FILE:1『路地裏の亡霊』出題編



◇朝の学校にて

「なあ牽牛、聞いてくれよ!」

 学校に着くなり、一人の男が興奮気味に声を掛けてきた。

「どうしたんだよ。朝っぱらから騒々しいな」

 始業二十分前の教室にはまだ人はまばらで、比較的静かなその中に威勢の良い声が響く。

 若干うんざりしながら目の前の人物に、仕方なく訳を尋ねてみることにした。

「牽牛は『路地裏の亡霊』って噂話、知ってるか?」

「路地裏の亡霊?」

 この席に着くなり話しかけてきた人物は、千鳥飛燕(ちどりひえん)。
 俺のクラスメイトで、男子の中ではおそらく一番行動を共にしている友人だ。

 相変わらず自分で染めた茶髪を整髪料できっちりとスタイリングし、制服をだらしなく着崩している。

 外見こそはチャラ男然としていて軽薄そうに見えるが、それなりに良い奴でもある。

 特に年齢=彼女なし、と言う点は男同士のシンパシーを感じている。

「そうだよ! なあ、知ってるだろ?」

 開口一番、奇妙なことを尋ねる友人を見て、思わず怪訝そうに尋ね返してしまう。
 そんな俺を見ると、飛燕は興奮さめやらぬ様子で言葉を続ける。

「悪いけど、知らないな。何だそれ?」

 生憎だが『路地裏の亡霊』なんて言葉には聞き覚えがない。
 季節はまだ六月だ。
怪談の類いにしても少し気が早いだろう。

「かーっ! 知らないのかよ! ここ最近、割と有名な話なんだぜ?」

 俺の回答が気に召さなかったのか、飛燕はオーバーリアクション気味に頭を抱える。

 どうやら朝でも、こいつの騒々しさは変わらないようだ。

「おはよー。どしたん? 朝から楽しそうにさー」

 会話の途中で横合いから挨拶が飛んでくる。

 おそらく今さっき教室内に入ってきたであろう人物に、顔を向けて挨拶を返した。

「よお、柊」

「おはよーっす、ケンゴっち」

 挨拶を返すと視線の先には、ニッカリと笑う女子生徒の姿があった。

 彼女は柊南天(ひいらぎなんてん)、少しばかり珍しいが名前だが歴とした女子だ。

 柊が片手を挙げて俺の挨拶に応えると、彼女の少しウェーブがかった栗色の髪が揺れる。

 女子にしては高い身長とスラリと伸びる四肢、そしてどちらかと言えば端正な顔つきからか、こうして何気ない日常のワンシーンでも絵になってしまう。

 クラスでも有数の美人、とそれなりに男子の間では評判になっている。

「おはよう。定家君、千鳥君」

「ああ、秋海棠もおはよう」

 それに続くように投げかけられた声へ、俺は同じように挨拶を返す。

 柊の隣には同じくクラスメイトである秋海棠椿(しゅうかいどうつばき)の姿があった。

 いつも穏やかに笑っていて、控えめな笑顔とショートボブに切り揃えられた絹のように艶やかな黒髪が印象的な女子だ。

 特に目立って容姿が抜きん出ているわけではないが、顔立ちは可愛いし何より一緒に居て穏やかな気持ちになれる雰囲気は好感が持てる。

「ああ、二人ともちょうど良いところに……」

 登校してきた二人を見て、飛燕は泣きつくように声を掛ける。

「二人は『路地裏の亡霊』、って聞いたことあるよな? な?」

 おそらく元ネタを知らなければ話が伝わりにくいのか、どうにか自分と同じように噂話を知っている人間を見つけたいらしい。

「『路地裏の幽霊』?」

「幽霊、じゃなくて亡霊な。柊も聞いたことあるだろ?」

「うーん……どうだったっけ」

「マジかよ……これって最近は、結構ホットな話題だと思うんだけどな……」

 小首を傾げながら尋ね返す柊に、飛燕はツッコミを入れつつ期待を寄せる。

 しかし、結局は思い出せなかったようで、飛燕はガックリと肩を竦めた。

「あ……その話なら聞いたことあるかも」

 そんな中、秋海棠が怖ず怖ずと話を切り出す。

 どうやら最初から知ってはいたようだが、二人の話が一段落するのを待っていたようだ。

「お! 椿ちゃん、知ってるの!?」

「う、うん。確か繁華街の方で、夜になるとお化けが出る……って話、だよね?」

「そうそう! それだよ! 流石は神様仏様椿様、そこにシビれる憧れるぅ!!」

 ようやく話が通じる相手が見つかって、飛燕はうるうると涙目になりながらガッツポーズを取る。秋海棠はそんなリアクションを見て、困ったように苦笑している。


「牽牛とナンテンは流行に疎すぎなんだよ。それじゃ、あっという間に取り残されるぜ?」

 視線を柊と俺に移すと、飛燕はやれやれと方を竦めて得意げに鼻で笑う。

 見ていて腹立たしいことこの上ない。 

「ナンテン言うな。こちとら放課後も原稿、帰ってからも原稿で忙しいんだっての」

 柊は口を尖らせながら不満げに反論する。
彼女は自分の珍しい名前があまり好きではないらしく、一部の人間以外に名前で呼ばれることを嫌っている。

 ちなみにここで言う原稿とは、おそらく同人誌か何かだろう。

 柊は見た目こそ綺麗系のリア充女子だが、その実は男同士の熱い友情(意味深)をこよなく愛する筋金入りの同人作家だ。
 部活も漫画研究部に所属していて、部活や個人で即売会にも参加していたりする。

 カズラとはまた違ったタイプだが、柊もなかなかに強烈な趣味の持ち主だ。

「俺もその手の噂には興味ないからな。どうせただの噂だろ?」

 言葉通り俺は、幽霊の類いを信じていない。
もしかしたら存在自体はするのかもしれないが、自分の人生において何の関わりも感じないと言った方がいいのか。
もし自分やカズラに関係することならまだしも、少なくとも好きこのんで首を突っ込みたい話題でもない。

「……それが本当に出るんだよ」

 しかし飛燕は、俺たちの言葉に動じることなく、静かに言葉を続ける。

「どうせお前の友達とか知り合いが人づてで聞いた、みたいなレベルだろ?」

「いや、それも違うな。実際に見たヤツがいるんだよ……」

 溜め息混じりに続けられるであろう答えを予測するが、飛燕は神妙な調子で頭を振る。

 その様子はいつものようにおちゃらけたものではなく、どこか鬼気迫る迫力があった。
「それは――」

 ゴクリ、と固唾を飲み込んで飛燕は言葉を続けようとする。
 俺たちは茶々を入れるのを一旦止め、次の言葉を静かに待った。

「――俺……だ!」

 存分にもったいつけ必要以上に間を取って、飛燕はクイッと親指で自らを示す。

 口元には心なしか、得意げな笑みが浮かんでいる。

「よーし、はい撤収ー」

「そろそろ、一限目の用意もしないとね。
椿、課題やってきた?」

「あ、うん。一応、予習まではしてきたけど……」

「待って(はあと)」

 それを確認すると俺は、手を叩いて解散の合図をした。
 柊も率先して自らの席へと向かい、秋海棠はそんな椿と飛燕をチラチラと見比べながら躊躇いがちに後を追っていく。

「セイセイセーイ!! 
ちょっとちょっとー、みなさん酷くないッスか??」

「いや、目撃者が千鳥ってだけで、信憑性が皆無なんだけど」

「だな。それとそのネタは古いぞ」

 その様子を見て飛燕は、抗議の声を上げる。

 ある種のお約束を終えて戻ってきながら柊が答えると、俺も同意する意味で頷いた。

「だから、昨日の夜に例の『路地裏の亡霊』に遭遇したんだって!」

「だから朝から騒いでたのか」

「昨日のバイトの帰りにさ……俺――」

 そうして、飛燕は話を切り出した。

 昨日、自分が遭遇した『路地裏の亡霊』についての体験を。