◇昔日の憧憬
幼い頃からわたし――定家葛は友達を作るのが苦手だった。
引っ込み思案で人見知り。いつも兄の後ろをついて回っているような子供だったと思う。
「おまえら! おれの妹をイジメるな!!」
自己を表現することが苦手で口べたなわたしは、よく同年代の子たちにからかわれていた。
泣き虫なわたしはいつも決まって泣き出してしまい、そんな時にお兄ちゃんは駆けつけてきてくれた。そして集団でからかう子たちを追い払って、地面にうずくまっているわたしに手を差し伸べる。
「カズラ! あそびに行こうぜ!」
そんなわたしをお兄ちゃんは、いつも引っ張って遊びに連れて行ってくれた。
両親はいつまで経っても兄にべったりな様子に呆れ気味だったけど、それでもわたしはお兄ちゃんが見せてくれる素敵な出来事が楽しくて仕方なかった。
やがてわたしたちは小学校に進学し、自然と以前よりも一緒に遊ぶ機会が減った。
お兄ちゃんは同学年の友達と遊ぶようになったが、わたしは誰と遊ぶことなくいつも一人だった。他の人と遊ぶ気にもなれず放課後は真っ直ぐ家に帰るか図書室で時間を潰した。
本を読むのは好きだった。ページを広げれば、目の前には自分の知らない世界が広がっていく。それはかつてお兄ちゃんが見せてくれた新鮮な光景を見ているような気分だった。
わたしはやがて本の虫となって、そのおかげか学校でのテストはいつも満点だった。
「すごいな! カズラ!」
学校でのテストを見せるとお兄ちゃんは、まるで自分のことのように喜んでくれた。
わたしはそれが嬉しくて、勉強を頑張るようになった。
そうすればお兄ちゃんに褒めてもらえるから。お兄ちゃんはわたしを見てくれるから。
とにかくお兄ちゃんに構って欲しい一心で、わたしは勉強に取り組んでいた。
「また百点満点だろ? カズラはおれのじまんの妹だな!」
「せんせいがカズラはすごいってほめてたぞ? 兄ちゃんもうれしいよ!」
勉強は嫌いじゃない。頑張ろうと思った動機は不純だけど、自分の知らない知識を身につけていく過程は好きだった。少しでも情けない自分から脱却できるような気がした。
「カズラはいつもスゴいよな。俺も頑張らないと」
「カズラは今、大事な時期だからな。邪魔しないようにしないと」
でも、どうしてだろう。勉強を頑張れば頑張る程、お兄ちゃんとの距離は開いていく。
わたしは家にいる時間の大半を勉強に費やし、お兄ちゃんも気を使ってわたしの部屋を訪ねてくることもなくなった。だからお互いに、顔を合わせることが少なくなった。
最初はお兄ちゃんに褒めてもらいたい一心で、勉強を頑張っていたのに。
これでは目的と手段があべこべだ。気付けばわたしは自分を見失っていた。
「カズラは俺と違うから」
そんな風にお兄ちゃんから、距離を置かれるのが何よりも辛かった。
わたしは、お兄ちゃんが思ってるような真面目な子じゃないよ?
わたしは、お兄ちゃんが信じてるような良い子じゃないよ?
わたしは、お兄ちゃんを裏切っている悪い子なんだよ?
それでも今更、勉強を止めるわけにはいかない。
お兄ちゃんだけではなく両親や学校の先生、いつの間にかわたしの背負っている期待は自分でも御せないくらい大きくなっていたから。
みんなの期待を裏切りたくはなかった。何よりお兄ちゃんを失望させたくなかった。
そしてわたしは、難関と称させる久遠寺大学付属高等学校への入試に合格を果たした。
高校生になっても惰性で、今まで以上に勉強を続けることになるだろうと思っていた。
しかし――そんな漠然とした予想は、あっけなく裏切られることになる。
入学して一学期も持たずにわたしは、家に引きこもるようになった。
原因はクラスメイトによるイジメだった。きっかけは今考えても結局、分からない。
上履きを隠され、机には心ない言葉が落書きされ、教科書は無残に破り捨てられ、クラスの全員がわたしを無視する。時たま向けられるのは、侮蔑の視線。嘲るような薄い笑み。
そんな空間にいることが苦痛になったわたしの身体は、学校へ行くことを拒絶し始めた。
引きこもるようになったわたしは、まさに都落ちと呼べる落ちぶれようだった。
幼い頃からわたし――定家葛は友達を作るのが苦手だった。
引っ込み思案で人見知り。いつも兄の後ろをついて回っているような子供だったと思う。
「おまえら! おれの妹をイジメるな!!」
自己を表現することが苦手で口べたなわたしは、よく同年代の子たちにからかわれていた。
泣き虫なわたしはいつも決まって泣き出してしまい、そんな時にお兄ちゃんは駆けつけてきてくれた。そして集団でからかう子たちを追い払って、地面にうずくまっているわたしに手を差し伸べる。
「カズラ! あそびに行こうぜ!」
そんなわたしをお兄ちゃんは、いつも引っ張って遊びに連れて行ってくれた。
両親はいつまで経っても兄にべったりな様子に呆れ気味だったけど、それでもわたしはお兄ちゃんが見せてくれる素敵な出来事が楽しくて仕方なかった。
やがてわたしたちは小学校に進学し、自然と以前よりも一緒に遊ぶ機会が減った。
お兄ちゃんは同学年の友達と遊ぶようになったが、わたしは誰と遊ぶことなくいつも一人だった。他の人と遊ぶ気にもなれず放課後は真っ直ぐ家に帰るか図書室で時間を潰した。
本を読むのは好きだった。ページを広げれば、目の前には自分の知らない世界が広がっていく。それはかつてお兄ちゃんが見せてくれた新鮮な光景を見ているような気分だった。
わたしはやがて本の虫となって、そのおかげか学校でのテストはいつも満点だった。
「すごいな! カズラ!」
学校でのテストを見せるとお兄ちゃんは、まるで自分のことのように喜んでくれた。
わたしはそれが嬉しくて、勉強を頑張るようになった。
そうすればお兄ちゃんに褒めてもらえるから。お兄ちゃんはわたしを見てくれるから。
とにかくお兄ちゃんに構って欲しい一心で、わたしは勉強に取り組んでいた。
「また百点満点だろ? カズラはおれのじまんの妹だな!」
「せんせいがカズラはすごいってほめてたぞ? 兄ちゃんもうれしいよ!」
勉強は嫌いじゃない。頑張ろうと思った動機は不純だけど、自分の知らない知識を身につけていく過程は好きだった。少しでも情けない自分から脱却できるような気がした。
「カズラはいつもスゴいよな。俺も頑張らないと」
「カズラは今、大事な時期だからな。邪魔しないようにしないと」
でも、どうしてだろう。勉強を頑張れば頑張る程、お兄ちゃんとの距離は開いていく。
わたしは家にいる時間の大半を勉強に費やし、お兄ちゃんも気を使ってわたしの部屋を訪ねてくることもなくなった。だからお互いに、顔を合わせることが少なくなった。
最初はお兄ちゃんに褒めてもらいたい一心で、勉強を頑張っていたのに。
これでは目的と手段があべこべだ。気付けばわたしは自分を見失っていた。
「カズラは俺と違うから」
そんな風にお兄ちゃんから、距離を置かれるのが何よりも辛かった。
わたしは、お兄ちゃんが思ってるような真面目な子じゃないよ?
わたしは、お兄ちゃんが信じてるような良い子じゃないよ?
わたしは、お兄ちゃんを裏切っている悪い子なんだよ?
それでも今更、勉強を止めるわけにはいかない。
お兄ちゃんだけではなく両親や学校の先生、いつの間にかわたしの背負っている期待は自分でも御せないくらい大きくなっていたから。
みんなの期待を裏切りたくはなかった。何よりお兄ちゃんを失望させたくなかった。
そしてわたしは、難関と称させる久遠寺大学付属高等学校への入試に合格を果たした。
高校生になっても惰性で、今まで以上に勉強を続けることになるだろうと思っていた。
しかし――そんな漠然とした予想は、あっけなく裏切られることになる。
入学して一学期も持たずにわたしは、家に引きこもるようになった。
原因はクラスメイトによるイジメだった。きっかけは今考えても結局、分からない。
上履きを隠され、机には心ない言葉が落書きされ、教科書は無残に破り捨てられ、クラスの全員がわたしを無視する。時たま向けられるのは、侮蔑の視線。嘲るような薄い笑み。
そんな空間にいることが苦痛になったわたしの身体は、学校へ行くことを拒絶し始めた。
引きこもるようになったわたしは、まさに都落ちと呼べる落ちぶれようだった。