「じゃ、じゃあ……元気は、阿賀沢さんのお兄さんが殺されたことは知っていたの?」
 千夏が率直にそう口にすると、彼はぶんぶんと大きく首を横に振った。
「そんなの知ってるわけないじゃないか。俺、そもそもお兄さんとは面識なかったし。会ったことあるのは弟さんと彼の奥さんだけだった。でも、お兄さんも売買には同意してるけど仕事が忙しいから来れないって言われて」
 嫌な予感がした。心臓が不協和音を奏でているような、嫌な動悸がする。たぶんそれは、千夏だけでなく晴高も、そして元気自身も感じていたのだろう。
 でも、誰もそれを口にはできなかった。そのことに気づきたくなかった。
「とりあえず、だ。その日のことをもう一回思い出して整理してみろ」
 晴高の言葉に、ごくりと元気が生唾を飲み込む。
「どうだったっけな……。普段は客先に行くときは上司と二人で行くことが多かったんだ。銀行内の決まりで、そうなってた。でも、あそこに行ったときは、一人だったような気がするんだよな……たぶん、一緒に行く予定だった上司にたまたま急な用事が入ったとかで一人で行くことになったんじゃないかな。あの頃まだ、阿賀沢さんたちはあそこで料亭をやってたから、時間や日程はずらせなかったんだと思う。それで、俺は一人で行って。阿賀沢さんの弟さんとその奥さんが応対してくれて、一緒に建物や庭を見たのは覚えているんだ。そんで、一通り見た後、あの霊の記憶にもあったけど、たぶん礼を言って職場に戻ったんだと思う」
 それは通常の業務の一部であり、なんの問題もないはずだった。だからこそ、元気自身もあまりはっきりとは覚えていないようだった。
「まっすぐ職場に戻ったのか? どこかに寄ったりせず?」
 晴高の問いかけに、元気はこくんと頷いたが。
「あれ? ちょっと待って……。俺、大体、現況調査行ったときは、建物とか周りの様子とかを写真に撮らせてもらうんだ。あの日はどうしたんだっけ……」
 そこまで呟くように言ってから、言葉が止まる。
 しばらく何かを考えたあと、元気は「あ」と言って顔を上げた。
「そうだ。写真だ」
「……写真?」
 おうむ返しに聞く千夏に、元気は堰を切ったように話し出す。
「そう。阿賀沢さんたちと別れて一旦帰りかけたときに、写真を撮ってなかったことを思い出したんだ。でも、話してるときにあとで写真撮らせてくださいねって聞いてOKもらってたから、とくに気にせずそのまま道路からあの料亭の写真をこのスマホで何枚も取ったんだ。あの当時はぐるっと庭全体を覆うように背の高い垣根があって。その周りから何枚も」
 そこまで早口で言ってから、元気の声のトーンが落ちる。
「でもそしたら突然、阿賀沢さんが出てきて。ほんのちょっと前に別れたときの親し気な様子から豹変して、すごく怒ってたんだ。勝手に撮るなって言って。でも俺、一応許可はとってあったし。なんでそんな怒られるのかわからなくて、とりあえずひたすら謝って職場に戻った。……すごく驚いたし怖かったから。あのときの阿賀沢さんの顔。いま、はっきり思い出した」
 三人の視線が、自然とスマホに集まった。
 このスマホで元気が撮った写真。
 そして、阿賀沢兄と思しき霊の記憶の中で見た情景をつなぎ合わせてみると、元気が写真を撮った時間帯とその垣根の向こうで殺人が行われていた時間帯がちょうど重なる。
 その後、阿賀沢弟が写真を撮るなと激高していたことからしても、彼らもそのことを知っていたはず。
「このスマホの中の写真って、取り出せないんでしょうか」
 その写真に何が映っていたのかは予想がついた。でも、確認してみたかった。
「これだけ派手に壊れてると、データを取り出すのは難しいかもしれないな」
 そう晴高は唸ったが、元気は「そうだ、ちょっとスマホ使ってもいい?」と言ってテーブルに置いてあった千夏のスマホで何かを探し始める。
「現況調査行くとすぐに写真でスマホがいっぱいになるから、俺、データは自分のクラウドに保存してあったんだ。まだ生きてるかな……ここ、無料だったからまだ登録は……」
 元気は慣れた手つきでクラウドのアプリを探し出すと、千夏がそれをダウンロードする。「えっと、あのころ使ってたメアド、なんだっけ……」とかブツブツ言いながらも元気がメールアドレスとパスワードを入力すると、保管されていた写真フォルダが出てきた。
 そこにはいくつかのフォルダがあったが、元気は『仕事用』と書かれたフォルダを開く。途端にディスプレイいっぱいに写真画像が現れた。撮影した日付の新しいもの順に並んでいる。
「あった。このあたりだ」
 それは、十数枚の写真だった。背の高い垣根と、さらにその隙間から奥にある日本家屋がわずかに見える。現在は取り壊されて残っていないその建物や垣根に千夏は見覚えはなかったが、一緒に映り込んでいる道路の感じや隣家の形からそこがあのマンション建設現場と同じ場所だというのはわかる。
 その中に、その写真はあった。
 垣根の間から、何か白いものを振り上げている男性が映り込んでいる写真。さらにその男性の足元に誰かが倒れているのも映っていた。おそらくそれは、弟に後頭部を殴られて倒れた阿賀沢兄なのだろう。
「これか……この写真をとったから阿賀沢さんはあんなに怒っていたのか……」
 そして激高しただけにとどまらず、元気からそのスマホを何らかの方法で盗んで壊して埋めたのだ。すべては殺人の証拠を消すために。
 元気はスマホを、もうこれ以上見たくないというように手でおしのけると再び頭を抱えた。
「元気。もう一回確認させてくれ。お前が事故死したのって、それからどれくらいあとのことなんだ」
 一つ一つ言葉を置いていくように、慎重に言葉を並べて尋ねる晴高。
 元気は頭を抱えたまましばらく黙っていたが、やがてボソボソと答えだす。
「そのすぐあとにスマホをなくして。それから一週間も経ってないから……」
「そうだよな。それくらいだって言ってたよな。……なあ。お前もうすうす気づいてるよな」
 静かな晴高の声。元気はうつむいたまま、何の反応もしない。いや、できないのかもしれない。千夏にも晴高が言おうとしていることは、わかっていた。でも、それを口にはできなかった。その可能性を考えたくもなかった。
 しかし、相手は既に殺人を起こしている殺人犯なのだ。そんな相手に倫理や法律が何の妨げになるだろう。
 もしかしたら、元気は……。
「お前が死んだ自動車事故。それって、……本当に事故だったのか?」
 晴高の言葉に、わずかにびくりと元気の肩が動くのが千夏にもわかる。
 胸が苦しい。でも、元気はいま、千夏とは比べ物にならない遥かに残酷な苦しみの中にいるのだろう。
「お前は」
 殺人の証拠隠滅のためにあの人たちに……。
「殺されたんじゃないのか」