「だってホラ、この人たちのホーム画面を見てみなよ」
表示された悪実のフォロワー、そのアカウントの一つをカズラはクリックして表示する。
するとそこには、今回の件と同じような炎上投稿が大量にRTされていた。
「……つまり、こいつらは〝そういうネタ〟が大好物ってわけか」
ホーム画面を遡っていくと、次々と炎上した投稿のRTが表示されていた。
中にはRTした投稿に対して『「さっきのアカウントはまだ高校生らしいので、あまり拡散しないであげてね!』や『彼の通う学校の電話番号です! みんなで電凸しようぜ!』、『○○大学法学部の○○○君が公園の水道の蛇口を尻に突っ込む画像をShabetterに投稿して炎上→公然わいせつ罪で逮捕間近に!!』などと面白おかしく囃し立てていた。
「やった張本人に同情はしねぇが、こうやって他人をなじって楽しんでるヤツも最低だな」
思わず吐き捨てるように口にしてしまう。それ程に悪実をフォローしている人間は、例外なく他人の不幸や破滅を格好の笑いの種にして愉しんでいるヤツらばかりだった。
こいつらの前に犯罪を主張するような投稿をRTするのは、飢えた獣の前に餌を投げやることに等しい。確実にRTさせて投稿を拡散したい場合、最高の相手とも言える。
「この悪実って人は、こう言う人間を選んでフォローしてたんだろうね。この手の人間は、自分をフォローしたアカウントはフォローを返すタイプが多いしね」
「この手の情報が好きなら、アンテナは広く張ってた方が好都合だろうしな」
よく見てみればどのアカウントも、フォロワー数の倍以上のフォローをしている。
手当たり次第、面白おかしい情報を収集していることは容易に想像がつく。
「でもこの悪実って、いったい何者なんだ?」
被害者たちの投稿が確実に炎上までに至る手法は、カズラによって解明された。
しかし今回の事件はそれだけでは解決しない。
「推理小説で言う、フーダニットだね」
「フーダニット?」
「推理小説で重視される三要素の一つだよ。フーダニット、犯人は誰なのか? ハウダニット、どのように犯罪を成し遂げたのか? ホワイダニット、なぜ犯行に至ったのか? まあ、簡単に言えば、〝犯人〟、〝犯行方法〟、〝動機〟の三要素だね。今回の場合、犯行方法はだいたい分かったから、突き止めたいのはフーダニット――誰が犯人か、だね」
カズラが述べたように、今回の事件は犯人を突き止めなければ解決はしない。
『路地裏の亡霊』や『学校の怪談』の事件のようにトリックを解明することが目的ではなく、最終的に求められるのは〝誰が炎上を故意に起こしたのか〟と言う点だ。
「一連の炎上にはこの悪実って言うアカウントが関わってるかもしれない、ってのは分かった。でもこいつが何者だなんて、どうやって突き止めるんだよ? まったく被害者たちとも関係のない、ただ他人の不幸を広めるのが大好きなヤツだけかもしれないんだぞ」
「……いや、そうとも限らないかも」
現状では犯人の素性を特定できる手段が思い浮かばず、俺はお手上げだと溜め息を吐く。
しかしカズラはその言葉を否定するように、難しい表情でマウスを操作しながら答えた。
「Shabetterでは投稿に対して、コメントを付けることができる機能があるんだ」
「コメント、ってことは一言なにか言えるってことか?」
「うん。イメージ的にはそんな感じかな。ちなみにこの機能を〝リプライ〟って言うんだけどね。リプライに対して、更にリプライを返すこともできるんだ」
「ふーん……何だか会話みたいだな」
「まあ、主な使われ方は、アカウント同士のコミュニケーションなんだけどね」
投稿に対してコメントを残し、そのコメントに対して返信を行える。
この機能は確かに、コミュニケーションを取る上では便利な機能かもしれない。
「そのリプライって機能が、どうして関係あるんだ?」
「悪実のフォロワーの一人で『執行人よしあき』ってアカウントがいるんだけど、この人が悪実がRTした篝火さんの投稿を更にRTしたあとに『んんwwwこれは香ばしいネタですぞwww>RT』って投稿してるよね?」
「この『>RT』ってのはなんだ?」
「これはRTに対しての投稿だよ、って意味だね。RTのあとにこうして投稿をすれば、RTに対してのコメントにもなるでしょ?」
ちなみに篝火の投稿は『酒パなう♪』と言うコメントと共に、缶チューハイを飲んでいる画像が添付されていた。
執行人よしあきと言うアカウントは、その投稿に対して面白おかしくコメントしたと言うわけだ。
「このRT後の投稿に対して、悪実からのリプライが届いてるんだよ」
「それは悪実と執行人よしあきが会話してたってことか? 第三者が見られるもんなのか」
「自分のホーム画面なら見られないんだけど、個別のアカウントのページに飛んで、そこから履歴を辿って投稿の詳細にアクセスすれば見られるんだよ。まあ普通はそこまですることもないんだけど、今はそれが役に立ったのかな」
執行人よしあきの投稿履歴を辿っていき、該当の投稿の詳細を表示するとカズラが言ったように悪実からのリプライが表示された。
そのリプライを更にクリックすると、二人の会話が画面上に表示されていく。
『そのアカウント、久遠寺付属の生徒らしいですよ』
『ファーwwwなんで知ってんの?www』
『リア友の同級生っぽいんで』
『よし、実名公開はよ』
『篝火紫陽、クラスは二年E組』
『いいゾ~これ!』
『FakebookやnexiのアカウントIDもShabetterと同じみたいです』
『ちょっと悪実さん、優秀すぎんよ~!!』
どうやらリプライによって悪実が、篝火の個人情報を教えているようだった。
このあと、処刑人よしあきは『久遠寺大学付属高等学校二年E組の篝火紫陽さん【@hydrangea】が酒パなうと投稿! 未成年で未来のある高校生なので通報はしないであげてね! 住所:東京都○○区○○○TEL○○○―○○○―○○○ 』と悪実から教わった情報を基にして、炎上を煽るような投稿をしている。
「この時点ではまだ炎上はしてなかったはずなのに、もう個人情報が特定されてるなんて不自然じゃない?」
「……まるで最初から、個人情報を知ってたみたいだな」
炎上のメカニズムは、情報が拡散されて人目についてから個人情報の特定が始まる。
しかし今回の場合、情報が拡散し始めた本人によって個人情報が流出した。
つまり通常のパターンとは、逆の流れになっていると言える。
「それでも前々から目をつけてた、って可能性はあるんじゃないか?」
「確かにそうなんだけど、もう一つおかしい点があるんだ」
悪実のアカウントがいよいよもってきな臭くなってきたが、まだ決定打にはならない。
しかしそんな胡乱な根拠を補足するように、カズラは言葉を続けた。
「炎上投稿に使われた写真は、ほとんどFakebookやnixiみたいな他のSNSに投稿された写真が流用されてたんだけど、最初の投稿――篝火さんの投稿だけは違うの」
「そう言えば蒲公にもその点を聞いてくれ、って言ってたよな」
カズラから被害者たちの投稿の詳細の他に、篝火の投稿に使用されていた写真の出所を聞いて欲しいと頼まれていたのを思い出す。
「確か夏休み中に仲間内で集まった時の写真、って話だったな。特にSNSとかには投稿してなくて、篝火本人の携帯のメモリーの中にあるって蒲公は言ってたぞ」
「もしその話が本当だったとしたら、おかしくない?」
蒲公も最初に聞いた時は質問の意味に首を傾げていたが、篝火本人に確認してくれた。
だが俺にはカズラが、なにをおかしいと疑っているのか分からなかった。
「どうして〝篝火さんしか持っていないはずの写真〟をアカウントを乗っ取ったとは言え、第三者が手に入れていたのかな?」
「――!?」
カズラの言い分を聞いた瞬間、俺は自分の迂闊さを呪った。
なりすまし投稿に使われていた写真は、ほとんど別のSNSに投稿されていたものだ。
ならばアカウントさえ知っていれば、インターネット経由で画像を保存してそれを流用することができる。しかし篝火の写真の場合、それを持っているのは篝火本人だけだ。
それなのにどうして、乗っ取り犯がその写真を手に入れられるんだ?
「乗っ取り犯……悪実は篝火たちと面識があるのか?」
思い至った可能性を口にする。もはやそれしか考えられなかった。
悪実は何らかの手段で物理的に篝火の携帯から、問題の写真を手に入れたのだろう。
「その可能性は高いけど――具体的に誰か、までは分からないかな」
悪実が被害者たちと現実の知り合いである可能性は、これでより濃厚になっただろう。
しかし結局、まだ決定打とは言えない。あと一歩、もう少し根拠が固まれば――
「そう言えばこのアカウント名の横にある、@とアルファベットはなんなんだ?」
「それはアカウントのIDだね」
先程からアカウントの詳細が表示されていた際に、アカウント名の後ろに@とアルファベットが表示されているのが気になっていた。
カズラの説明によれば、それはアカウントのIDだったらしい。
「ちなみにカズラのIDは@love_love_brotherだよ」
「もうツッコまないぞ?」
カズラの言葉を軽く流して、俺は悪実のアカウントIDを見る。
「Trachelospermum asiaticum0714、か」
「見慣れない単語だね……ググってみようか」
お互いに見覚えのないアルファベットに首を傾げるが結局、その意味は分からない。
するとカズラは悪実のIDをコピーアンドペーストし、検索エンジンで検索をかけた。
「えーっと……花、の学名みたいだね」
とりあえず数字は除いてアルファベットだけで検索してみると、まず最初に花の画像が表示された。白い花弁が特徴的な花だが、いまいち見覚えはない。
「テイカカズラ、って植物みたいだね」
「聞いたことないな」
「…………」
検索結果の中からそれらしいページにアクセスすると、花の詳細が表示された。
カズラは最初こそ普通にページの内容を読み上げていたが、いつの間にかマウスを操作する手を止めて食い入るように画面を凝視していた。
「このテイカカズラ、って花……漢字で書くと、『定家葛』って書くみたい」
「えっ、それって――」
カズラが指を指す方を見て、俺は思わず息を飲んでしまう。
定家葛、それはカズラのフルネームとまったく同じ名前だった。
どうしてここで、カズラに関する情報が出てくるのだろうか?
「待って……後ろの0714がもし、日付だとしたら……」
真剣な表情でぶつぶつと呟きを漏らすカズラ。
その様子はまるで、記憶の海から一筋の光明を手繰り寄せているようにも見える。
「この、日付って――」
一つの解答に思い至ったのか、カズラはポツリと呟きを漏らした。
その顔を支配しているのは確かな驚愕で、自身も信じられないとでも思ってるようだ。
「カズラが学校に行かなくなった日……わたしが引きこもり始めた日、だと思う」
◇一年ぶりに学校へ行こう
「なあ、本当に行くのか?」
それから一時間後、俺とカズラは二人揃って玄関に並んでいた。
傍らのカズラへ対し、俺は躊躇いがちに声を掛ける。
「……うん。カズラは本気、だよ」
カズラは顔面蒼白になりながら答えてみせるが、とてもじゃないが大丈夫に見えない。
「無理すんなよ。学校なら俺が行ってきてやるからさ」
「それはダメ。だってこれは、カズラが行かなくちゃいけないんだから」
ローファーを履き終わると、カズラは立ち上がって言う。
悪実のアカウントIDとカズラの関係性が発覚したあと、カズラは学校に行きたいと言い出した。俺も最初は止めたのだが、頑として譲らない姿勢に俺が同行すると言う折衷案で折れることになったのだった。
「麒麟児先生にも、カズラが行くって言ったんだからね」
カズラの目的は生活指導の教師に会うことらしい。
蒲公の話にも出てきた『生活指導宛てに届いたメール』が見てみたいとカズラは言った。
「そう言えばお前の制服姿、久々に見たけどやっぱり似合ってるよ」
「……うん。ありがとう、お兄ちゃん」
緊張した雰囲気を和らげようと、俺は笑みを浮かべてカズラに声をかける。
学校に行くということでカズラは制服を着ていて、約一年ぶりに見るその姿を見ていると何だか胸が一杯になってくる。お世辞抜きにその姿は世界で一番可愛らしかった。
「それじゃ、行こうか――」
玄関のドアを開けてカズラは、外の世界へと足を踏み出す。
それは約一年の空白を破って、カズラが外界に触れた瞬間でもあった。
「うっ……眩し、い――」
上空で燦然と輝く太陽の光が目に入り、カズラは眩しそうに目を細めて呻き声を漏らす。
「はぁ……はぁ……」
久しぶりの日光を浴びてひるむカズラだったが、それでもまた一歩足を踏み出す。
「はぁ……っ、うぁ――」
しかし僅かに進んだあと、カズラは口に手を当てて地面にへたり込んでしまう。
「大丈夫か! カズラ!?」
へなへなと座り込んでしまうカズラを見て、俺は慌てて駆け寄っていく。
「は、はは……情けないなぁ。大丈夫かと思ったけど、ダメみたい……」
頭を垂らして、自嘲気味に笑うカズラ。
その身体はぐったりとしていて、小刻みに震えてる。
「頑張ってみたんだけど、やっぱりキツいなぁ……」
今にも泣き出しそうな程、カズラの声は震えていた。
「外は怖い、よぉ――」
喉の奥から振り絞るように、カズラの口から細い声がポツリと漏れた。
その声は今にも消えてしまいそうな程に弱々しく、カズラ自身の不安がそのまま表れたようだった。
「大丈夫だ、カズラ」
そんなカズラの姿を見て、俺は静かに言葉を告げる。
震える手をギュッと握って、あやすように優しく声をかけた。
「お前には俺がいる。だから心配するな」
多くの言葉は要らない。ただ怯えるカズラを安心させたくて、ゆっくりと言葉を続ける。
「……うん、そうだったね。わたしには、お兄ちゃんがいるんだ」
溜め込んだものを吐き出すように、カズラは大きく息と共に声を漏らす。
震えは徐々に収まっていき、呼吸も安定していくのが分かる。
「安心しろ。一人じゃ無理でも、俺たち二人がいればどうにかなる」
根拠のない自信を持って、俺はニッカリと笑ってみせる。
俺たちは一人では確かになにかが欠けているかもしれない。
不完全で未完成。未熟で不出来で、発展途上の欠陥品なのだろう。
でも二人揃えば俺たちはきっと大丈夫だ。お互いに足りない部分を補い合って、今までの事件も解決してこれたのだから。カズラと一緒なら今はなんでもできそうな気がする。
「ありがとう。もう大丈夫だよ、お兄ちゃん」
それはカズラも同じだったようで、ぎこちないながらも笑みを浮かべてくれた。
もう心配はない、と俺もそれに応えるように俺も笑いかける。
「立てるか?」
「立てるけど――ちょっとまだ歩くには辛い、かな……」
立ち上がって手を差し伸べると、カズラはその手を取って立ち上がる。
しかしその身体は未だふらついていて、苦笑混じりにカズラは答えた。
「よし、じゃあ駅までおぶっていく」
「うぇぇ!? そ、外で……?」
「歩けないんなら仕方ないだろ。つーか、家の中でもやってたじゃんか」
「い、家の中と外は別物だよぉ……」
そんな様子を見て背中を差し出すと、カズラは戸惑いながら顔を赤らめる。
多少は恥ずかしいかもしれないが、これが一番手っ取り早いので俺としてはこれしかないと思うのだが。
「……うん、分かった」
しばらく考えるように黙るカズラも、観念するように顔を俯かせながら頷いた。
「よし、それじゃ行くぞ」
カズラの軽い身体を背負って、俺は駅に向かって歩き出した。
よほど恥ずかしかったのかカズラは、駅に着くまでずっと背中に顔を埋めたままだった。
◇麒麟児巌
久遠寺大学付属高等学校へとやってきた俺たちは、校内に入り職員室へと向かった。
来賓用のスリッパを履いて廊下を進んでいるが、私服姿の俺は少し周囲から浮いている。
「しかし、私服で学校……ってのも変な気分だな。そもそも俺は他校の生徒だし」
横にいるカズラが制服姿なので、余計に悪目立ちしているように感じる。
今が夏休みの期間で、校内には人気が少ないのが唯一の救いだった。
「隣にわたしがいるから、そんなに気にしなくてもいいと思うよ?」
ぼやく俺にカズラは気にするなと言うが、その表情はどこか強張っている。
カズラ自身も久しぶりの学校に、緊張をしているのだろう。
「ここが職員室か……」
「うん……それじゃ、入るね」
職員室の前まで辿り着くと、俺たちは顔を見合わしたあとに意を決してドアを開いた。
室内へと踏み込むと、廊下のムワッとした蒸し暑さとは対照的な涼しい空気が、身体に滲んでいた汗を冷やしていくのが分かる。
「失礼します」
俺たちが職員室に入ると、中にいた教師たちが一斉にこちらを見たのが分かった。
夏休みのせいかその数はまばらだが、その視線は隣にいるカズラへと向けられている。
一身に注目を浴びてひるむカズラだったが、そっと背中に手を添えて「大丈夫だ、心配するな」と小さく囁く。
するとカズラは小さく深呼吸をし、気を取り直して歩き出した。
「麒麟児先生、お久しぶりです」
「おお……久しぶりだな、定家」
目的の人物がいる机までやって来ると、カズラはぺこりと頭を下げて挨拶をする。
今回、俺たちが会いに来た教師――生活指導担当の教員、麒麟児は右手を挙げて応えた。
「話は聞いている。こちらの方は?」
「兄の定家牽牛です。今日は妹の付き添いで来ました」
「ああ、そうですか。私は生活指導担当の麒麟児巌(きりんじいわお)です」
「はい。今日は無理を聞いて頂いて、ありがとうございます」
麒麟児は厳めしい強面を破顔させると、視線を俺へと移して問いかける。
カズラがそれに答える前に俺は名前を告げ、同じように頭を下げて挨拶を交わした。
「それで確か篝火の飲酒問題の時、学校宛てに届いたメールが見たいと言う話だったな?」
麒麟児は再び表情を引き締めると、要件の内容を確認するように尋ねてくる。
「はい。その時のメールを見せて頂けないでしょうか?」
カズラの真剣な表情で、麒麟児の問いに答えた。
今回、俺たちが学校まで来た理由は、事件の時に学校へ届いたメールを確認することだ。
Shabetterではあれ以上の手がかりを掴めなかったので、もう一つの証拠である可能性があるメールを見てみたいとカズラは言った。
「本来なら部外者には、見せるべきものではないのだが――」
「もしかしたら……わたしは部外者ではなく、当事者なのかもしれません」
困ったように顔をしかめる麒麟児だったが、カズラは緊張で強張った声で静かに告げる。
「定家はなにか知ってるのか?」
「……いえ、今はまだ」
躊躇いがちに問いかける麒麟児に、カズラは緩やかに首を振って答える。
「でももしかしたら、そのメールを見ればそれが分かるかもしれないんです。だから――お願いします!」
しかし、カズラは顔を上げて、麒麟児を真っ直ぐ見据える。
その声は確かな決意が感じられるもので、精一杯の勇気を振り絞った証拠だった。
だがその身体は震えている。緊張に押し潰されそうになっているカズラを安心させるように、俺は背中に回されていた手をそっと握った。
「先生、俺からもどうかお願いします」
カズラを倣うように、俺も深々と頭を下げて頼み込む。
麒麟児はそんな俺たちを見て、短く唸るように声を漏らして逡巡をしていた。
「……分かった。その代わり、内容については他言無用だぞ」
そしてしばらくの沈黙のあと、ついに折れるように溜め息混じりに了承の意を告げた。
「これが学校宛てに届いたメールだ」
「ここに書いてあるURLは、Shabetterのものですか?」
麒麟児がパソコンを操作すると、そこに例のメールが表示された。
題名などは特になく、本文にはインターネットのURLと思わしきアルファベットの羅列が並んでいた。これをクリックすれば、指定のホームページへとアクセスできる。
「ああ、それから個人情報が、面白おかしくまとめられているサイトもあった。ご丁寧に画像まで添付されていた」
辟易したように目を瞑る麒麟児。確かにメールには画像ファイルも添付されていて、そこには問題となっている篝火紫陽の飲酒の様子が写真に収められている。
「…………」
まるでメールの内容を頭の中に焼き付けるように、カズラは画面を凝視している。
「ありがとうございます、先生」
そのままカズラは目を閉じて、考え込むように沈黙した。
しばらくすると、画面から目を離して麒麟児に向かってお辞儀をした。
「もういいのか?」
「はい、大丈夫です」
確認するように尋ねる麒麟児に対して、カズラは頷いてもう用は済んだと答える。
「なにか分かったか?」
「……はい、多分」
そんなカズラを見て麒麟児は、顎に手を当てて難しい表情で問いかける。
カズラはそれに対して、自信がなさそうだが肯定するように頷いた。
「これからやることができたので、わたしたちはそろそろ帰ります。今日は本当にありがとうございました」
もう一度頭を下げるとカズラは、感謝の言葉とこれから帰る旨を麒麟児に伝える。
「定家、ちょっといいか」
そんなカズラを見て、麒麟児は静かに言葉を切り出した。
「お前には本当に済まないと思ってる」
「先生……?」
「お前のイジメの件が結局、有耶無耶になってしまったのは俺の責任だ。学校側は事を荒立てたくないの一点張りで、事実を頑なに否定していた。何度も掛け合ってみたが、結果は覆られなかった」
痛みに耐えるように険しく表情を歪め、麒麟児は唸るように言葉を吐き出す。
「……俺にできたのは自宅で定期試験を受けることで、単位を取れるようにすることだけだった。問題を放置することしかできなかった俺を恨んでいるかもしれない」
その口から語られる言葉には苦悶が充ちていて、自責するように言葉を続ける。
「俺は自分が不甲斐ない。いつも生徒のためにと厳しいことも言ってきたつもりだったが、いざとなればこんなに無力だ。許してくれ、とは言わない。ただ謝らせて欲しい」
「…………」
項垂れるように頭を垂らす麒麟児の姿は、出会った時のような毅然としたものではなく哀愁を感じさせるものだった。
「……先生。わたしのことをそこまで気にかけてくれて、ありがとうございます」
怒るのでもなく、責めるでもなく、カズラは静かに感謝の気持ちを告げた。
「先生がわたしのために、そこまでしてくれてたって分かっただけで……凄く嬉しいです」
口元に僅かな微笑を浮かべて、心の底からカズラは言葉を続けた。
カズラが不登校になった時に、ギリギリのところで退学にならなかったのは彼の努力によるものだった。それに感謝はすれど、恨むことはない。カズラならそう思うはずだ。
「そうか――」
そんなカズラを見て麒麟児は、心の底から吐き出すように声を漏らした。
ずっと胸に溜め込んできた後悔が、少しでも和らいだことを俺も切に願った。
「結局、目新しい情報はなかったな」
職員室をあとにした俺たちは、家への帰路についていた。
学校で見たメールからは、特に今まで以上の情報は得られなかった。
当初の目的を考えれば、思ったような成果は上がらなかったと言える。
「ううん、そんなことないよ。あのメールには確かなヒントがあったから」
しかしカズラはそれを否定するように、首を横に振って答えた。
「本文に載ってたURLも見たことのあるものだったし、写真も同じだろ?」
「うん、そうだね。確かに〝本文〟はそうかもしれない」
「本文以外になにか、ヒントになるようなものがあったのか?」
「送信元のメールアドレスに入ってたTrifolium repensって単語――アルファベットの並びがラテン語だったから、これもShabetterのIDと同じでなにかの学名だと思う」
疑問に答えるように、カズラは言葉を続ける。
メールアドレスそのものには無頓着だったので、それは盲点だった。
俺には見えていない真実にカズラは、辿り着こうとしているのかもしれない。
「お兄ちゃん、帰ったら頼みたいことがあるんだけど」
「ああ、俺にできることなら任せろ」
表情を険しくしながらこちらを見るカズラに、俺は鷹揚に頷いてみせる。
そしてカズラは、こう告げるのだった。
「今回の犯人、分かったかもしれない」
FILE:3『不可視の悪意』解答編
◇不可視の悪意:解答編
ここからの語り部を務めるのは、わたし自身――つまり、定家葛の役目だ。
この事件は自分自身で決着をつけなければいけない。
それが事件の〝当事者〟であるわたしの責務だと思うから。
「大丈夫か、カズラ?」
傍らのお兄ちゃんが、心配そうに声をかけてくる。
きっと今のわたしは、緊張でがちがちになっているのに違いない。
「ちょっと緊張するけど……お兄ちゃんがいるから、大丈夫」
精一杯の虚勢を張りながら笑ってみせる。それでもあながち間違いではない。
お兄ちゃんが隣にいてくれれば、きっとなんだってできる気がした。
「そうか。もうすぐ時間だな」
教室の時計を見てお兄ちゃんは、ポツリと呟きを漏らす。
ここは教室――更に詳しく言うなら、久遠寺大学付属高等学校二年E組の教室であり、現在わたしの所属していることになっているクラスであった。
二年になってからは登校していないので、ここが自分の教室と言う実感は薄いけど。
わたしとお兄ちゃんは、ここにある人物を呼び出していた。
「……定家、さん?」
やがて沈黙を破るように、教室のドアが開く音がした。
そこから入ってきた人物は、教室内にいるわたしたちを見て唖然とした表情を浮かべる。
「……久しぶり、御坊君」
そんな彼――クラスメイトである御坊黒羽君を見て、わたしは静かに口を開いた。
「おれは蒲公に呼び出されたんだけど……どういうこと?」
戸惑いながらも、御坊君は苦笑を浮かべながら問いかけてくる。
「蒲公さんには、わたしから頼んだの。御坊君の連絡先を知らないから、代わりに連絡をとって欲しいって」
正しくはお兄ちゃんを通して、だけど。
わたしは蒲公さんに彼をここまで呼び出すように頼んだのだ。
「ああ、そうだったんだ……ええっと、久しぶりだね」
説明には納得するも、まだ状況が掴み切れていない御坊君は、とりあえずと挨拶をした。
「それと……そっちの人は?」
「兄の牽牛だ。今日は付き人で来ただけだから、気にしないでくれ」
「は、はぁ……そうですか」
視線はやがてわたしの隣にいるお兄ちゃんへと向けられ、御坊君は訝しげに問いかける。
対してお兄ちゃんは堂々と答えるが、その答えで更に謎が増した御坊君は曖昧に頷く。
「それで――今日はどうしたの? 久しぶりの再会は喜びたいけど、おれになにか用があるんじゃないかな?」
閑話休題、と御坊君は本題を切り出してくる。
彼も急に分からないことだらけで聞きたいことはたくさんあるかもしれないけど、ここは話を進めるために言葉を選んでくれたみたいなのがありがたかった。
「うん。そのことなんだけどね……」
話を切り出しやすくなったところで、わたしも本題を切り出す。
「篝火さんや月下部さん、それから雪ノ下さんの話……聞いてるよね?」
「うん。何だか大変みたいだね……」
確認するような問いに対して、御坊君は伏し目がちになりながら答える。
蒲公さんの話では御坊君と篝火さんは付き合っているらしいので、その悲しみはより一層深いものだろう。
「それじゃ――悪実って名前、心当たりはある?」
そんな彼を見ながらわたしは、一つの問いを投げかけた。
「――――」
その瞬間、御坊君の顔から一切の表情が消えていった。
感情の窺えない能面のような表情で、彼はわたしを見ている。
「言い方を変えるね。悪実の正体は――御坊君、じゃないのかな?」
言い回しを変えて、直接的なことばで御坊君に問いかける。
わたしは今日、この問いかけをするために、彼をここまで呼びつけたのだ。