「わたしには、お兄ちゃんしかいなかったのに」
　きっとカズラには俺しかいなかった。妹の支えになってやれるのは俺以外にいなかった。
　でも俺はそんな機会をみすみす棒に振ってしまった。妹の人生を台無しにしてしまった。
　そのことを強く後悔していたからこそ、俺はカズラに何も言えなかったんだ。
　家に引きこもるのも本人の意思を尊重して、だなんてきれい事を飾り立てて。本当は引け目を感じているから、責められるのが怖いから、俺は今のカズラを肯定し続けている。
「どうして」
　呪詛を紡ぐように、カズラは言葉を続ける。
　まるで無能な俺を責めるように、淡々と機械じみた声で呪言を囁く。
「ごめん。ごめん、カズラ……」
　地面にへたり込み許しを請うように頭を垂らす。顔の前で両手を組んで身体を震わせる。
　無様でしかないその姿はきっと、今の俺には似合いの格好だろう。
「許してくれ、カズラ――」
　何度も何度も。懇願するように繰り返す。般若心経でも唱えるように。譫言のように。
　まるでそう呟けば、自分は許される。そんな淡い期待に縋って。俺は繰り返す。
「ダメだよ。許さない」
　しかし頭上から聞こえてくる声は、酷く冷淡なものだった。　
　底冷えするような声の響きを聞いて、まるで心臓を貫かれたかのように痛みを感じる。
「わたしはお兄ちゃんを許さない」
　夢が覚める直前。最後に見えたカズラの表情は、痛みに耐えるような泣き顔だった。

◇蒲公英子
「……最悪の目覚めだ」
　睡眠を遮るように耳障りな音を鳴らす携帯のアラームを解除すると、うんざりするように呟きを漏らした。
「もう十時、か」
　のそのそと緩慢な動作で布団から抜け出すと、部屋にある壁時計を見て時刻を把握する。
「確か昨日は、カズラとゲームしてたんだっけ……」
　寝起き特有の曖昧な思考も徐々に覚醒していくと、昨日の記憶を思い起こしてみる。
　夏休みに入った俺は学校から出された課題を片付けていた最中、カズラからゲームに誘われて深夜まで熱中していたのだ。
「でも、久々だったな」
　先程まで見ていた夢の内容を思い出して、溜め息混じりに呟きを漏らす。
　あの手の悪夢は昔は毎日のように見ていたが、最近ではめっきりと見なくなっていた。
　しかし今日、久々にまた見てしまったようだ。
　カズラが元気になってからは、頻度も少なくなっていたはずなのに。