「大楠さんって、たまにああいう度胸(どきょう)あるよねぇ」

 教室へ戻る途中、文句を飛ばす前に羽村が感心した。

「やっぱ、そういうところが寺坂を射止めたって感じ? だったら絶対に勝ち目ないわー」
「私、そんな大層な人間じゃないよ」

 ややうんざりと言えば、彼女はつまらなさそうに鼻息を飛ばした。

謙遜(けんそん)するなー。そういうの、人によってはウザったいから」

 そう言って背中をポンと叩き、教室へ戻る。羽村は友人の元へ向かった。もうこちらに見向きしない。言われっぱなしなのは素直に腹が立つが、角は立てたくはない。

「涼香!」

 こころが血相を変えて立ちふさがった。

「羽村さんとどこ行ってたの? なんか、嫌なこと言われてない? 大丈夫?」
「こころ、心配しすぎ。大丈夫だから。あの人とはちょっといろいろ決着つけたかったから」

 思えば、こころも羽村に関しては裏で根回ししようと企んでいた。目を丸くして、なおも心配そうに涼香を見つめる。

「そうなの? なんかあったら言ってね?」
「大丈夫だってば。それより、こっちは大丈夫だった?」

 客足は順調のようだが、当番がきちんと回っているか不安だ。そんなこちらの心情を(くつがえ)すように、こころは明るげにVサインを見せた。

「こっちは問題なし! そろそろお昼だし、交代もスムーズにできそう」
「ありがとう」
「いえいえー」

 褒められて無邪気に喜ぶ頭をポンポンと軽く叩くと、こころは「ふふふふ」と不気味な笑いを漏らした。すぐに手を引っ込める。

「あ、そうだ。せっかくだし、いまのうちにバスケ部に行ってきたら?」

 こころが提案する。用意周到に文化祭のパンフレットを差し出してきた。
 優也が所属するバスケ部は、校庭のバスケットゴールでフリースローゲームを主催している。バスケ部は毎年同じゲームを企画しているが、主に運営しているのは一、二年生だ。

「ほらほら、いまがチャンス! あとできっちり働いてもらうからー!」
「ちょっ、ちょっと! こころ!」

 ぐいぐい背中を押され、呆気なく教室から締め出される。涼香は呆然と廊下を見つめた。
 左右どちらも客引きでうごめく生徒の群れ。他校の制服もちらほらとうかがえる。その中へふらりと入り込み、とにかく校庭まで向かうことにした。

「いらっしゃいませー! 一組のアイスクリーム、いかがですかー」
「六組のきぐるみカフェ、いかがですかー? かわいいモフモフに()れ合えますよー!」
「水泳部、プールでウォーターショーやってまーす! 次の回は十二時からでーす! 整理券配ってまーす」
「校庭ステージでダンス部のパフォーマンスやります! ぜひきてください!」
「一年五組主催の数独王決定戦、間もなく再開でーす! どうぞご観覧くださーい!」
漫研(まんけん)部誌『その夢は、誰の夢?』略して『ゆめだれ』ただいま完売しましたー! ありがとうございましたぁー!」

 クラスだけでなく部活動も盛んに声を張り上げている。あちこちで笑い声が響いてきて、その楽しげな空気を吸い込めば鬱々とした気分は解消された。湧き上がるのはお祭り特有の浮遊感。どうしても目移りしてしまい、涼香は廊下のあちこちに張り出されているポスターを見た。

「ゼリー屋、鈴カステラ屋、たこ焼き、からあげ、ポップコーン……あ、やばい、クレープ食べたい」

 各クラスのポスターが張り出されている中、ひときわポップで異彩を放っていたのが二年三組のクレープ屋だった。
 ふわふわの生クリームに、さつまいもと(くり)ペースト。いちごに抹茶(まっちゃ)、ガトーショコラまで盛りだくさん。これは行かなきゃダメだ。クレープが呼んでいる。同時に胃袋も訴える。一刻も早く食べなくては。満場一致で二年三組へ行くことが決定し、先に寄り道することにした。

 ***

「なるほど……お前がそんなに甘いものが好きだったなんて、知らなかったよ」

 色とりどりの甘味の数々を、半ば恐ろしそうに見ながら優也が言った。
 校庭のバスケットコートに向かったときにはすでに、校門広場の露店で食べ物を買いあさっていた。両手にはクレープが二種類。秋の味覚さつまいも&マロンと、抹茶いちごクリーム。手首にはりんご飴の袋をぶら下げ、キャラメルポップコーンに、鈴カステラの紙コップを小脇に抱えている。
 そんなお祭りフルコースの涼香の手から、優也はポップコーンをつまんだ。すかさず「あー!」と非難の声を上げると、優也は不審に眉をひそめた。

「あれ? 俺のために買ってきてくれたんじゃないの?」
「違うし! これは私が食べるために買ってきたの!」
「マジかよ……それ全部食うのかよ。太るぞ」
「うっさい! 今日だけはいいんだよ!」

 呆れる優也からスイーツを守る。しかし、両手がふさがっているから食べるのが難しい。バスケットコートの脇で、涼香は両手のクレープを交互に食べた。

「俺にもくれよ」
「あんた、甘いもの嫌いでしょ」
「今日だけはいいんだよ」

 つっけんどんに言っても、優也は一歩も引かなかった。しぶしぶポップコーンを渡す。

「……んじゃ、はい」

 しかし、優也は口を曲げて食べかけのクレープを指した。

「そっちがいい」
「はぁ? 食べかけなんですけど」
「別にいいし。ちょっとちょーだい」

 逃げる間もなく、優也は抹茶いちごクリームにかぶりついた。

「あー! 私の抹茶いちご!」

 クリームをペロリと舐めて得意げな優也。その顔を殴りたい。でも、それと同じくらい心臓がキュッと縮む。無意識に耳まで熱がこみ上げた。
 いちいち意識していたら身が持たない。涼香は、彼が食べたクレープを無理やり口に押し込んだ。

「おーい、優也ー! サボるなよー!」

 バスケットコートから声がする。その掠れ声は覚えがある。明がバスケットボールを地面に突きながら、こちらを見ていた。

「ん? なになに? 優也の彼女?」

 涼香の姿を見るなり、明の顔が冷やかしたっぷりの笑顔になる。

「はぁー? 違いますけどー」

 優也は照れ隠しに言った。そして、明のボールを奪う。
 即興(そっきょう)の一対一ゲームが始まった。大きな動きでドリブルし、明の手をかわす優也を目で追いかける。
 バスケ部のフリースローゲームはおよそ盛況(せいきょう)とは言えなかった。暇をもてあました当番の部員がこうしてボールで遊んでいる様子がちらほらうかがえる。
 優也は楽しそうにボールを(あやつ)った。前へせり出して、フェイント。交差するドリブル。するっと背中に向かってボールをはじかせ、それを捕まえて、ゴールにめがけて走る。走って、ステップを踏んで、カゴに放り投げる。外した。でも、すぐに取り返してシュート。ミドルシュートは、決まった。

「楽しそうー」

 本気じゃない二人のバスケはじゃれ合っているようにしか見えない。こんなに仲がいいなんて知らなかった。なんだか明に嫉妬してしまいそう。涼香はクレープを頬張った。
 明がボールを奪い、彼もまた優也の手をさらりとかわした。フェイントをかけ、ボールを大きく放つ。それを空中でキャッチし、彼は優也よりも早々とゴールを決めた。ゴール下へボールが落ちる。それを優也が拾いに走った。
 そのころにはさつまいもクレープが食べ終わっており、涼香は思わず「ナイッシュー!」と声援を送った。すると、明が嬉しそうに近づいてきた。

「ところで、名前をまだ聞いてなかったんだけど」
「あぁ、そうだった」

 すっかり忘れていたが、まだ彼とは初対面だった。アイスクリーム事件が解決しているいま、優也と付き合うまで明とは接点がない。

「大楠です。大楠涼香」
「大楠さんね。覚えた。よろしくー」
「よろしく。バスケ、うまいんだね」

 彼の動きは優也よりも無駄がない。普段のふざけた様子からは想像もできない、そのギャップには試合観戦のたびに驚かされるものだ。軽いゲームでもそつなくこなすのが明のプレイスタイルなんだろう。

「寺坂よりシュッとしてるよね。見てて気持ちがいい」

 素直に褒めると、彼はパッと目を輝かせた。

「うわ、超うれしー! 優也の彼女じゃなかったら、僕がつき合って欲しいところだったなー。ちくしょー」
「えっ」

 涼香は思わず怯んだ。顔を引きつらせ、明をまじまじと見る。

「冗談でしょ?」
「んー? さぁ、それはどうでしょう」

 明はにこやかに言った。照れるそぶりもなく、軽々しい。疑わしい彼の言動に、涼香は気まずくなって残りのクレープを食べた。
 すると、タイミングよく優也がボールを小脇に抱えて混ざってくる。

「なんの話?」
「大楠さんって、かわいいなって話」

 なおも明の調子は変わらない。いっぽう、優也は嫌そうに眉をしかめた。

「はぁ? お前の目、大丈夫か? 大楠のどこをどう見たらかわいいって思うんだよ。こいつ、中学んときから冷たくって、トゲトゲしかったんだから」

 聞き捨てならない言葉だ。涼香は「はぁ!?」と声を張り上げ、優也の足を蹴った。

「そっちこそダル絡みしすぎなんですけど! しかも、バスケ馬鹿のくせに成績いいし!」
「努力してるんですー」
「あーもう! ムカつく! その顔やめてよ!」

 ニヤニヤと笑う優也の足を蹴り続けるも、彼はフットワークが軽く、すぐにかわす。こっちはポップコーンが落ちないように必死で、それでもこの怒りを発散するには蹴りだけじゃ収まらない。
 そんな応酬をしていると、明が盛大に吹き出した。

「あはははっ! 大楠さん、やばい。最高。かわいい」
「どこが!」

 今度はこっちに矛先を変える。明は肩を震わせながら涼香をなだめた。

「まぁまぁまぁ。いまのは優也が悪いって。そりゃ怒るに決まってんじゃん。優しくしなよ」
「いまさら優しくされても気持ち悪い」

 先に冷たく言うと、優也は不機嫌に片眉を上げた。彼は反論せずに黙って、こちらを見ている。涼香も居心地が悪くなり、ツーンとそっぽを向いた。
 そんな二人に、明がのほほんと言う。

「二人とも、仲いいんだね」
「どこが!」

 すかさず言ったのは優也だった。しかし、明はものともせずにケラケラ笑う。

「ツッコミのキレが二人とも同じだなぁ。うん、仲がいい証拠。熟年夫婦みたい」
「なに納得してんだよ」
「そうよ。こいつと一緒にしないで」
「はいはい、わかりました。あんまりからかうと、それこそ仲が悪くなりそうだしね。そこまでにしよっか」

 元はといえば明が変なことを言うからだ。しかし、ここでさらに憤慨(ふんがい)すれば空気が悪くなるのは明白だ。それは優也も感じているのか、ボールの溝をなぞっている。

「ね、大楠さん。フリースローしない?」

 空気を変えようと明が柔らかに言った。それに対し、涼香はすぐに両手のスイーツを掲げた。

「手が塞がってるんですけど」
「それは優也に渡しちゃえよ。こいつ、腹減ってるみたいだし」
「えー……うーん……?」
「おい、明。俺が甘いの嫌いだって知ってるくせに」

 すかさず優也が文句を言った。いっぽう、明は圧の強い笑みで「まぁまぁまぁ」となだめている。
 涼香は言われるまま、優也の手にスイーツを押し付けた。反射的に受け取る優也だが、顔はふてくされたまま。すぐに彼から目をそらし、明のボールを受け取った。

「じゃあ、やる」
「ありがとうございまーす! 一回三〇〇円です!」
「お金とるの!?」
「当たり前じゃん。お客さんが来なくて困ってたんだよねー。うちの部を助けると思ってさ。ね?」

 言われてみれば、無料でゲームができるはずもなく。涼香は悔しく歯噛みした。

「しょうがないなー」

 ボールを受け取った手前、引きさがれるはずもなく。ゴールより少し遠い、スリーポイントラインよりも手前のフリースローラインまで誘導される。部員たちが「がんばれー」と声援を送ってくるので恥ずかしい。ギャラリーが少ないせいで、余計に目立ってしまう。
 涼香はボールを地面にバウンドさせた。優也がやるのと同じように、くるっと回転させて地面に叩きつける。でも、うまくいかずにコロンと地面を転がるだけだった。もう余計なことはしないでおこう。

「大楠さん」

 横で明が言う。

「なに?」
「優也のこと、あんまり責めないでやってね」

 明の言葉の意味がわからず、涼香はボールを構えたままで固まった。背後をちらりと見る。スイーツを持たされた優也が、いまだに深刻そうな表情をしているので申し訳なく思えた。
 もう一度、ボールを地面にバウンドさせる。今度は両手に収まった。ゆっくりと頭の上に掲げ、勢いよくボールを放つ。
 ボードの上部に思い切り激突した。そこからゴールの輪へぶつかり、あっけなく地面へ落ちていく。

「はーい、残念でしたー!」

 明の笑い声が地味に刺さる。がっくり肩を落とすと、優也が近づいてきた。スイーツを片手に収め、素っ気なく手を差し出された。

「三〇〇円」

 涼香は悔しく肩を落として、スカートのポケットをあさった。緑色のうさぎ、通称「グリーンラビット」のコインケースを出し、きっちり三〇〇円を優也の手に落とす。と、その小銭を明がかすめ取った。

「優也、そろそろ交代だし、文化祭見てきたら? せっかくだし、大楠さんと一緒に」

 それは他の部員に聞こえないほどに小さな声だった。優也がまたも顔をしかめる。その表情の意味を知っているかのように、明は忍び笑いながら優也になにかを押しつけた。

「がんばれよー」
「はぁ? 意味わかんねー」

 とぼける優也だが、彼の耳が真っ赤に染まるのを涼香は見逃さなかった。自然と優也の足が動き、それに合わせて涼香もコートを出る。大量のスイーツは彼に預けたままだ。

「ねぇ、寺坂」

 声をかけようとした、その時。

「あ、ついでに一組のアイスクリーム屋にもきてね!」

 慌てた声が追いかける。すっかり台無しにしてくれる明に向かって、涼香と優也は同時に振り返った。

「ちゃっかりしてるなー」

 呆れの言葉も同時に飛び出し、顔を見合わせて笑った。