晴高に自宅まで送ってもらった際、「明日は代休にしとくから、休め」と彼が言うのでお言葉に甘えて一日ゆっくりと休ませてもらった。そしてその次の日に出社すると、百瀬課長が千夏の姿を見るや否や駆け寄ってくる。
「いきなり晴高くんが無理させたんだって? 彼には私からもよく言っておくから」
 と心配する百瀬課長に、
「い、いえ。大丈夫ですから」
 何度も大丈夫です、と笑みを重ねた。
 親会社にいた時は、仕事の締め切りが迫ってくると会社に泊り込むことも少なくなかった。それに比べれば一晩の徹夜なんてたいしたことない……はずだったのだけど、霊に触れたせいか、昨日は酷い疲労感と眠気とだるさにやられて一日中寝ていたのだ。代休にしてもらえて助かった。
 おかげで、今日はすっかり回復。
 自分のデスクへ行くと、晴高は黙々とノートパソコンで作業をしていたし、元気は相変わらず空席になっている千夏の隣の席に座っている。
 ただひとつ違うのは、元気は一昨日のような青い顔をして俯いてなどおらず、千夏の姿を見つけると元気そうに笑いながら手を振ってきたことだ。
 まったくもって、幽霊ぽくなくなってしまった。
(元々こういう性格なんだよね、きっと)
 千夏が席について「おはようございます」と挨拶すると、晴高は視線すらあげずに「おう」と呟くだけだし、元気は明るく元気に「おはよう」と返してくる。
 うん。出社、実質二日目だけど。これがこれから自分が毎朝みる光景なのだろうなと思うと、存外悪くない。そう思ってから自分で自分の気持ちに、少し驚いた。ほんの数日前まで、子会社へ勤務することがあんなに惨めで気が重かったのに。いつの間にか、この癖の強い同僚たちと仕事するのも悪くはないかな、なんて思い始めていた。
 さて、今日は調べ物しなきゃ。まず千夏はあの日あのアパートで経験したことを晴高に報告する。彼はキーボードを打つ手を止めもせずに話を聞いていた。
 ちゃんと聞いているのか?と心配になるも、一通り千夏が話し終わると彼は「へぇ……」と感心したように感想を口にした。
「そんな現象、初めて聞いた……」
「え? 何がです?」
「いや、だからその。霊の記憶が覗けたって話」
 そこに食いついてくるあたり、ちゃんと千夏の話には耳を傾けていたようだ。千夏はデスクに身を乗り出すと、はす向かいの席に座る晴高に食い気味に尋ねる。
「やっぱり、珍しい現象なんですね」
「……そうだな。身内に坊さんや、霊能力あるやつは多いけど。そんな話聞いたことがない」
「俺も、初めてだったよ。いままでも他の霊に触ったことはあったけど、あんな風になったことなんてなかった。でも、千夏が俺の手に触れようとした途端、起きながら夢をみているみたいに別の映像が見えたんだ。がーって頭の中に映像の激流が流れ込んできた感じだった」
 そう語る元気は、のんきに湯飲みから熱いお茶をすすっている。ちなみに、そのお茶を淹れたのは千夏だ。自分のものを淹れてくるついでに淹れてきた。晴高にもいるかどうか聞いてみたけど、こちらは「いらない」とすげなく断られてしまった。
「あのとき見えたものが本当に涼子さんの記憶なのかどうか、確証はないんですけど。とりあえず、いろいろ調べてみたいことがあるので、涼子さんのご両親に連絡を取ってみてもいいですか?」
「ああ、それは構わんが。ソレも連れていくのか?」
 晴高は彼の前の席で、のんきにお茶を飲んでいる元気を目で示す。
「それは彼の好きにすればいいかなと思ってますが、また霊の出る現場に行くときはぜひ連れていきたいな、なんて思ってはいます……」
 そう晴高の様子をうかがいながら躊躇いがちに言う千夏に、はぁと彼は露骨に大きくため息をついた。
「もう一回、忠告しとくけど。霊障とか何かよからぬことがあれば、すぐにそいつから離れろ。直ちに除霊するから」
『除霊』という言葉に、元気がぴくりと肩を動かした。
 それに構わず晴高は話を続ける。
「それと。人前でそいつと会話してると完全に危ない奴だぞ、お前」
「……!!!!」
 たしかにそうだ。千夏の目には元気のことははっきり視えているけれど、他の大部分の人には彼の姿は視えない。その人たちからすると、千夏が一人で虚空に向かって会話をしているように見えることだろう。それはまずい。明らかにまずい。
「……気をつけます」
 しゅんと肩を落とすと、元気も「俺も気を付けるよ」と晴高に言う。
「これからは、人前で話しかけてこないでよね」
「それ、お互いさまだから」
 なんてついうっかり元気と話していたら、
「だから、ソレをやめろっていってんだろ」
 と晴高に呆れられてしまった。
 危ない危ない。ハッと周りを見わたすと、同僚の皆さんが気持ち悪そうな顔をしてこちらを見ていた。すぐに目をそらされる。もう手遅れかもしれない。