。

「狛犬の顔が変わっちまったからいけないんだよな。こいつ、前のとずいぶん違う顔だもんな。俺の顔も全然別人なのか」

 それはつまり、狛犬に乗り移って姿を現したということなんだろうか。

 ということは、やっぱり、そういうことなんだ。

 康輔は康輔だけど、康輔じゃないんだ。

 でも、仕方がないんだよね。

 なんだかよく分からないけど、今はそういうことに文句を言ってはいけないんだよね。

 あたしは暗黙のルールを瞬間的に理解して、それを受け入れていた。

 運命だかなんだか分からないけど、それに逆らったら、もう康輔には会えないんだろうな。

 あたしは平静を装って、取扱説明書に従って無理矢理笑顔を組み立てた。

 はい、こちらが圧力鍋で三十分煮込んだ完成品です。

 うわあ、とても完璧な笑顔ですね。

 素敵な出来映えですね。

 これでいいんだ。

「違いすぎて全然分からなかったよ。声だけは同じなのにさ。イケメンの無駄遣いじゃん」

 ちがうよ。

 こんな話をしたいんじゃないよ。

 もっと違うことを話したいんだよ。

 あたしね、康輔に伝えたいことがあるの。

 いろんなことを聞いてほしいんだよ。

 だけど、何から話したらいいのか混乱してしまって、何も言えなくなってしまう。

 ああ、まただ。

 あたしはいつもこうなんだ。

 やっと会えたのに。

 会いたくて会いたくて仕方がなかったのに。

「どうした? やっぱり疑ってるのか? 俺じゃないって」

 ううん。

 あたしは首を振った。

 一度振り始めた首が止まらない。

 ううん、ううん。

 そんなことないよ。

 疑ってなんかいないよ。

 全然ないよ。

 康輔があたしの頭を押さえて止めた。

「振りすぎだろ。目が回ったらどうするんだよ」

 事故の後、入院していたときのことを思い出す。

 ひどいめまいに悩まされて吐き気に耐えていたこと。

 もうあんなつらい思いはしたくない。